ソロ・ワーカー
南木
一人仕事
名門貴族ラカーユ家に仕えるたった一人のメイド……エスティリーナ・スミトは、この日も一人で屋敷内の掃除をしていた。
黒い長髪に小豆色のクリっとした瞳が特徴的な美人で、年齢も20になるかならないかという若さながらも、それなりに広い貴族の邸宅をたった一人で管理する、凄腕の使用人であった。
その雰囲気も実に瀟洒で、すらっと伸びた背筋と一部の隙もなく着こんだ丈長のメイド服姿は、まるで彫刻のような美しさがあった。
「さて、お屋敷のお掃除はこれで全部ですね、後は今日の夕食の用意を……おや、来客? どちらさまでしょうか?」
エスティリーナが掃除を終えた直後、ドアノッカーが玄関をたたく音が聴こえた。
彼女は玄関に赴くと、郵便配達員がラカーユ家の当主、リューリ宛の手紙を持ってきた。
「ごめん下さい、ラカーユ様宛に郵便です」
「これはどうもご丁寧に」
郵便配達員から受け取った便せんには、送り主の名前は書かれておらず、ただ「ラカーユ家当主様へ」とだけ記されている。
封筒を開けて中身を読んだエスティリーナは、一瞬眉間にしわを寄せ、厳しい表情をするが――――――
「エスティ~っ、お客さん来たの?」
「あら、ご主人様。特に来客という訳ではありませんでしたので、すぐにお帰りになられましたが…………」
可愛らしい声が聞こえて、エスティリーナは即座に手紙をポケットにしまい込む。
エスティリーナのところに駆けつけてきたのは、海のように深い蒼色の瞳が特徴的な、銀髪の少年――――この屋敷の当主にして、エスティリーナの雇い主、リューリ・ラカーユだった。
リューリは、前当主が暗殺されたのを皮切りに巻き起こった、親族同士の大内乱の中で奇跡的に唯一難を逃れた人物であり、まだ13歳であるにも関わらず、ラカーユ家の莫大な財産をたった一人で受け継いでいた。
親族がリューリを除いて全滅したとはいえ、いまだにあの手この手を使って財産を狙う輩が後を絶たないため、信頼が厚い凄腕メイドのエスティリーナがたった一人で、主人を守っているのである。
「あの……エスティ、まだお夕飯じゃないのに、お腹がすいちゃったんだけど……」
「お腹がすいたのですか、それは大変です。すぐに軽く食べられるお菓子をおつくりしますので、台所に行きましょう」
「やったぁ! ありがとうエスティ!」
「いえ、ご主人様は伸び盛りですから、空腹のときはいつでもお申し付けください」
小腹がすいて空腹で困り顔もなかなかかわいいが、喜ぶ顔もとても愛らしく、エスティリーナは危うく鼻から
「ところでエスティ」
「なんでしょう?」
「いつも野菜を届けてくれるマーサおばさんから聞いたんだけど、近頃都で家の人を皆殺しにする盗賊が出るって聞いたんだけど、うちは……大丈夫かな?」
「ご主人様…………」
リューリの言う通り、近頃この国の首都とその近辺では『ブラッドファントム』という名の盗賊が出没していた。
ブラッドファントムは、数年前までは驕り高ぶる金持ちから金品を奪い、それを貧しい人々に分け与える義賊であり、盗みに入る家には前もって「予告状」を投げ込むという変わった習性を持っていた。
だが、最近盗賊も気が変わったのか、盗みに入った家の住人や護衛を手に掛けるようになり、全財産を丸ごと奪っていくようになってしまった。
ひそかにもてはやされた義賊の心変わりに、都市部の人々は戦々恐々とするほかなく、いまだにその正体もつかめていないのだという。
「ご安心ください。ご主人様にはこのエスティリーナが付いております。ご主人様の命は最優先でお守りしますから」
そう言ってエスティリーナは、リューリをその胸にぎゅっと抱きしめ、小さくて暖かくていい匂いがするご主人様を堪能すると同時に……ポケットに入っていた手紙を、くしゃくしゃに握りつぶした。
エスティリーナがポケットの中で握りつぶした手紙は、以下のような内容だった。
「予告状――
無知蒙昧にして死すべき
あなた方の宝と命を、すぐに頂きにまいります
楽しみにお待ちください
『ブラッドファントム』――――」
×××
夜になり、エスティリーナとリューリはともに夕食を摂り、ともに入浴し、ともに読書をして過ごした。
そしてその日の締めくくりとして、リューリは日記を、エスティリーナはリューリの成長記録を記して就寝する。
もちろん、ベッドで寝るときも二人は一緒だ。
「ご主人様……お休みになられましたね」
自分の胸元で寝息を立てる主人の寝顔をじっと見つめるエスティリーナは、出来れば今夜中ずっと見ていたいと思っていたが…………リューリが寝付いた1時間ほど後に、彼女は何者か屋敷の敷地に侵入してくる気配を感じた。
ちょうどその頃、屋敷の勝手口の鍵が外から開き、全身を黒い装束に身を包んだ複数人の男が忍び込んできた。
「ははっ、この家は本当に人がいねェ! それなのに金を山ほど持ってやがンだからなァ、もらってくれって言ってるようなもンだろ」
「つまらんな……俺は殺しを楽しみたい。ガキとメイドだけじゃ物足りん」
「オイオイ、メイドは俺が楽しみにしてんだから、すぐに殺すなよ! ギャハハハハ!」
「何はともあれ、やることはいつも通りだ。ぬかるなよ」
『ウッス!』
彼らはどこからか入手した家の図面をもとに、まずは寝室で寝ているはずの二人を始末すべく、灯りの一つもついていない真っ暗な廊下を進み始めた。
ところが、少し進んだところで、廊下の先に小さくい赤く光る何かが二つ浮かび上がった。
先頭を進む小柄な男がそれに気が付き、怪訝に思った直後――――ヒュンと風を切る音がしたと同時に、何かが男の腹部に突き刺さった。
「ヌふぅっ!?」
「なっ……どうした、ダオバ!?」
「ボス! 廊下の先に誰かいる!」
「あなたたちですね、手紙で一方的に来訪を告げた無礼者は。あまつさえ、ご主人様に断りもなく勝手口から入ってくるなど、言語道断」
動揺する男たちの前に、赤い二つの光が硬い足音を立てて近づいてくる。
その赤い二つの光の正体は――――殺気を纏ったエスティリーナの双眸であった。
いつもの丈長のメイド服ではなく、動きやすいミニスカートと半袖のメイド服で、太もものホルダーに長い針を何十本挿して、両手には赤一色の短剣を持っていた。
「てめェ……この屋敷のメイドか! 寝てなかったのかよ!」
「その声、昼過ぎにあの無礼な手紙を届けた配達員ですね。私を見る目がいやらしかったのでよく覚えています。ということは、あなたたちが『ブラッドファントム』……の、偽物ですね」
「偽物だと!? 俺たちは正真正銘本物の…………!」
「知らないようなら教えてあげます。『ブラッドファントム』は、
「はん、だから何だ。噂がどうであろうと、俺たちはやることをやるだけだ。まずはお前の全身を切り刻んでやる。その白い肌はさぞかしいい斬り心地だろう」
「オイまてよ! このメイドは俺のモンだ!」
血気に逸る男二人がそれぞれ剣とナックルを装着してエスティリーナに襲い掛かるが、エスティリーナは姿勢を低くして、まるで幽霊のようにゆらりと短剣を振るった。
「ギャァッ……」
「斬られたか、だがこれしき傷…………うっ」
二人の男が斬撃を受けると、たちまち強烈な睡魔が襲い、あっという間に昏睡した。
彼女が持つ短剣には、強力な睡眠毒が塗られているのだ。
「う、嘘だろ…………どうしてただのメイドがこんなに!?」
「あなたたちは、ブラッドファントムの名前の由来を知っていますか? まあ、知っていたら、このような真似はしないとは思いますが、メイドの土産に教えてあげましょう。ブラッドファントムが侵入した家では、その夜に赤い光が闇の中を駆けるのを見るそうです。そして、それを見た者は例外なくすぐ意識を失うため、最後の最後まで正体がわからないままだったとか」
「…………ま、まさか……お前が!? ひいぃ、助けてくれ………っぅあ!?」
こうして、ラカーユ家に侵入した『ブラッドファントム』を騙る盗賊団は、侵入した5名全員が無力化し、その後すぐ外で逃走経路を確保するために控えていた3人も始末された。
彼らの死体は一度敷地の隅に運び、翌日改めて処分することになりそうだ。
「かつての私の名を騙った盗賊を、私の手で始末するなんて、皮肉としか言えませんね。あの頃は誰一人として殺しはしませんでしたが、今はご主人様を守るため…………」
一仕事終えて、周囲の無事を確認したエスティリーナは、かつての仕事着からすぐに寝間着に着替え、寝室に戻った。
二人用のベッドでは、相変わらず主人のリューリが穏やかな寝顔で寝息を立てている。きっと彼はこの先も、エスティリーナの活躍も、彼女の過去も知らないままでいることだろう。
「本当に……可愛い寝顔。ねぇ、ご主人様。わたし……ブラッドファントムは、一度だけ盗まれたことがあるんです。私の心を、ご主人様に…………。ですが、いつか私は、ご主人様の心を奪い返します。大好きです、ご主人様…………今夜の報酬はこれで我慢しますが、いつかはご主人様のすべてを……」
そう言ってエスティリーナは、リューリの唇に自分の唇を重ねたのだった。
ソロ・ワーカー 南木 @sanbousoutyou-ju88
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