二、断罪

 放課後、一棟の裏に向かった僕は、広瀬さんと河原さんと落ち合った。二人ともどことなく表情が硬い。

「遅かったわね」

「ごめん、ちょっと手間取って」

嘘だ。本当は連れ立って二人と移動するのが怖かったし、後ろめたかったのだ。両手に花は男なら憧れるものだろう。しかし、その人物は羨望と嫉妬の視線にさらされることになる。僕はスクールカーストでは下から数えた方が早いだろう。そんな奴が女子二人を連れ立って、人気のないところに移動したら、後がどうなるかは考えたくもない。それに、昨日の一件もあり、やはり話し辛い。

「まあ、いいわ。それでさっそく本題なんだけど、何がどうなってんの?」

「ええと…」

ひとまず、昼休みに思い起こしていた、十月二日の父との一件を所々つっかえながら説明する。自分でも、ものすごく説明が下手なことを痛感しながら。

「…ということだったんだけど」

「なるほどね」

広瀬さんは理解してくれたらしい。自分の足元辺りをぼんやりと見つめながら右手を口元に持ってきている。頭の中で情報の整理をしていそうだ。一方、

「?」

河原さんは眉間にしわを寄せながら首を傾げている。怒ってはいなさそうだが、僕の下手な説明では理解できなかったらしい。

「ごめん、なんとなくわかったような気はするんだけど…」

気まずそうにこちらに目線をよこす。こちらこそわかりにくい説明で申し訳ない。

「奈緒には後で私が補足しとくね。それで」

広瀬さんがひとまず話に区切りを入れる。こちらに目線をくれるが僕は何となく目を伏せてしまった。構わず広瀬さんが続ける。

「あのね、私が『クロウ』を探していたのは、単純に自分を助けてくれた人にお礼を言いたかったからなの」

その言葉で僕は顔を上げた。目に飛び込んできたのは、柔らかな笑顔だった。

「ありがとう、私を助けてくれて」

すうっと、気持ちが楽になるのを感じた。てっきり隠していたことにあれこれ言われると思っていたのだ。少し気持ちが落ち着いたところで、河原さんから質問が飛んだ。

「ねえねえ、正体を隠していたのって、父親の口止め?だったんだよね?」

「そう、だね」

若干違うことを自覚しつつ、僕は首を縦に振った。それも理由の一つだから嘘は言っていない。

「んー、ならまあ、しょうがない、のか?」

河原さんは若干納得していない風を醸しつつ、とりあえずは引き下がってくれた。広瀬さんは、少し考えるそぶりをすると、

「そうだ、ちょっと気になったんだけど、『近くにいる生き物の危機が予感として知れる』ってことは、もしかして校外学習中の事故も分かってたの?それで、正体を知られるわけにはいかないから、班から離れなかった?」

「あ、言われてみれば」

二人の視線が突き刺さる。別に当人たちに責めているつもりはないだろう。そう思いたい。しかし、僕にとっては断罪されているようなものだった。

「………」

言葉に詰まる。足元の石が嫌に目に入る。靴の上を歩く蟻の足が僕の足をチクチク刺しているように思う。二人は待っている。視線を上げられないまま、僕はつぶやく。

「…わかって、た」

二人が息をのんだ。話し始めたら、止まらなかった。重たい空気が胸を押しつぶす。苦しい。悲鳴のような声が自分の口から洩れていく。

「分かってたんだ。でも、でも…、怖かったんだ。あの場から抜けるのが、後で何を言われるかと思うと。正体を知られるかどうかじゃなくて、自分の勇気がなくて。もう、自分が情けなくなった。自分の保身のせいで、あの人は傷付いた。救えたはずなのに。助けられたはずなのに。何も、何もしなかったから…」

 あの時の光景が脳裏に閃く。ひしゃげた自転車、動かない男性、響く救急車のサイレン、人々のざわめき。目の前が滲んでいく。駄目だ。泣くな。こんな痛みは小さなものだ。激痛を感じたのは、他でもない事故に遭った当人だ。

 何時間もそのまま立っていた気がする。実際は、数分だろう。いや、数秒かもしれない。ふと、声が耳をかすめた。

「ごめんなさい。こんなこと、聞くべきじゃなかったね」

広瀬さんの声だ。

「あのさ、その、そんなに気に病まなくていいんじゃない?」

河原さんが、珍しく歯切れが悪い。

「えと、その、普通、そんなのわかんないんだし、ルート的にあの交差点の方を通らなかったら、あんたでもわかんなかったんでしょ?」

「そうかも、しれない、けど」

でも、気づいて無視したのと、気が付かなかったのでは大きく違う。

 沈黙が支配する。風の音が鮮明に聞こえる。吹奏楽部の音出しが始まった。準備運動らしい掛け声もあちこちから聞こえる。五月蠅い。学校の喧騒がここから自分を弾き出そうとしているように感じる。

「…あのね」

広瀬さんが静かに話し始めた。

「私もね、助けられなかったの、お母さんを」

僕は顔を上げた。反対に広瀬さんが足元に視線を向けている。両手はきつく握られていた。

「私が十歳の時、臨月に入っていた母親と、散歩に出たの。その時に、自転車に後ろから追突された。お腹にいた妹は助かったけど、母親は、お母さんは、助からなかった。お腹をかばって、頭を打っていたから」

急に周りの音が聞こえなくなった。広瀬さんは静かに続ける。

「私は、その時横にいたのに、何も、何もできなかった」

「…轢かれるところを見たの?」

つい口をついてしまった。河原さんがこちらを睨む。広瀬さんは何も言わない。沈黙は肯定だった。

「…高宮君だけじゃないんだよ。私も業を背負っているの。だから…」

続きは聞こえなかった。でも、広瀬さんの気遣いは、自分の身を切る程のそれは、痛いほどわかった。

「ああ、もう!」

突然の大声で僕も広瀬さんも面食らう。

「空気が重い!」

それはそうだろう。

「あんた!」

河原さんが僕を指さした。

「で、あんたは何がしたいの?」

「へ?」

「昨日だって人助けてたじゃない!誰かほかの人助けたいんじゃないの?」

それは、

「あ、当たり前だよ!」

僕もつられて声が大きくなる。

「なら、それでいいでしょ!」

「?」

「だから、くよくよ悩んでる暇あるなら、同じようなこと起こんないようにすればいいでしょ!」

言い切った後、河原さんは息を切らしていた。周りに聞こえていないといいのだが。

 別の心配に意識を取られつつ、しかしとっくに決まっていた覚悟を再確認させられた。

「僕は、僕の手に届く人たちを救いたい。できる限り多くの人を、救えるようになりたい」

「なら、良し」

空気が和らいだ。さっきの息苦しさはもうない。

「それじゃ、そろそろ限界なので、部活行ってきます」

そう言うと、河原さんはさっさと行ってしまった。

「昨日も少し時間を融通してもらったみたいなの、『クラスメイトが心配』って話して。優しいよね」

広瀬さんがそっと話す。

「あのね、私、高宮君の助けになりたいの」

僕の心臓が一気に跳ねた。

「『クロウ』なら、私と同じような思いをしそうな人を救えるかもしれないから」

ああ、そっちか。安心しつつ少し凹む。広瀬さんが見ているのは素の僕じゃない。

「何か私にできることがあったら、言って」

「う、うん」

広瀬さんは河原さんが去った方向を見ていて、正面切って話しているわけではない。それなのにまともな返答ができない。広瀬さんが左手の腕時計を確認した。文字盤が内側を向いている。その文字盤を見るしぐさが、女性らしい。

「そろそろ、私も保育園寄らないといけないから、帰るね。辛いこと聞いてごめんね」

「いや、それはお互いさまというか」

目が合わせられない。そうだ。今二人っきりだった。

「ふふ、高宮君も優しいね」

また心臓が暴れ始める。苦しい。

「あ、いや、そんなこと、ないよ?」

「そんなことあるよ。じゃあね、また明日」

「あ、うん、また明日…」

僕はしばらくそこから動けなかった。頬の熱が消えるまで、そこに一人で突っ立っていた。


  *


「茉実ちゃん、お姉ちゃんきたよー」

「おねーちゃーん」

先生の茉実を呼ぶ声で茉実がすっ飛んできた。そして私の顔を見るなり、

「おねえちゃんなにかあった?」

と言った。

「なんでもないよ」

「そーお?」

保育園の先生たちに挨拶をし、思案顔の茉実と連れ立って帰る。

 道すがら、今日園であったことを話す茉実の話を聞きながら、私は先ほどのことを思い出していた。

 母のことを、ことに事故のことを話したのは奈緒以来だ。私は高宮君に期待しているのだろうか。そうかもしれない。危険な目に遭いそうな誰かの存在を知る力、そしてその誰かを救える力。そんな力を彼は持っているのだ。私のような思いをする人がいなくなったらいい、そんな途方もない願いが少しだけ叶うかもしれない。

 でも、勝手に期待して勝手に失望するのはやめよう。高宮君は高宮君だ。限界はあるだろうし、何より期待が彼の重荷になってはいけない。だが、自分にできることならば力になりたい。

 自分には何ができるか。でもそれはとんと思いつかなかった。

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