四、 連絡手段

 休み明けの月曜日、今日は朝から雨だ。登校してすぐ、下駄箱のところで僕は固まっていた。僕の下駄箱に小さなメモがあるのだ。羽生中学校の下駄箱には扉がついていない。中身が丸見えの下駄箱に入っている上履きに、風で飛ばされないようにかクリップで小さなメモがついている。メモは二つに折られていて内容は分からないが、メモには白ベースに水色の柄が描いてありどことなくファンシーだ。このメモ用紙を使うとしたら女子だろう。

 女子が僕にメモを残した?いったい誰が?そもそも僕は目立つ方ではない。運動ができないという悪い意味では目立っていたかもしれないが、どちらにしろあり得ない、あり得ない…。なんなら罰ゲームとかで告白させられたとか?いやそれなら直接声をかけるような気がする。…いや、手の込んだドッキリの可能性もなくはないし…。

 立ち止まって思案すること恐らく数秒。我に返ってそっとメモを外して詰襟の右ポケットに入れた。三階の二年B組を目指す。階段を上がりきってから奥から二番目、自分のクラスがやけに遠く感じる。現実感がない。教室に着くと後ろから二番目、窓際の自分の机に荷物を置き、スマートフォンだけ持って、教室を出た。スマートフォン自体はいらない気もしたが防犯のためだ。教室を出て右側の一番近いトイレに行く。個室に入り、鍵をかける。蓋をしたままの便器に軽く座り、ポケットから先ほどのメモを取り出した。

 下駄箱で見たときはよくわからなかったが、水色で描かれていたのは雫だった。水滴があちこちに描かれているようなデザインのそれに、「高宮へ」と宛名が書いてあった。送り主の名前は表には書かれていない。緊張しながら中を開くと、


 高宮へ

連絡先聞き忘れてたから、教えて

やってるかわからないけど、とりあえず、私たちのID書いとく。アプリやってないなら後で声かけて。

()の中はユーザーネームだよ。麻結は本名そのまんまだけど。


 河原奈緒(ナオ)

 ■■■■■■■■


 広瀬麻結

 ■■■■■■■■■■


じゃ、あとでスタンプかなんか飛ばしといてね。そしたら、あんたのも登録かけとくから。


                        奈緒より


 緊張して損した。それと同時にややこしいことしないでくれと思った。何より、普通に声かけてくれればいいのに。すぐさまアプリを立ち上げてメッセージを送ることにした。メッセージアプリを開き、IDの検索をかける。スマートフォン、持って来て良かった。まずは河原さん宛てにメッセージを飛ばす。


『下駄箱のメモ見たよ。心臓に悪かった』

『普通に声かけてくれればよかったのに』


すると、送って数秒もしないうちに返信が来た。


「こっちも登録したよ」

「あんたもフルネーム派なのね」

「仕方ないでしょ」

「普段話さない人同士が話すと悪目立ちするから」


む、そんな言い方しなくてもいいのに。確かにスクールカーストでは下から数えた方が早いけれども。そんなに人目を気にするほど僕はクラス内ではひどい立場だろうか。


『そんな言い方ひどいよ。そんなに僕と話したくない?』


打った後に気が付いた。文章が何か、女々しい。情けない。


「ごめんごめん」

「あんたたまにほかの男子にいじられてるでしょ」


それが何か問題あるだろうかと「それが」辺りまで打っている間に次が来た。


「女子二人が急に話しかけたら」

「それこそ格好のカモでしょ」

「場合によっちゃ」

「ひどくなるかもしれないからね」

「ごめん、ややこしかったね」


瞬間的に頭の中が真っ白になった。そんなところまで気をまわして、河原さんは、メモを残すことにしたのだ。河原さんからのメッセージは続く。


「とりま、連絡は取れるようになったから」

「やり取りは楽になるかな」

「麻結にはなんか打った?」


慌てて返信する。


『まだ』

『ごめん、そこまで考えてなかった』

『気を遣ってくれたんだね、ありがとう』

『広瀬さんにはまだ』

『この後打つよ』


すぐ返答が来た。打つスピードが全然違う。


「了解」

「早めにね」

「グループ作りたいから」


グループ?複数人がやり取りできるグループトークのグループなのはわかるがなぜだろう?


『なんでグループ?』

『まあその方が便利だけど』

「金曜日に言ったでしょ」

「『クロウ』の手助け」

「何ができるかわからないけど」

「ないよりましでしょ」

「それに、友達登録が先の方がいいと思って」

「グループ内からの登録だとなんだか味気ないし」


なるほど、だからか。重ねて申し訳ない。確かにグループを先に作ってから登録をかけることはできるが、それだと挨拶がしにくくなる。順番が後先になるのはあまり良くないと河原さんは考えていたようだ。


『分かった』

『とりあえず広瀬さんにメッセージしてみる』

「お願いね」


河原さんとのメッセージのやり取りは一旦切れた。今度は広瀬さんにだ。先ほどより緊張しながら慎重に打ち込んでいく。さっきよりもさらにフリック入力に時間がかかった。


『高宮です』

『河原さんからのメモでメッセージを飛ばしました』

『友達登録お願いします』


読み返す。文章がとても硬い。ほとんど事務連絡だ。顔文字かスタンプでも入れればよかった。不愛想に感じるだろうと思い、何か打とうかと思案していたら、反応が返ってきた。


「広瀬です」

「登録しました」

「これからよろしくね」


広瀬さんからのメッセージが来たことが、そのことがとても嬉しい。文章にすると硬くなるのがとても広瀬さんらしいと思う。


『こちらこそこれからよろしくお願いします』


こんなことしか返せない自分が悲しくなる。コミュニケーションをとるのが苦手なのは自覚していたが、どうにもならない。ふと腕時計を見ると、予鈴まで一、二分と言ったところだった。朝のショートホームルームに遅れないよう、僕はトイレの個室を出た。


  *


 高宮君とのラインのやり取りを終え、いつものようにショートホームルームで担任の三浦先生に財布とスマートフォンを預けた。

 羽生中学校では、財布やスマートフォンが必要な生徒は、それらを学校に持ち込むことを許されている。しかし、校内での無用なトラブルを防止するため、朝のショートホームルームで担任が回収し、帰りのショートホームルームで返すことになっている。しかし、特に必要があるわけではないであろう生徒がスマートフォンを持ち込んでいたり、担任に預けずに生徒個人が持ってしまっていることもよくある。

 事実、たまに授業中にスマートフォンが鳴る。マナーモードならまだいいが、大音量で音が鳴り響くことがある。電話だとかなりうるさい。見つけ次第、先生たちが帰りまで没収する。

 いつものように財布とスマートフォンを預けつつ、一方でスマートフォンを手元に置いておきたい人の心情も、今日少しだけわかってしまった。気にかかる相手からのメッセージはすぐに見たいしすぐに返したい。そういう理由なのだと。もっとも、そのメッセージの送信元は、スマートフォンを律義に三浦先生に預けていたが。そういえば、奈緒は預けたのだろうか。私が気が付いていないだけだろうか。

 送ったメッセージは冷たい文面になってしまった。冷たい人間だと思われただろうか、心配だ。高宮君からのメッセージは彼の真面目さがそのまま出たようなものだった。土曜日の昼から変に意識しているせいで、まともに高宮君の方が見れない。後ろ姿は何とかなるが、真正面は厳しい。

 日曜日に来た奈緒からのラインでのやり取りの提案は、現状まともに話せそうにない私には渡りに船だった。しかし、いつまでもこのままではいけない。

 そもそも、高宮君はよく本を読んでいるから、私は「何の本読んでるの?」と話しかけやすい。一方、奈緒は高宮君との類似点がぱっと思いつかない。クラス内で他のクラスメイトに違和感を感じさせずに話しかけるきっかけを持っているのはどちらかと言うと私なのだ。

 さりげなく、自然に、クラス内で高宮君と会話できる間柄になるためには、奈緒が話しかけるより、私の方がいい。しかしその「自然に」が今の自分にはできそうになかった。

 モラトリアムは少しだ。そう思っていないといけない。しかし、今は少しだけ、ほんの少しだけ待ってもらいたい。

 そんなことを考えていたら、自分の前の前の席に座る中田君が板倉先生に指された。そろそろ指されそうだ。

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