星になった少年
平嶋 勇希
脱走
2051/11/18 16:30
夕日の赤と空の青が混じった、優しい紫色をした空を見つめていた。ため息がでるほど美しい空を、細かい光の線がいくつも駆けていく。まるで流星のようだがその速度はゆっくりとしていて、空気の抵抗に懸命に逆らうようにして地上を目指しているように見えた。
あの中にいるんじゃないか。
私はそう思った。もしかしたらまだ生きているのではないかなどという考えが一瞬だけ頭をよぎったが、その可能性は限りなくゼロに近い。ケイは逝ってしまった。星となって、あの中の一つとしてこの地上に降り注いでいるのだろう。
「せっかく仲良くなれたと思ったのにね」
誰も聞いていない。私と一緒に脱出した
もともと、ここ数週間は私の周りにはケイと
いまこの小高い丘でゆったりと流れる星を見ていた。視界の端に見えるのは灰色のビルが乱立する空中都市。
風の音だけが耳の中をくすぐる。
もう何もする気が起こらなくなって、体から力が抜けた。目に押しとどめて溜めていた涙がするすると流れる。私はこの現実を認めたくないからゆっくりと目を閉じた。
2051/10/1 12:00
――私は訳が分からないままここに放り込まれた。
白い壁に囲まれた実験室にあったのは簡素なパイプベッドが二つ。そして右側のベッドには――10代中盤くらいだろうか――か細い少年が座っていた。私はまさか自分が暮らすことになる部屋に先客がいるとは思っていなかったから、驚いて立ち尽くしてしまった。少年は顔だけをこちらに向けて私をじろじろと見ていた。私はごくりと唾を飲み込んでもう片方のベッドへ移動した。
一つの部屋に名前も知らない少年と二人きり。入り口はガラス張りで廊下からこの部屋の様子は丸見え。プライベートなんて言葉はこの施設には存在してないみたいだった。
「どこから来たの?」――私は少年の問いを無視していた。
「名前は?」――
挨拶も無しに質問してきた少年の顔は、青白くて血が通ってないのではと思うほどだった。私と同じようにNBRの研究員から様々な実験を施されて疲弊しているのだろう。私はガラス張りの入り口を見た。そこにはうっすらと、私とケイの顔が映し出されていた。私も人のことは言えない、ひどい顔色をしている。震える指で自分の顔の輪郭を撫でた。
「――」
彼はベッドの上で膝を抱え込むように座って、立ち尽くす私を見上げていた。顔色は悪いし、頭に数本浮いている白髪が目立つし寝ぐせもなおしていない。正直言って不潔だ。けど眼光だけは鋭く私の胸を突き刺すような目つきをしていた。
「なぜここに?」――私は黙っていた。目の前にいる少年が味方なのか見分けがつかなかった。
「君もできるのかい?」――
「君も、って?」
私は思わず聞き返してしまった。
「霧状分解。君もナノマシンなのかい?」
ここにいる時点で予想はついていた。彼も私と同じなのだ。
2051/11/18 16:00
――目を開けているはずなのに、瞼を閉じた時と同じ闇が広がっている。
戦いは終わった。先ほどまで聞こえていた
闇の中で宙に浮いている感覚がする。けど実際はわからない。自分の手足があるかどうかすらもわからない。手や足をばたつかせても動いている感覚がない。
息は、吸えている、と思う。何の香りも、温度もない空気が鼻を流れているような気がする。いや、吸えているかどうかもわからないから、ただ風が僕の鼻の穴を通り抜けていっているだけかもしれない。
――僕の言葉は届いているのだろうか。
届いていたらそれはそれで恥ずかしいな。もうどうせ死ぬからと本心をぶつぶつと垂れ流していたらそれを
僕は今ここで独りだ。闇の中で、何も見えなくて、何も聞こえなくて、手足の感覚もない状態で独りきり。けど頭の中にある思いが浮かんでいてそれがこびりついたように離れない。
「僕だって…」空気を吐き出すようにして言葉を声にしてみたが、それがこの闇の中で響くことはなかった。声が出なかった。
声ってどうやって出すんだっけ。
体の自由がこの闇に奪われている。どうやって自分の体をコントロールしていたのか思い出せない。
ゆっくりとした時間の流れに身を任せているうちに、次第に目や耳や鼻がさらさらと流れていくような感覚に襲われた。まるで砂を両手ですくった時に指の間からこぼれ落ちていくようなそんな感じだ。
さらさらとその感覚が体の表面から胸のあたりに近づいていく。そして心臓あたりまでこぼれ落ちていくような感じがした時、突然眠たくなった。僕はやさしい眠気に身を任せて溶けるように目を閉じた。
2051/10/1 12:00
全身がびりびりと痛む。身体の表面だけではない。身体の奥底が痺れている。それどころか身体を構成するひとつひとつの細胞が意思を持ったように叫びをあげている。もう耐えられないと。
僕はいつもの真っ白な部屋に戻った。そこにはカナがすでにいた。先に実験を終えたのだろう。ベッドの中で、布団を頭からかぶり横になっている。
足を地面につくたび、下から電流が走ったように痛みが全身を駆け巡る。身体が焼き尽くされてしまうほどの痛みを一歩一歩我慢しなくてはいけないからここに戻ってくるのにも時間がかかる。
お尻をかばうようにしてパイプベッドに座る。キシキシとパイプベッドの金属がこすれ合う音が鳴る。
僕は、部屋の隅にある丸みを帯びた監視カメラを上目遣いで見つめた。そして数秒後、白い部屋の中に声が響き渡る。
「ケイ、今日もお疲れ。ゆっくり休んで。どうしても熱が引かなかったら前みたいに言ってね」
中年女性の柔らかい声が僕の鼓膜を揺らした。
その声は、スピーカーから流れており、監視カメラの先にいる研究者から発せられたものだ。
「来てくれなかったじゃないか」
僕はなるべく低い声で悪態をついた。
「ごめんね、あの時は、邪魔が入ってしまって」
「…いいよ」
つまりながら謝る彼女の表情が頭に浮かぶ。僕は少しだけ申し訳なくなって、静かにそう呟いた。
「サラ、次はいつ?」
「二日後よ」
「わかった」
僕はそう返事して、すぐにベッドに潜った。スピーカーから少しだけノイズが聞こえる。サラが僕に何か言おうとしているのだろう。唇を結んで言葉を選んでいる彼女の顔が思い浮かぶ。僕が彼女の言葉を待つことなく布団の中に顔を隠すと、スピーカーから「またね」という言葉と、ぶつりと通信が切れる音が聞こえた。
――
次の日、僕がベッドの上で何をするわけでもなくぼぉっと目の前にあるぐちゃぐちゃになっているシーツと布団が乗ったベッドを見つめていた時。廊下からぺたぺたと足音が聞こえた。まるで何かから逃げるような足音。
僕はだるくなった首をゆっくりと回してガラス張りの入り口に目を向けると、足音が近づいてきてカナが現れた。ぼさぼさの長髪。目を見開いて肩で息をしている。今日は彼女の実験の日だ。実験の直後によく早足で歩いてこれたなと感心した。
カナは勢いよくドアを開けて中に入ると、入り口近くでよろよろと倒れ込んだ。
入り口のドアはひとりでに閉まり、かちりと自動でロックがかかった音がした。
カナは座り込んで肩で息をしたまま動かなかった。と思ったら突然、女の子らしくない声を上げながらえずき始めた。上半身が痙攣している。まるで胃をそのまま吐き出してしまうのではないかというほど体が揺れて、彼女の口からはだらだとよだれが垂れていた。
僕は心配になってゆっくりと立ち上がり、なるべく早足で、かつ、先日の実験のせいで痛む足をかばいながら彼女に近づいた。彼女の背中をなでようと屈んだところで、ドアの向こうにいつのまにかサラがいることに気付いた。サラだけではない。もう一人、後ろに黒ぶち眼鏡の男の研究者が立っていた。
サラはカナを追って走ってきたのだろうか。彼女も肩で息をしていた。そして眉毛を下げて心配した表情でカナを見ていた。
何が起こったのかはわからなかった。だが僕は心配してカナの背中を撫でた。するとカナは「触らないで」と僕の手を勢いよく払った。だがその手に力は入っておらず、またすぐに動けなくなった。明らかに消耗しているのが見て取れる。
サラが屈んで、ガラス越しにカナの目を見つめ、口を開けたり閉じたりして何を言おうかと迷っている。どんな言葉なら彼女を励ますことができるのだろうと必死で考えているからだろうか。額には汗が浮かんでいる。
「もう、いや」
カナがつぶやいたのを聞き逃さなかった。ガラスの向こうの二人には聞こえないくらいの、鈴の音くらいの声だった。だが、彼女の背中が膨らんだのと同時に悲痛な叫びが部屋の中に響き渡った。「もういやだ」とカナが叫んだ。ガラスの向こうのサラに向かって。ぼさぼさの長髪が揺れている。肩をわなわなと震わせながらガラスの向こうのサラに向かって叫び続ける。肺が膨らんで破けてしまうのではないかというくらいの声量で、僕の鼓膜に彼女の声が何度も突き刺さった。もういやだ、こんな痛み耐えられえない、焼け死んでしまいそう、家に帰りたい、家族に会いたいだけと何度も叫び続けたが、最後の方は声も出なくなり、うつむいて床に顔を伏せて嗚咽を混ぜながら、枯れるほどに泣いていた。
「ごめん、ごめんね」
サラはカナが叫ぶたびになだめようと落ち着いてと声を上げていたが、自分の声がカナの耳に届かないことがわかると無念の表情と、どうにもできない悔しさの色を瞳に浮かべて、ただ静かに謝っていた。
カナがどんと手のひらをガラスにつけた。爪が真っ白になっており赤みが一切なかった。その手は先ほどとは違い、ガラスを押し割ってしまうのではないかと思うほどに力が入っていた。肩から肘、手のひらから指先までわなわなと震えていた。
カナの手がガラスについた瞬間、サラが怯えた顔をした。だがカナから目を離さないようにして涙を流しながら、彼女もまた震える手をガラスに押し当てた。僕は、ゆっくりと瞬きをしてそれを見つめていた。そして振り返って、また足の痛みに耐えながらベッドに戻った。
2051/10/3 2:00
回数を増すごとに痛みが増していく。びりびりとした体中を焦がしつくしてしまうような激痛が引いていかない。ベッドで寝ているだけで焼けるように痛い。実験直後はいつも寝れない。朝まで痛みと対話しなくてはならない。
この日もいつものように、筋肉がぶちぶちと切れてしまっているのではないかというほどの、激痛のリンチに遭っていた。目をぼぉっと開いた状態で、なるべく短く静かに呼吸をする。「痛み」の機嫌を損ねないように僕は身をひそめるようにしてベッドで横になっていた。
その時、きぃっとドアが開く音がした。
僕は、さっと起き上がろうとしたが当然それはかなわず、布団の中でじっと身を固くしていた。
誰が入ってきたんだ。
それだけでも確かめようと、ガラス張りの入り口に目を向ける。
だが中央の入り口に背を向けた形で横になっていたからどうしても入ってきた者が誰なのか見ることはできなかった。
足音を立てないようにそろりと入ってきている様子だったが空気の流れが変わっているのを僕は体中で感じ取っている。
姿は見えない。僕の一部を音を立てずにカナのすぐ近くに飛ばしてみた。
侵入者はカナのベッドの足元にいるようだった。一体誰なのかということまではわからない。サラだろうか。
僕は、意を決して体を起こそうとしたその瞬間、耳をつんざくような叫びが部屋の中で響いた。
僕は体の痛みを忘れて飛び起きた。そこにはベッドの裏に隠れながらぶるぶると震えるカナの姿と、暗闇の中に白衣の男の姿があった。男は確か、この前、サラの後ろにいた研究員だ。
僕は右腕の先を分解させた。肘から先が無くなった。そして代わりに分解された右腕は黒い霧のようにもやもやとした物体へと変化した。僕はその黒い霧のひとつひとつを自由自在に操ることができる。実験のすぐあとだから、やけどをしたように右腕(だったところ)が痛むが問題はない。僕が腕を上げて黒い霧を男に向けた瞬間、
カナが叫んだ。
それは、「大絶叫」を彷彿させるような、恐怖で相手を身震いさせるような叫びだった。彼女の中にある恐怖が体から溢れ出しているようだった。
黒い霧がぶるぶると揺れる。彼女の叫びに同調するように。
カナが叫ぶと、カナの体が黒い霧に覆われ始めた。僕のこの右腕と同じような黒い霧。カナはそれに気づかず泣き叫んでいるようだった。そして少しずつあとずさりしている。カナは叫び続けている。そのたびに黒い霧が濃くなる。そして黒い霧、というよりはその濃度が濃くなり黒いぶつぶつのようなものが次第にカナの体を覆いつくした。
男がカナの叫びを押し返すように大声で「よせ、やめろ」と言った。
だが、それを合図にカナの体を覆っていた「黒」が飛び出し、男に噴出された。カナは何が起こったのかわからず、ただ自分で制御できないその「黒」にも恐怖して叫び続けた。
ぼたぼたと汁が滴る音がする。
それは「黒」に覆われた男の方から聞こえた。
水よりも粘土が高い液体がぼたぼた、ぼたぼたぼたと地面を鈍く叩く。次第にその音の感覚が近くなる。
「カナ!やめろ」
僕は叫んだ。それと同時に右腕をもとに戻した。このままでは男を殺してしまう。
だがカナには僕の声が届かなかった。
「黒」の中から男の腕が伸びてきた。そして「黒」を突き破ろうと、男の顔が出てきた。しかしその様子は先ほどと一変していた。腕も、顔も、赤黒く、ただれたようになっていた。まぶたは切り裂かれたようになっていて目玉が飛び出そうとしている。それでも男は生きていた。「黒」がぶつかったことによって切り裂かれた真っ赤な腕をカナに伸ばしていた。
カナはそれに恐怖してまた叫んだ。そしてとどめを刺すように「黒」の圧力が強くなる。男の腕と顔はやがてその肉さえも「黒」に切り裂かれようとしていた。僕はたまらず飛び出して後ろからカナを抱きしめた。彼女を薄くまとっている「黒」が僕にも突き刺さる。
「カナ!大丈夫、怖くないから」
僕は彼女の耳元で大声で、かつなるべく優しさを込めて言った。けど「黒」が勢いを止めることはなかった。
「…いけ」
僕ははっと顔を上げた。「黒」に包まれた男の方を見た。確かに聞こえた。彼の声が。小さかったが何かを言った。
彼の腕と顔の肉は剥げ、赤黒い肉の底から白い骨が見えかかっていた。そして、伸ばし続けていた腕がだらりと下がった。
その瞬間、「黒」が動きを止めた。そしてゆっくりとカナの左足とお腹に戻っていった。
静寂。
その後、ばたりと音がした。
目の前の肉体が力なく床に倒れ込んだ音だった。
僕は震えるカナの体をこちらに向けて、男だったものに目を向けないよう抱きしめた。
彼女の体は氷のように冷たかった。だから僕は、僕の熱でなんとか暖めようと腕を彼女の体に巻き付けるようにして腕を回した。
何とか落ち着こうとゆっくりと呼吸をしてみたが、彼女の、本能を震わせるような恐怖の叫びが、まだ耳の中を反芻しており冷静になれない。
「……」
僕は開かれたままの扉を見つめた。
次の瞬間、部屋の中に聞きなれた小さなノイズがなった。
そしてそのあと、「逃げてっ」
サラの声が聞こえた。
その声色は焦燥に染まっていた。額に冷たい汗が流れる。
カナは動く気配がない。震えてたまま膝を抱きかかえ、うつむいている。
「カナ、行くよ」
そう声をかけてカナの体を引き寄せて抱きかかえたまま立ち上がる。
「……っ」
無数の太い針を骨の髄まで差し込まれたような痛みが全身に走る。
「…もう、いや」
彼女がつぶやいた。
その瞬間、僕は前のめりに倒れ込んで、彼女を放り出してしまった。彼女は何が起こったからわからず、腰を地面にぶつけてしまった。
痛みの限界値を超えたのか、なんの前触れもなく足から力が抜けて倒れてしまった。地面に打ちつけた膝の皿がじんじんと痛む。
「悪いけど、自分で歩いて」
僕は歯を食いしばりながら立ち上がり、力なく床に伏せる彼女にそう声をかけた。
彼女を通り越してガラスの扉に手をかける。ブザーが鳴り響く。心の海をざわざわと揺らすような、恐怖を煽るようなブザー音。そして、廊下のライトが赤く灯る。
まずい。人が来る。
僕は後ろを振り返る。
カナはまだ床に伏せていた。動く気配すらない。
ブザー音と赤いライトに焦燥を駆られていた僕は、息を吸い込み、叩き込むように言った。
「逃げるんだよ、死にたいのかっ」
彼女の体がびくっと痙攣した。
カナは涙で真っ赤になった顔を上げて、のろのろと立ち上がった。
…
「どこに行くの」
「先生のところだ。」
廊下に出た僕は右腕を黒い霧にして、周囲に霧散させた。バタバタ足音のが聞こえる方を避けて、僕はカナの手を引いて、サラの研究室を目指した。
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