八、駅散歩

 十一月一日日曜日、約束の「散歩」の日である。朝九時に学校に集まった、奈緒、茉実、私の三人は、とりあえず前回「クロウ」が現れた駅のホームを調べることにした。ホームに入るだけでも入場料は払わなければいけないため、調べ残しは無いようにしたいところだ。

「おねえちゃんたちとおでかけたのしみ」

唯一本当の目的を知らない茉実はたまのお出かけが楽しみらしい。日曜に出かけることを話してから、服装を選んだり、お菓子や飲み物を持っていこうとしたりとちょっとした遠足気分だった。実態は近所をただ歩くだけなのだが。

しかし、その気概があってか、茉実の服装はよそゆき仕様だった。二段になっているピンクのミニスカートに白のタイツ、白の丸襟ブラウスに鹿子編みの、スカートよりも薄いピンクのニット。上着はベージュのトレンチコートで、おさげを止めるヘアゴムにはさくらんぼの装飾が付いている。

私たちの方はというと、二人ともジーパンにタートルネックにパーカーと探索仕様だ。色や模様こそ違うものの、「動きやすい服装」にしたところ、なんとなく似たような格好になってしまった。

学校から駅へ向かう間は雑談タイムだ。奈緒は最近部活であったことや自身の兄のこと、私は家の中であったことなどを話した。茉実は専らハロウィンのことを話していた。保育園のイベントや昨日のお菓子のことをたくさん。昨日食べたかぼちゃのクッキーがよほど気に入ったらしい。また後日作ろう。奈緒が「おいしそう」と話していたから、奈緒にも渡そうか。しかし学校はお菓子持ち込み禁止。ルールは破りたくない。そんなとりとめのない話をしているうちに駅に到着した。

入場券を買い、改札を通り、とりあえず上り線のホームに降りた。当たり前ではあるが、それらしい痕跡は全くない。近くにいる駅員さんに奈緒が話しかけているのを後ろに聞きながら、ホームと線路を眺める。「酔ったおじさん」がどこに落ちたのかわからない以上、それらしい痕跡を探すしかないのだが、線路の上には落し物の類も、嘔吐の痕跡もない。茉実はホームをうろうろしている。点字ブロック付近に近づかないように気を配っているうちに、駅員さんと話し終えた奈緒がこちらに来た。

「たまたまそこにいた駅員さんがその場にいたみたいで、話してくれたよ」そう言いながら、反対側のホームの柱の一つを指さし、

「あの辺りでおじさんがホームでよろけて落ちたって。気が付いて連絡を入れる前にいつの間にか現れて」と続けながら、しゃがみ込み右手を斜め下に向け突き出し、「こう、ホームからしゃがみ込んで右手を差し出して、引っ張り上げたみたい」仮想の人物を引き上げた。

「それに、酔ってた人がそれなりに太っていたのに、スッと引っ張り上げたから結構びっくりしたって」

奈緒は続ける。

「あと、スーツらしきものを着ているのは分かったみたいだけど前は見えなかったみたい。あ、色は黒だったって。それと、スーツの後ろ、背中の部分に、翼?みたいな模様があったって」

「翼?」

「そう翼。こう、たまにTシャツとかの背中に翼の柄がプリントしてあるの、あるでしょ?そういう感じだって」

「ああ、なんとなくわかった」

私は派手めなTシャツの背中の部分に、翼を広げかかっているようなデザインを想像し、その模様を黒いスーツの後ろに張り付けた。

「一瞬だったから、見間違いかもしれないとも言ってたけど。あとね、歳はあたしたちと同じくらいに見えたって。背格好が低かったから」

「前に考えたことと一致したね。もしかしたら同年代かも知れないってこと」

「そう、そうなんだよ」

以前、同年代かも知れないという話はしたけれど、確証は無くとも近い証言は取れたことになる。そして、背中の模様の件は新情報である。私は

「他にも誰か話聞けるかな」と奈緒に聞くと、

「無理だと思う、さっきの人が立ってた位置的に一番近くにいたみたいだし」という返事で

「そっか」上がりかけたテンションが下がってしまった。

「まあ、新しい情報もあったし、良くない?」

「そうだね」

気を取り直し、そういえば、茉実はどうしているだろうと見まわすと、茉実は点字ブロック近くまで移動していた。さっきまで自販機の辺りにいたのに。

「茉実、危ないよ」

慌てて茉実のもとに小走りで駆け寄ると、茉実はプラスチック製の何かを持っていた。

「どうしたのそれ」

「なんか、きらきらしてたからひろったー」

よくよく見ると、ストラップの根付部分のようだ。青みがかった透明なプラスチックのイルカが日の光で確かにきらきら光って見える。金属の金具の口が少しひしゃげているから、ひもが付いている部品から外れてしまったらしい。

「もってかえっていい?」

「でも、これ誰かのストラップから外れたやつだよ。持ち主に返さないと」

「大丈夫だよ。たぶんどこで落としたかもわかんないようなものだし」

いつの間にか、奈緒が近くに来ていた。

「でも」

私は反論を試みるが、

「麻結の言いたいことは分かるけど、たぶん探されないものだと思うし」という奈緒の言葉でそれもそうかもしれないと思ってしまった。

「もちかえってもいい?」

「…持ち主が分かったら返すんだよ」

「わーい」

結局許可してしまった。大丈夫だろうか。ただ、そのストラップの根付が、どこかで見かけたような気がしてならない。透明なイルカのストラップ、どこで見かけたのだろうか。


 ◇


 ホームを後にし、近所を『散歩』する。しかし、危険箇所らしきものは中々見当たらない。普段気にしないで生活しているためか、それともそもそもそんなにないのか。確かに、たくさんあったら困るけれども。

 十一時を過ぎ、お昼時になったため、ファミレスに移動する。奈緒の母親が「勉強を教えてくれるから」と奈緒にお金を預けたそうで、こちらの分も少し出してくれるそうだ。いらないと断ったら、お家にお邪魔するときに持っていくお菓子の代わりと思ってくれという台詞でこちらが折れた。これで断ったら、奈緒の母親の顔をつぶしてしまう。

 茉実がとても楽しそうだ。だが、その分落ち着きがない。席についてからもそわそわと周りを見回したり先程のイルカの根付を見たり。普段いかない場所は興奮するのは分かるが、そのまま店内を探検し始めないか心配になる。今までそんなことは一度もなかったから、おそらく杞憂だが。幸い、まだ昼には早い時間だったため、店内は空いている。加えて店内の角になるソファー席を確保できた。茉実が何か騒ぐようなことはしても周囲への影響は少なくできそうだ。

私は自分の左横に座る茉実の手元のイルカの根付を見つめる。絶対どこかで見たことがある。でも、それがどこか分からない。

「麻結、そんな怖い顔で見なくてもいいでしょ。さっきのこと納得してないのは分かるけど」

私の真向かいに座る奈緒はこの根付を持ち帰ることに暗に反対していた私にそう話しかけた。

「ごめん、ちがうの。どこかでこれを見かけた気がして」

「へ、ウソ」

「思い出そうとしてるんだけど、うーん、どこだっけ」

「え、どこ?家?学校?」

「うーん、わかんない」

わからない、わからないけれどどこかで絶対見ている。どこだろう。

 そんなことを考えている間に料理が運ばれてきた。茉実がお子様ランチをつつくのを見ながら、自分のポモドーロを少しづつ進める。奈緒はハンバーグセットのハンバーグの解体を始めた。一口に切っているようだが、私のそれよりも一回り大きい。運動部員の食事シーンは男女関係なく気持ちいい。私はあんなにたくさん食べられない。

 全員が食事に集中しているせいか、どうしても無言になる。すると、周囲の声が聞こえてくる。何気なく私から見て右側のテーブルの会話を聞いていると、

「そういえば、何日か前、水曜日くらいだったかな。私痴漢に遭ってさー」

とOL風の黒髪ロングの女性が向かいに座る茶髪セミロングの女性に話し始めた。私は思わず耳をそばだてた。向かいを見ると奈緒も女性たちの会話を聞いている様子だった。「クロウ」の手掛かりになるかもしれないと奈緒も考えたらしい。茉実はお子様セットのチキンライスにとりかかり始めた。小ぶりなハンバーグとサラダに飽きたらしい。

「え、大丈夫だったの?」

茶髪の女性は口の中に入っていた料理を飲みこんでから相槌を打った。行儀を気にする人のようだ。

「んー、犯人捕まったから。まあ、とりあえずはいいかなって」

黒髪女性が続ける。

「そんなもの?」

「嫌悪感はあったけど、犯人捕まえた人たちの連携がすごくてさ。そっちの方が印象に残ったなあ」

「連携?」

「そー。駅に着いたところで、腕ひっつかんで引きずりおろしたのまではいいんだけど、逃げられてねえ」

と黒髪女性が何でもないことのように話す。すると、

「そもそも、腕掴んで引きずりおろすとか、勇気あるね。刃物とか持ってたらどうするのよ」

と、茶髪女性が至極真っ当な返しをした。普通に危ない橋を渡るとは、中々アグレッシブな方のようだ。黒髪女性の方は

「とっさだったから、そこまで考えなかったなあ。確かに危なかったかも」

と、今気が付いたらしい。茶髪女性も、

「今気が付いたの?」

と突っ込みつつあきれていた。

「まあ、過ぎたことだし」

「危ないから、次遭ったらしないでよ。あ、次がない方がいいのか」

「そーねー」

自分が被害にあったのに黒髪女性はどこか他人事だ。あまり物事を深く考えない性質たちのようだ。

「話し戻すけど、それで犯人がホームを走って逃げてさ。『痴漢―』てデカい声あげながら追いかけたんだけど、相手が速すぎて差が広がるのなんのって」

「執念を感じる」

茶髪女性に完全に同意。この人すごい。

「そしたら声を聞きつけた駅員さんが集まってきて」

「取り押さえてくれたの?」

「いや、改札を奴が出たところで、うまいこと足引っかけて転ばせてくれた人がいて。その人のおかげで駅員さんが取り押さえられた」

「機転の利く人もいるものね」

「ねー。その人いなかったら完全に逃げられてたかも」

「でも声をあげなかったら、駅員さんも来てくれなかったし、確かに『連携』してたかもね」

「でしょ?」

あらかたの内容を聞き終えた私と奈緒は顔を見合わせた。奈緒が言う。

「これは、ちがうね。たぶん」

「私もそう思う」

隣のテーブルの女性たちの話を聞いている間に、茉実は食べ終わったようで、元気のいい「ごちそうさま」が左隣から聞こえた。お子様セットのお皿には何も載っていない。きれいに食べ終えたようだ。自分の手元のボロネーゼはまだ半分弱残っていた。

「ちゃんとたべなきゃだめでしょ」

茉実から、普段自分が茉実に言っている小言を言われた。

「ちょっと待ってて。全部食べるから」

茉実にそう言い、慌ててボロネーゼに取り掛かる。向かいを見ると、奈緒は最後の一口を食べるところだった。いつの間に食べたのだろうか。

 無事ボロネーゼを食べ終え、ファミレスを後にする。午後は私の家で勉強会だ。心なしか奈緒の顔色が優れない。そんなに勉強が嫌なのだろうか。対して茉実は満腹になったのも相まってご機嫌だった。


 *


 自室のキャスター付きのイスに腰かけ、手帳型のケースに入ったスマホを操作する。特に調べたいものがあるわけでもないが、なんとなく、ネットの記事を流し読みする。事故、事件、詐欺、今日一日だけでも多くの人が何らかの不幸な目に遭った。自分の力ではまだまだ救える人は少ないのだと痛感する。この前のようなことは起こしたくないし見たくない。しかし、自分の力はちっぽけで、危ない目に遭いそうな人を救おうとしても、手のひらの隙間から水がこぼれるように、救いきれない人は出てしまう。

 思考から現実に意識を戻し、白鳥座が描かれた青いスマホケースを閉じる。スマホケースの上側にあるストラップホールを見つめる。数日前、ここに付けていたストラップのイルカの根付がどこかへ行ってしまった。紐の部分だけつけていてもどうしようもないので、全て取り外したが、今まであったものがないと妙に間抜けに感じる。ケース自体に柄はあるので、そのままに慣れてしまえばどうということもないのだが。

「まあ、いっか」

ぐずぐずしていてもどうしようもないので、気持ちを切り替える。また、どこかで良さそうなストラップは見つかるだろうし。それに、今はストラップごときで如何どうこうしている場合ではない。体を鍛え、体力をつけなくてはならない。見知らぬ誰かを、より多く助けるために。

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