三、 地下資料

 指輪云々のことを話した翌日、十一月七日土曜日、現在時刻十時七分。僕は自室で机に向かっていた。僕の部屋は父の部屋と対称な位置にあるが、長方形の長さが違う。父の部屋の方が長い。その長さが違うが横幅は同じ部屋の、入って右奥の、壁を向く形で置かれた机に、僕は向かっていた。

昨日、広瀬さんの母親の一件を聞いた僕は、『クロウ』としての活動にますますやる気が増した。一方で、父の話を二人に話したことで、自分の血筋が何なのか、またこの烏の指輪は何なのかを知りたくなった。

父は必要最低限を教えてくれたように思う。しかし、最低限である以上、分からないこともまだまだある。それに、「これ以上は自分で調べなさい」と言われた以上、安易に聞くのは違うだろう。

ひとまず地下室からめぼしい本を五冊持ってきた。小学生時代から使っている木でできたシンプルな机の上にその五冊が載っている。『風を創る』、『意思の血統』、『陰』、『鳩と烏の話』、『ノケモノとバケモノ』。手がかりがあるかわからないものの、読みやすさ優先だ。地下室の本棚の中には何語だかわからない本と辞書も紛れていた。和綴じされた古典らしい本は平積みにされていたし、漢文の古臭い本もあった。ここら辺に関してはどこから手を付けていいかわからない。そもそも父はすべてに目を通したのだろうか。

 思考を地下室の本棚から目の前の本に戻す。まず、タイトル的に情報が載っていそうな『意思の血統』を手に取る。B6サイズのこの本はタイトルが非常に分かりにくかった。なにせカバーが真っ黒なのだ。本自体を持ち上げてあれこれ見てもタイトルが分からない。開いても奥付を見ても何も書かれていない。タイトルはカバー下に本文の字と同じくらいの小さな字で書かれていた。筆者の表記はなし。この時点でかなり異様な本だ。書誌情報が書かれていない本は自費出版でならできるだろうが、作った人物が何もその手の情報を入れていないのは珍しい。いや、単に表示したくないのだろうか。

 中を開き、目次を見る。カバーにタイトルはなく、奥付がない本でも目次はあった。


 目次


はじめに              四

「意思」              一〇

覚醒の時期とタイミングについて   五三

風化術               一一三

身体強化              一六七

念話                一九四

探知力               二三六

正統継承者とリング         二八五

おわりに              三一九


目次の中に引っかかる箇所を見つける。「正統継承者とリング」だ。父は指輪を受け継ぐ者を正統継承者と呼んでいた。ならば、少しは関係がありそうだ。目次を頼りに二百八十五ページを開く。


   正統継承者とリング


 正統継承者とは我々の中で唯一の存在である。彼らは「始まりの石」を守護する責務を担い、その証としてそれぞれ光の場合は手首に、闇の場合は指に証たるリング身に着ける。彼らを助けることが全能力者の責務であり、義務である。


 これを書いた人は中二病でも患っていたのだろうか。妄想が爆発しているように思う。「始まりの石」とか「能力者」とか、いくらなんでもフィクションだろう。父の本棚にあったとはいえ、これは本当に資料なのだろうか。リングのくだりは当たっていそうな気はするが、そうにしても嘘くさい。「光」とか「闇」とか。しかし、半信半疑のまま、「はじめに」も目を通すべく四ページを開く。


はじめに


これは能力者の血筋に属する者のため、基礎的な知識を書き連ねた本である。決して血筋に属さないもの、あるいは目覚めていないものに情報を開示してはならない。


 やはりフィクションかもしれない。内容が痛々し過ぎる。なんだか頭が痛くなってきそうだ。ひとまず『意思の血統』を読むのはあきらめて、『風を創る』を手に取った。白いカバーに水色の文字が流れるように書かれている。こちらも奥付はない。そして目次もなかった。頭から読んでいく。


風の創り方、操り方の覚書としてこの本をまとめる。まず、自分の周囲をそよ風が舞うイメージを持ち、それを安定化させる。基礎のきではあるがこれができなければ何にもならない。


風は「創る」ものではなく、「吹く」ものだろう。それにイメージで風が吹いたら扇風機はいらない。

 駄目だ。書いてある内容がどれも突飛すぎる。本当に地下室にある本は資料なのだろうか。現実離れした事象を大真面目に書かれた文章はこんなにも痛いものだったとは。頭の中のキャパシティを超えそうだ。『風を創る』を閉じ、天井を仰ぐ。一旦頭を冷やしたい。近所を少し走ってこようか。身体はまだまだモヤシだし、少しでも鍛えておきたい。

 資料もどきをどうしようかと少し考えていると、扉がノックされた。

「悠一、入るよ」

父の声だ。返事を待たずに扉を開き、父が入ってきた。入ってくるなりこちらの手元を見て、

「おお、勉強熱心だねえ、感心感心」

と言った。さりげなく、扉が閉められているかを確認した僕は、そのまま父に目線を持っていき、言い返す。

「父さん、これほんとに資料?」

「ふむ、その様子だと、悠一は『資料ではない』と判断したようだね」

回りくどい言い方はわざとだろうか?煽られているようで腹が立つ。「こんな立派な資料に対して何を言うのか」という意図までありそうだ。イライラする。

「まあまあ、そんなに目くじら立てるものではないよ」

やはり煽っている。

「世の中、何が正しいかなんて、それを判断する当人によって変わるわけだしね」

「はぐらかしてるの」

声がつっけんどんになった。

「違うよ。単なる事実さ」

そう言って、父は勝手にベッドに腰かけた。僕が座っているキャスター付きの椅子をぐるりと真後ろに向けると向かい合う形になる。父はこちらに目線を合わせる。

「例え話だけどね。クラスでAさんがB君を殴った、このとき悪いのはどちらだと思う?」

「今そんな話してない」

「答えて。案外重要な話してるよ今。ちゃんと本題に戻るから」

父はあくまで冷静で、部屋に来てからここまで、口調も態度も、何も変わらない。僕だけが乱されている。それに、指輪の件の時もやんわりとした話ではあったが、結局僕は理解した。今回もそうかもしれない。

 一度深呼吸をして落ち着こうと努める。まだまだ胸の奥で反発心の棘が暴れているが先ほどより小さくなった。

「普通に考えたら手を出したAさんだけど、違うんでしょ?」

今度は少し落ち着いた声になった。

「それはどうして?」

事務的に父が尋ねる。

「話の流れ的に」

すぐ切り返す。

「まあ、そうだね。この後はこう言うつもりだったんだ。『じゃあ、AさんがB君を殴る前に、B君がAさんの体に、しかも彼女が触れてほしくないと思っているところに触れていたらどうする?』」

やっぱりと内心思いながら

「そういうオチだろうと思った」

と言う。すると父は

「さすが、悠一、小説読んでいるだけあるね」

と平坦な声で褒めた後にこう言った。

「では、B君はAさんの体を触れる意思がなかったらどうする?」

「へ?」

一気に肩の力が抜けた。いや、抜かされた。

「偶然、ぶつかってしまっただけだったとしたら、どちらが悪い?」

「それは…」

僕は思案する。偶然とはいえ、Aさんが嫌がることをしてしまったのはB君だ。しかし、Aさんは自分の意志でB君を殴っている。どちらが?どっちもどっちのような気がする。いつの間にか、父のペースだ。いつものことかもしれないけれど。でも、今気になるのはそれじゃない。考え込み始めた僕に父が言った。

「民法的には、両方の状況を証拠を交えて詰めていくけど、この件に関しては、付随する情報によるね。どちらが悪いとは言えない」

「じゃあ、『どちら』なんて聞き方はずるいよ」

「まあね。確かに意地悪だった。でも、もしも悠一がどちらか一方の友人、あるいは自分が好いている人物がその片方だったらどう?冷静に冷酷に、喧嘩両成敗だと言える?」

「それは…」

言える、と言おうとした。でも言えなかった。僕にどちらか一方の肩を持つような友人はいない。でも好いている人物ならいる。彼女がそんな目に遭ったら、僕は触った奴を責めてしまいそうだ。自分勝手に、それと意識しないまま。

「人間はだれしも大小はあれど『主観的』なんだ。自分が見ていたいものを見て、見たくないものには意識的に、無意識的に目を逸らす。正しいと思い込んで、ほかの大勢の人から見て間違ったことをする」

父は僕から視線を外し、机の上に並ぶ五冊の本を見て言った。

「ものの評価もそうだよ。名作になればもてはやされ、駄作の烙印を押されたものは場合によっては手にとってすらもらえない」

もう一度、こちらに目線を戻し、父は言った。

「『良い』のか『悪い』のか、『正しい』のか『間違っている』のか、できる限り主観を入れずに判断するべきという話さ」

僕は父に聞いてみた。父がこの部屋に入ってきた時から、聞きたいと思っていたことを、聞いた。

「…父さんは机の上にある本を『資料』だと、『正しいことが書いてある本』だとそう思うの?」

「それを言ったら、悠一は私の意見に引っ張られてしまうだろう?だから言えないよ。あくまで自分で判断してもらいたいからね」

そう言うと、ベッドから立ち上がり、扉に向かった。

「一応言っておくけれど、母さんには見つからないようにね」

「分かってるよ」

父は扉を閉めて出ていった。言いたいことだけ言って出ていった。机の上の本を見やる。今の自分では、「正しく」価値を判断できないかもしれない。少し考えて、机の鍵のかかる引き出しを開け、その中に五冊の本を仕舞った。鍵をかけ、鍵をスマートフォンケースに着ける。

 ジャージに着替えてスマートフォンとスポーツドリンクをウエストポーチに入れ、ポーチを腰に着けて出発した。うだうだ考えているより何かした方がいい。時間は有限だ。僕は近所を走り始めた。数分で息が切れ始めるのも、もはやお約束ではあったけれど。


  *


 十二時五分前、そろそろ焼くかな。私は自室からキッチンに移動する。我が家のキッチンはごくごく普通のシステムキッチンだ。向かって右側の壁側から二口コンロ、コンロわきのスペースと流しが続き、それらの上下にキッチン収納がついている。普段使いするものは取りやすい下、土鍋など頻繁に使わないものが上に入っている。キッチン中央のテーブルの上には卵液に浸った食パンが、軽くラップをかけられて置いてある。というか、置いておいた。これを見れば、今日の昼食は丸わかりだ。すると、居間でぬいぐるみで遊んでいた茉実がこちらに向かってきた。居間とキッチンを区切る横開きのドアはあるがほとんど開け放しているので、居間からこちらの様子が見えたのだろう。茉実が私に聞く。

「おねえちゃん、おひるなあに?」

どうやら、テーブルの上のものには気が付かなかったらしい。

「フレンチトーストだよ」

「はちみつある?」

「メープルシロップならあるよ」

「やたー」

諸手を上げて喜んでいる。可愛い。我が妹ながらとてつもなく可愛い。シスコンだと言われてもいい。可愛い。でも、街中で見かける子たちも可愛いから、単に子供好きなのかもしれない。どっちでもいい。可愛い。

「危ないからちょっと離れててね」

「はーい」

茉実はぬいぐるみの方に戻っていった。聞き分けのいい子で助かった。でも、もう少し絡んでもらってもいいんだよとも思う。そうなったらなったで邪魔なのではあるが。

 卵液に浸ったパンの入ったバッドをガス代近くに移動し、フライパン、フライパンの蓋、フライ返しをそれぞれキッチン収納の下の戸棚から取り出す。フライパンをコンロにかけ、バターをひとかけ入れる。弱火でバターが溶けるのを待ち、バターが何となく溶けたらパンをそっと入れ、蓋をする。焼いている間に、戸棚からお皿とメープルシロップ、粉糖、ジャム、果物缶、チーズ、ベーコンを取り出す。チーズとベーコンは専ら甘いものが苦手な父が使う。他は私たち姉妹が思い思いに使う。いちごジャムとブルーベリージャム、桃缶を取り出し、多いなと思う。まあ、使わなければそのまましまえばいいしとそのまま出しておく。そうこうしていると第一便が焼きあがる。父と茉実を呼び、各々食べ始めてもらう。

「いただきまーす」

「頂きます」

茉実と父の声に私も答える。

「どうぞー」

 第二便を焼きながら、昨日の放課後の会話から思考が跳び、ふと「クロウ」イコール高宮君だということを改めて考えた。話をしてから幾度となく反芻していたが、あまり実感が湧かない。まだ、『クロウ』としての姿を見せてもらっていないからかもしれない。ん?いや私は一度は会っているのか、十月五日に。

 …あれ?確かその時、私、横抱きに、抱かれ、て……

「おねえちゃん、ずいぶんやいてるけど、だいじょうぶ?」

茉実の声に現実に引き戻され、フライパンの中を覗く。幸い、少々焦げ目が強めについたが、何とか食べれそうだ。

「ごめん、ちょっと焦げ気味になっちゃった」

振り返って二人に言う。茉実は

「だいじょうぶ!」

と言った。父は申し訳なさそうに

「いや、娘に家事を任せている私の方がふがいないから」

と言った。いつもの口癖だ。父は今日も疲れている。人の好さそうな顔に疲労が浮かんでいる。目元にはうっすら隈、方も少しこけている。父の下がり眉は私とよく似ているが、父の場合は困り眉と言った方が正しそうな有様だ。見た目に違わず人が良いため、よく面倒ごとを自ら背負い込んでは疲れた顔で夜遅くに帰ってくる。昨日も帰りが遅かった。曰く、「見ていられなかったから部下の手伝いをしていた」らしい。

「お父さん、いつも帰りが遅いんだから、休まなきゃ」

「そんなこと言ったら麻結も学校あるだろう」

「お父さんよりは余裕あるし、大丈夫だよ」

会話を無理やり断ち切って、コンロの方を向く。かすかに頬が熱い。二人にばれなかったろうか。高宮君に横抱きで運ばれた。先ほど気が付いたこの紛れもない事実がしばらく頭から離れなかった。

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