ATHERA アスエラ
2051/10/3 3:00
「…どこだ!さがせ」そんな声が慌ただしい足音と共に通り過ぎる。
僕とカナは真っ暗な倉庫に身を潜めて、僕たちを探す研究員と警備員をやり過ごした。
きぃっと音を上げるドアを慎重に開いて、赤く染まった廊下を見る。周りには誰もいない。
「いくよ」
肩をさすりながら青ざめた顔をしているカナに呼びかける。カナは黙って立ち上がり、ゆっくりと僕の後ろをついてきた。
ぺたぺたという足の裏が白い床にくっついては離れる音をなるべく小さくしながら歩く。けたたましいブザー音が鳴り響いているから、他の人には聞こえないだろうが、それでも慎重に進まなくてはいけない。あともう少し、サラの研究室にはこの先に見えている廊下の角を曲がり、まっすぐに進めばたどり着ける。
びりびりと骨の髄から痛む足をかばいながら廊下の角についた。
ばくばくと脈うつ心臓を右手で抑えながら廊下の角に背をつけて身を隠すようにする。
顔を出して廊下の先を確認しようとした瞬間、
「…!」
思わず声にならない声を上げてしまった。
顔を廊下の角から出した瞬間、赤く照らされる白衣が目の前にあった。
さっと身を隠し、カナの手を掴む。
「ケイ!カナ!」
聞きなれた中年女性の声が背後からかかる。
「よかった、無事だったのね」
廊下の先にいたのはサラだった。
サラは僕とカナの姿を確かめると、ブザー音をBGMに安堵の言葉を述べた。
彼女はカナのおびえる姿を見て、すぐにカナを抱きしめた。大丈夫、大丈夫よと静かに声をかけながら何度もカナの背中をさすっている。
「サラ、僕らは、」
僕はそんな光景などお構いなしに声をかける。何が起こったのか説明しようとした。カナが研究員を殺してしまった。過失ではあるものの、その事実は、僕らを処分する理由として十分なものだ。サラが賛同するかはわからないが、僕はここから逃げるつもりだった。
「カナ、立てる?」
サラは僕の質問にすぐには答えず、カナの手を引いた。カナは感情を失った目をしていた。放心状態だが、うなずきながらのっそりと立ち上がる。
「私の研究室の裏口から出ましょう」
額に汗を浮かべながらそう答え、早足で廊下の先の自分の研究室へ向かった。彼女の背中を追う。痛みのあまり呼吸もうまくできない。肺に空気をいれようとするとあばらの内側に、レーザーで焼かれているような痛みが走る。後ろを少し振り返る。カナもまた青ざめた顔に、汗をびっしりとこびりつかせながら歩いている。彼女も僕と同じ痛みに耐えながら、歩みを進めているのだろう。
「ふっ、ふぅ、ふぅ」
息を吸うことすらままならなくなり、頭が痛くて気分が悪い。紐で頭を締め付けられているようだ。
僕は壁に手をついて歩みを止めた。その時、少しだけ壁が振動していることに気付いた。
急いで右横腹の一部を黒い霧にして霧散させる。そして通ってきた廊下の角までその霧を進めた。これでははっきりと確認することはできないが、足音は聞き取れる。3,4人の足音が聞こえる。しかも近い。
「サラ、もう、そこまで、来てる」
僕は廊下に手をつきながら進む。サラは研究室の入り口の前で待っている。「早く」と急かすような声が聞こえるが、頭がぼおっとしてはっきりと聞こえない。
「…っ」
体が崩れおちるのを感じる。前にのめり込むように倒れる。足ががくがくと震えて力が入らない。おまけに視界もはっきりとしない。
まずい、もうそこまできているのに。廊下の先にとばした黒い霧が、先ほどよりも大きな足音を感じとる。それが脳に直接響く。
「立って…」
後ろから声が聞こえて、僕の右肩を持ち上げようとしている。
はっきりとしない視界でそちらを見ると、それはカナだった。カナが細い腕で僕の体を抱えようとしている。
「早く!」
正面からサラの金切り声が聞こえる。そして同時に「いたぞ!」という知らない男の声が僕の頭を通り過ぎる。
「…っ」
僕は強い重力に逆らうように、足裏で地面を蹴った。
息が整わない。ぜぇぜぇと息を吐くが吸うことができない。肺が痺れて感覚がない。黒くぼやけたような視界で先にいるサラの姿が何重にも重なって見える。
それでも、壁に身を預けながら前に進む。足は相変わらず震えて力が入らなかった。だが足裏は、地面を踏みしめている感覚があったからそれを頼りに歩数を数えながら進んだ。
「ケイ!」
またサラの声が僕の鼓膜を叩く。聞いたことのない彼女の叫び。顔を真っ赤にして必死の形相で叫んでいるのが頭に浮かぶ。
あと、もう少し。
そう思った瞬間、いつものあの痛みが全身を駆け巡る。
「あぁっ…!」
痺れているはずの肺から勝手に空気が漏れ出して、声にならない声が出る。それと同時に体中が、芯から火傷したかと思うほどの、肉が焦げつくような痛みに襲われる。
僕と同じように叫ぶ声が横からも聞こえた。
横でカナが倒れている。右半身が黒い霧となっており、バチバチと電流がながれる音を響かせながら激しくうごめいている。
背後を確認する。そこには、ライフルを構えた警備員の姿。彼らが撃ったのは弾丸ではない。電流だ。霧散することができる僕らの体に、通常の弾丸は効果がないが、高電圧の電流には為す術がない。
僕は自分の下半身が全て霧散していることに気付いた。感覚だけがなくなったのはではない。下半身ごと分解されていた。戻すのには時間がかかる。
僕は肘までしかない右腕と、左腕を交互に前に出す。足の代わりに腕で地面を掴むようにして前に進む。視界は相変わらずぼやけたまま。肺も痺れるどころか先ほどの電流で焼けたように痛む。全身がねじ曲がりそうなほどの痛みを感じて、悲鳴を上げている。けどもうお構いなしだ。
「……エラ!」
サラの叫ぶ声が聞こえる。
「あなたはケイとカナを!」
「……あなたはどうする?」
「黙って言うこと聞きなさい!」
「……了解」
なんだ。サラともう一人誰かがしゃべっているようだ。声が耳に届く。サラとしゃべっているのは、雑音が混じった、まるで機械がしゃべっているような声だ。
僕は顔を上げて声の方向を確かめようとしたが、目に前に黒い幕が下りたように、視界が完全に閉ざされていた。おそらく顔まで霧散しかけているのだろう。それなのに全身の火傷のような痛みは残ったままだ。
体が宙に浮くような感覚がした。
まるで誰かに持ち上げられたかのような。
「……サラ、またいつか」
僕の顔の近くで、誰かがつぶやくようにそう言った。固い腕に抱えられたような感覚が腹に伝わる。
「カナは、」
僕は機能していない肺に、わずかに残った空気使って声を出した。
「一緒にいますよ」
そんな機械音の返事を聞いた瞬間、僕の意識はぷつりと途絶えた。
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