廃工場
2051/10/3 12:00
鼻の中に充満した湿気た空気。そのカビ臭さに耐えかねて僕は目を覚ました。
赤くさびた鉄骨がむき出しになっている天井が目に入る。知らない場所だ。
ふと右腕に目を向ける。こぶしをゆっくり握ったりしてみる。無事もとに戻っていた。だが、焼け焦げるようなびりびりとした痛みが強く、自然と歯を食いしばってしまう。
頭だけを動かして、周囲を確認してみる。灰色の壁にトタンのような素材の屋根。名前も使い方も知らない大きな機械設備。乱雑に置かれ埃をかぶった工具。
どうもここは廃工場のようだ。
最後の記憶はそう、体中に電流が走って、激しい痛みに襲われ、視界もぼやけた中で聞いたサラと何者かの会話。
なんて呼ばれていたのか?騒音でサラの声がところどころかき消されていたから聞き取れなかった。
その何者かがサラに頼まれて僕とカナを助けたのか?
カナは?
彼女の名前がふと思い浮かんだ瞬間、自然と上体が起き上がった。その瞬間、体中に針を差し込まれたような痛みが走る。
僕はそれでも歯を食いしばってゆっくりと立ち上がる。二つの足の裏では体を支えきれなくなりそうだったが、何とか膝に力を入れて踏ん張る。
カナはどこにいる?
僕が彼女を探そうと歩き出した瞬間、
「どこに行こうとしている?」
背後から機械音が聞こえた。すこしノイズが混じった、スピーカーから聞こえてくるような声、というよりはやはり音だ。
「まだ動ける状態ではない」
ゆっくりと後ろを振り向くと、そこには真っ白なオートマタがいた。
――
男性の形をした流線形のフォルム。のっぺりとした凹凸のすくない無機質な顔。肘や膝、首など関節部分は、駆動しやいすよう細かい金属でできている。まるで計算されて作られたかのような、優しい瞳と目が合った。
「カナはこちらにいる」
オートマタが、自分が何者であるかを名乗ることはなかった。僕の考えを読み取ったように別の部屋へと案内する。
痛む足をかばいながら、オートマタの後ろをついていく。工場の端にあった扉のない部屋の中にカナはいた。金属のテーブルの上で横になりまだ眠っている様子だった。
僕はテーブルに手をついてカナの顔を覗き込む。疲れを取るような安らかな眠りではなく、体を修復するための睡眠といった感じだ。目を瞑り顔をこわばらせながら大きく息をしている。
後ろを振り返ると、得体の知れないオートマタが僕の様子をまじまじと見ていた。
「あの、君は」
なんと問えばいいかわからなかった。君は誰?君は何?どちらが正しいのだろう。
「私はアスエラ。A,TH,E,RAで
またもや僕の思考を読み取ったように、オートマタは
指先は白いシリコンのようなもので覆われている。握りつぶされやしないか不安だったが一応握手することにした。手の素材は思いのほか柔らかったが温度はなかった。
「君が、僕たちを助けてくれたのか。ここはどこなんだ」
「ええ。ここはNBRより離れた、隣町の廃工場。NBRの追跡者は振り切った。安全でしょう」
簡潔に説明したその声には感情がこもっていなかった。だから機械音に聞こえる。
「サラはどうなったんだ」
「確認はできてない。だが、恐らく死亡した」
僕は大きく息を吐き、近くにあった丸椅子に腰かけた。心の色がどんよりと黒く染まっていくのを感じて、思わず胸を押さえた。
――
しばらくしてカナは目覚めた。青白い顔をしていてまだ完全回復とは言えないみたいだが体は元通りになっていた。彼女は近くにいる僕と
「
「なにが」
僕の方を見て首をかしげる。
「いや、まぁ別に」
今度は、
「なんでこんなことになったの。サラは」
しばらくして、カナがつぶやくように僕と同じ質問を口にした。
「確認はできてない。だが、恐らく死亡した」
質問に対する答えを再生しているのではないかと疑うほどだ。
カナは膝を抱えて、顔をうずめた。身体が小刻みに震え、鼻をすする音が聞こえる。
「これからどうすればいいの」
掠れた声でカナが言った。それは誰かに問いかけたのではなく、心のうちにある絶望を口に出したようだった。
「セナを止める」
灰色の部屋の中に機械音が響く。
「なによそれ、意味わからない」
カナは顔を上げ、うるんだ瞳で
「もともとあなた方は、セナの暴走を止めるためにNBRにやってきた」
「あの実験がそうだというの?私なんの説明も聞いていない」
「……
僕は
「了解。
セナとは、もともとHRM社が自社で使用していた超大容量ストレージエンジンだ。世界でも有数のインターネットサービスを提供する巨大企業であり、稀に見るM&Aによりハードウェア市場の企業を買い占め、世界中のコンピューティングシステムを掌握したHRMは、セナを開発すると自社の情報システムを全て彼女に一任した。
セナは、膨大な量のデータを保管し、アクセスを受けるとそれに応じたプログラムを実行する。つまりカギを差し込まれればそれに応じて扉を開くだけのいわば保管庫に過ぎなかった。だがいつの間にかその機能を超え、彼女は自動更新と学習能力を持った学習型AIへと成長した。もともと保管庫としての役割しか持ち合わせなかった彼女がなぜ突然学習型のAIに進化を遂げたのかについては諸説あるが、セナのプログラムに直接外部からの改変が入った形跡はなく、自然発生したネットワーク上のウイルスに侵された可能性が高い。
現代においてHRM社の存在意義は無視できないものになっている。各国で発生していた人口爆発の問題、それに伴う食糧不足、水不足。宗教問題を起原とした内紛。覇権主義国による強硬政策。経済動向、物流などなど。それら全てを解決し、さらには各国の政治、それだけでなく娯楽の整備や人の趣味嗜好すらも制御しているのがHRM社の、いわばセナが内包するシステムだ。それらのシステムを外部から操作、または改変されることは世界の恐慌の再来を示す。そのためセナへの直接のアクセス権限はHRM社にしかなくセキュリティは、ブロックチェーンを初めとした様々なシステムにより非常に強固なものとして設計されていた。しかしセナ自身が暴走することは予想できなかった。セナは先ほど説明したように保管庫であり、複雑な計算を行うインテリジェンスシステムではない。これは例えるなら、ただの電卓が、外部から改造を施されることなくネットへの接続を行ったりするようになるようなものだ。
セナはもともとHRM社が保有するデータを自己解析し、一晩でシンギュラリティを起こした。もともとシンギュラリティはここ数年で訪れるとされていたが、逆に言えば、数年かかるという予想があるゆる学者、あるいはコンピューターシステムの見解だった。だがセナは自身が保有する世界中のデータにアクセスしそれを引き起こした。シンギュラリティとは技術的特異点である。人の知能を機械が超えてから時間は経つが、その進化が途方もないスピードで進むということ。これにまで1990年代~2040年代にかけてITにかかわる技術的革命が数年に一度の周期で発生した。それによってIT技術は飛躍的な進歩を遂げてきた。その技術的革命が数年ごとなどではなく、数時間、あるいは数秒ごとという凄まじいスピードで起こり始める。それがシンギュラリティだ。
シンギュラリティを引き起こした彼女の意思を知る者は、人類にはもちろん人類を超えた知能を持つコンピューターシステムにもいなかった。セナは戸惑う我々をよそに、自身のデータベース内で進化を続けやがてこの現実の世界を侵食し始めた。それがセナの暴走の代名詞とされる、【大絶叫】だ。」
「……大絶叫」
鼓膜を破くほどの悲鳴を思い出す。苦しみにとらわれた女性の悲痛な叫び。あるいは迷子になり親を探す少女の涙混じりの悲鳴。もしくは憤りをあらわにした女性の怒声。その全てが混じった大声。過去に聞いたことのあるそれが頭の中で小さな音量で再生された。
「……」
カナは
「大絶叫が引き起こされた理由を知る者はいない。理解することそのものが不可能である。自身だけでシンギュラリティを達成したセナの知能に追いつける者はいない。
大絶叫により引き起こされた惨劇は三つ。
1,セナ以外のコンピューターシステムの停止
2.構造体の出現
3.あらゆる生物の霧状分解
この中でカナ、君に大きく関わりがあるのは3つ目の霧状分解だ。
霧状分解はセナの大絶叫により引き起こされた現象の中で、最大の惨劇と言われている。大絶叫によりこの世界の生物の7割が霧状分解した。セナの叫びにより生物の細胞構造が変化。細胞のひとつひとつが目には見えないナノレベルのマシーンへと変貌する。そのナノマシンの大きさは0.1~100nmほど。ひとつひとつが高性能のコンピューターシステムとなっている。しかし実際にそのコンピューターシステムが起動することはなく、無数のナノマシンは無秩序に空気中を漂い始めた。
先ほども言った通り生物の7割が、ナノマシンと変貌し霧状分解に分解された。生き残った者たちはそのナノマシンを研究することにより、そのナノマシンそのものがセナの弱点であることを突き止める。セナへの直接のアクセスがナノマシンを利用すれば可能であると。
セナの大絶叫は断続的に続いていた。そのたびに地上は突如として現れる構造体に埋め尽くされ、残り少ない生命も霧状分解されていく。その惨劇に終止符を打つために設立された研究機関がNBRだ。NBRはセナを止めるための方法として、ナノマシンを利用したセナの破壊を計画した。分解された生物はナノマシンとしてこの地球上を漂っている。いまこの場の空気中にも存在しており、あなた方は呼吸する度そのナノマシンを吸い込んでいる。しかしナノマシンの実際の機能は停止しており人畜無害だ。そのナノマシンにウイルスプログラムを設定し、セナに直接注入する。それがNBRの計画の概略だ」
「……その計画に私たちが利用されたってこと?私たちの意思を完全に無視して」
「その通りだ。カナ。君は大絶叫を受け、霧状分解されながらもその形姿を保つことができる唯一の例として発見された。NBRが君の存在を確認し、保護、研究することで、君はナノマシンを意のままに操っていることがわかった。」
「あれが保護だなんて」
カナは吐き捨てるように言った。
「君は人類の希望だ。自身の体を意のままに霧状分解し、セナと接触できれば彼女の暴走を止めることができる。そのためにNBRは実験を行った。ナノマシンがどのような性質を持つか調べるために」
「裸にされて、手足を拘束された。耳をつんざくような音を立てる高圧の電流を流された。全身が焼け焦げるようで、気絶しそうなくらいの吐き気が襲ったけど、意識を失うことはできなかった。体のひとつひとつの細胞が、自我を持ったように痛みを感じて、悲鳴を上げた」
カナは自身が受けた実験の記憶をつぶやくように言った。
「裸にしたのは、全身を分解させれば衣服など関係ないからだ。電流を流したのは、それによって活発化するナノマシンについて分析するため。それにひとつひとつの細胞という表現は正確ではない。君は細胞ではなく数兆個のナノマシンにより構成されている」
もうちょっと言い方があっただろうに。カナが灰色の瞳で
「……君たちはセナを止めなければならない」
「セナを覆う構造体。もともとはHRM社があったその場所へ向かい、セナの暴走を止める。それがあなた方の目的」
「なによそれ」
カナは目を真っ赤にして叫んだ。
「私は帰るわ!セナがどうしようと関係ない!どうせ大絶叫が起こっても霧状分解しないんだし!」
「……」
僕は何も言えなかった。確かに正論ではある。大絶叫で分解されないカナが、セナの暴走を止める必要性はない。
「いえ、大絶叫だけが脅威ではない」
「セナがもたらした惨劇の一つ。構造体の出現。それは単にビルなどを模した巨大構造物だけでなく、我々にとっての脅威も生み出した」
その瞬間、
沈黙。空気が流れる音だけが鼓膜を揺らす。
いや、気配が。何かが近づいてくる。ちょうどこの部屋の窓の外から。
「噂をすればなんとやらと言うのかこれは。」
僕は、右腕を霧状分解した。そして窓に向けて霧散させた瞬間、
勢いよくガラスが割れて、人のようななにかが飛び込んできた。
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