十、観察

 奈緒と情報のまとめをし、気合を入れなおしてから二日経った。「クロウ」に対しての情報は、一向に入ってこない。何もせずにいる訳にもいかないが、まだ特定できるような手掛かりも、「クロウ」が現れたような情報もない現状では、できることも少ない。しかし、見つかる可能性が低くとも探す努力は続けていきたかった。

「それで、とりあえずクラスの男子の運動能力を観察する、と」

そう言いながら、奈緒はブレザーをサッと脱ぐと、ブラウスのボタンを左手一本で外し始める。

「そう」

私はブレザーを脱ぎ、丁寧に畳んだ。

今私たちがいるのは、学校の女子更衣室だ。次の授業は体育。どれくらい運動ができるかを観察するには絶好の機会だ。

「麻結、言いにくいんだけどさ。私、ちょっと気になることがあって」

奈緒が制服のブラウスを脱ぎながら、言いにくそうに言う。

「何?」ブラウスのボタンが外しにくい。

「あのさ、『クロウ』って複数人いるんじゃないかと思って。だから、そのう、麻結を助けてくれた人と、ホームで酔っ払い助けた人は別人なんじゃないかと思って」

奈緒は脱いだブラウスを傍らに置き、体操服にそでを通す。

「ああ、その可能性は低いと思うよ」

私はやっとのことでブラウスを脱ぎ、畳みながら、何の気なしに返答した。

「どうして?黒スーツにサングラスを身に着けて、似た背格好の人が二人以上いれば、複数人の『クロウ』がいる可能性はあると思うけど」

奈緒は納得できていないらしい。そういえば、私も話をしていなかった気がする。

「あのね、私を助けてくれた人も、髪の毛がサラサラだったの」

私は体操服の袖の部分から着始めた。

「でも、髪サラサラの人もそれなりにいるよ」

奈緒はスカートを穿いたままジャージのズボンを穿いた。

「まあね。でも駅で『クロウ』を見かけた保育園の先生、上村先生に、『私もその人に助けられたことがあって、探している。詳細を聞きたい』って言って改めてどういう状況だったか聞いたの」

私は体操服に頭を通す。

「女性だからなのか、よほど印象に残っていたのか、髪型とか色々、細かいところまで話してくれたよ」話し続けながら奈緒と同じく、スカートを穿いたままジャージのズボンを穿いた。

「それで、同一人物だと思ったってこと?」

奈緒は脱いだスカートを畳み始めた。

「うん。私も自分の感覚で覚えていて、うまく言葉にできていなかったんだけど、そういう部分まで一緒だったみたいだから」

私もスカートを脱いだ。

「なら、先に言ってよー」

奈緒がジャージの上を羽織りながら、拗ねたように言う。

「ごめん。この前駅に行った時に話そうと思っていたんだけど、忘れちゃってて…」

私の返答はだんだん小声になる。それと同時にスカートを畳む動きも鈍くなる。

「あの紙見ながら話をした時は?」

奈緒はブラウスを畳み始めた。

「紙に書いてまとめるときに、駅での情報が先行して、書き忘れました…」

私は、スカートを畳み終えた。その一方で、奈緒に申し訳なさが募る。

「はあ…」

ブレザーを畳む、奈緒の目線が下を向く。

「ホントにごめん」着替えは終わった。しかし、この状態で更衣室を出ていきづらい。

「いや、いいよ。人間だもん、ミスぐらいするし…でも、なんか、こう…」

奈緒も着替えが終わったようだが、目線を地面にやったままだ。

「何か気が付いたことあったら、すぐ言うから」

「…ホント?」

「うん」

「…わかった」

許してくれたらしい。本当にごめんなさい。

「まあ、いいや、うん。とにかく、次の体育の授業で運動できそうな奴と、力ありそうな奴を見つければいいんだよね?頑張る」

奈緒は両腕をガッツポーズするようにして、気合を入れなおしていた。奈緒は優しい。でもその優しさに甘えるだけではだめだ。私は私で頑張らなくては。

「…そろそろ、出ようか」

「そうだね」

更衣室はただでさえ狭い。話もきりがいいので、私たちは体育館へ向かった。


 ◇


 体育は我らが二組と三組の二クラス合同で行うので、それなりの人数は体育館に集合していた。今日の体育はバスケットボールだ。体育館内のコート二つを男女で分けて使う。入り口側が女子、ステージ側が男子だ。体育の桐谷きりたに先生が集合をかける。桐谷きりたに先生は先生たちの中でもかなり高身長だ。百八十センチあるかもしれない。それで二十代後半という若い先生なので人気は高い。桐谷きりたに先生の身長と人気のおかげで、生徒たちは時間をかけることなく集合した。生徒たちが集合したのを確認した桐谷きりたに先生は、点呼を取り、今日の流れを話す。準備体操、パス練習の後、試合をするそうだ。試合は女子が三チーム、男子が四チームに分かれて行う。となると、試合の無いときに隣のコートを観察すれば運動神経の良し悪しは目算がたてられそうだ。

 無事パス練習まで終わり、試合に入る。一試合目はAチームである私が試合だったので、試合のない奈緒に観察を頼む。私は運動神経が悪いため、パス練習のときから突き指しかけ、ボールを受け損ねて転がしていたため、それなりに体力も消費していた。そのため、試合終了時は息が上がりきっていた。しかし、やっていたのはコート内を走ることだけである。パスが飛んできても取れないし、壁にもなれない。役立たずである。「お疲れ」と声をかけてくれる三組の相沢さんに申し訳ない思いをしつつ、コート外に出る。女子バスケットボール部の相沢さんは一人で三回ゴールを決め、チームに勝利をもたらした。私との差はまさに雲泥の差だ。しかも私ほど息を切らしていなかった。

 二試合目はCチームの奈緒が試合に出ることになった。私は試合がないためコート外で観察に徹することにした。試合が始まった。奈緒のポニーテールが元気よく跳ねている。本領発揮と言わんばかりに、本人の心そのものを表すように、ポニーテールが跳ねている。本人も負けず劣らず、コート内を跳ねまわっていた。奈緒は女子テニス部に所属しているが、運動全般ができるため、今回のように専門外の種目でも活躍することはよくある。運動音痴の私としては、体の動かし方を参考にしたいとこではあるが、動きが速すぎて、てんで参考にならない。

このまま奈緒の様子も見ていたいところではあるが、今日の目的は「クロウ」の正体と思しき人を探すことだ。もちろんここにいない可能性は大いにあるが、なにも行動に移さないよりはましだ。「この場にいない」ということが分かれば、自ずと候補は狭くなっていくのだから。

 視線を隣のコートに移すと、男子のCチームとDチームが熾烈な争いを繰り広げていた。女子のバスケットボールはボールのある所にどうしても集まってしまいがちで、運動ができる人がドリブルで抜き去ってそのままゴールするか、はたまたゴール前にいる人にパスを投げ、がら空きのゴールを狙うのではあるが、男子のそれはコート内にまんべんなく散らばり、パスをしたりカットしたりの応酬が激しい。また、ゴール下からのパスで反対側のゴール付近までボールを飛ばしてしまう。そしてそのパスを受けた見方があっさりゴールを入れたりする。佐野君がスリーポイントシュートを決め、喜んでいるのを見て、佐々木君がものすごい勢いでドリブルしてレイアップを入れた。かと思ったら、三組の伊藤君がドリブルしているボールを器用にカットして味方に回している。運動ができる人を目で追っていたら、試合が終わってしまった。男子はCチームが勝ったらしい。女子もCチームが勝った。次の試合は、女子は  Aチーム対Cチームだ。奈緒のいるチームと戦うことになる。

 しかし、私は最初からこの試合を諦めていた。何故なら、Cチームにはスポーツ万能な奈緒に加え、女子バスケットボール部の水野さんと倉下さんがいるのだから。思っていた通りに負けました。しかも大差で。二十点差で。そもそも、Cチームが勝ったBチームに我らがAチームは初戦で敗北していたのだから、負けたのも当たり前の話なのかもしれない。

 女子の試合は終わってしまったが、男子の試合は終わっていない。第一試合Aチーム対Bチーム、第二試合Cチーム対Dチーム、第三試合Aチーム対Cチーム。次は第四試合、Bチーム対Dチームだ。桐谷きりたに先生が「女子はゴール練習をしていなさい」と言ったが大半は男子の試合を観戦するようだ。私も奈緒もゴール練習よりも観戦にまわる。

 第四試合が終わり、最終試合Aチーム対DチームとBチーム対Cチーム行われようとしていた。第四試合中は、私たちは体育館の隅で、並んで立ちながら、無言で観戦していた。最終試合開始のホイッスルが鳴ると、奈緒が口火を切った。

「試合見ててどう思った?」

「佐野君や佐々木君、伊藤君、あと山口君、橋本君辺りが運動神経いいなって思ったかな」

「それなんだよねぇ」

「?」

 私は首を傾げた。運動ができそうな人を探す目的で観察していたのではなかっただろうか。

「『運動神経がいい』程度しかいないってことよ」

「どういうこと?」

「『クロウ』は『並外れた筋力』の持ち主なんでしょ。『運動神経がいい』程度の普通の人間じゃないんでしょ。なら、当てはまらないんじゃと思って」

「あ」

そう、そうだった。「クロウ」は「並外れた筋力」の持ち主であるはずだ。しかし、確かに「運動神経がいい」と思う人はいても、その程度なのである。びっくりするほど力のある人だと思う人はいなかった。

「じゃあ、この場には『クロウ』はいない?」

「たぶん。そう思う」

運動のできる奈緒が言うのならそうなのだろう。少し残念に思いながらコートを眺めていると、高宮君が走り出した拍子に転んだ。すぐに起き上がったが、左脚をかばっている。したたか打ったらしい。その様子を見ていた奈緒が言う。

「まあ、ああいうのは論外ね」

「そうかもしれないけど、心配はしようよ」

 そうこうしているうちに、試合が終了した。AチームとBチームが勝ったらしい。

授業が終わり、体育館を後にする。帰りがけ、高宮君とすれ違ったので、私は声をかけた。

「脚、大丈夫?」

「大丈夫。心配しないで」

こちらとは目線を合わせずに高宮君は答えた。本当に大丈夫だろうか。左脚をかばっているのは丸わかりなのに。

結局、高宮君は保健室には行かなかったらしい。まあ、帰るころにはかばわなくなっていたから、そこまでひどい怪我でもなかったのかもしれないけれど。


  *


 帰りのホームルームが終わり、リュックを背負い、教室から出る。廊下を左脚の具合を確かめるようにして歩く。正直何ともない。体育の授業の後、着替えている最中に見たら、膝頭がかなり赤くなっており、教室に戻る最中もかばいながら歩かなければならなかったのに、だ。

 指輪を父親からもらい、左手の指につけたとき、「新しく生まれ変わったようなもの」とは言われたが、まさかの変化だったように思う。以前は同じような怪我をしても、なんだかんだ翌日も赤みが残っており、動かしたときに少々の違和感はあった。今どうなっているか確認はしていないが、随分と色が抜けているか、もしくは完全に元の色に戻っているかもしれない。違和感の方はもはや何もない。

 家に帰って確認しようと思いつつ、確認するのが怖い気がする。自分はいったい何者に「生まれ変わった」のだろうか。ちょっと運動能力が秀でた人間か、はたまた人ではない化け物か。どちらにせよ元の状態には戻れない気がする。しかし、人を助けることができるだけの力を手に入れたのだ。それくらいの代償はあるだろう。

例え自分が化け物になったとしても、自分は人間だ。人の心を失った時こそ人は化け物になる。世の中に出回っている大抵の物語はそうやって紡がれる。この前読んだ『鬼人は生きる』もそんな話だった。身も心も鬼となった主人公は鬼として「駆除」された。自分はそうはならない。自分自身、あれこれいじられたり冷やかされたりはされる方だが、いじる側に報復をしたいとは思わない。他人をいじるようなそんな人と同じところに堕ちたくはない。だから自分は化け物にはならない。

そう自分に言い聞かせながら、下駄箱で靴を履き替え外に出る。

指輪が締まった感覚がして、左手をズボンのポケットから出す。指輪の、右を向いた烏の、赤い石でできた右目が明滅する。また誰かが傷ついてしまうようだ。助けに行かなくてはならない。僕はその誰かのために痛めた左脚のことも忘れて走り出した。

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