六、保育士たちの噂話
十月二十六日月曜日、休日を挟んだため校外学習後最初の登校日となったこの日は「事故」の話で持ち切りとなった。教室のあちこちで、校外学習中にあった事故について話されている。「実際に事故が起きるところを見た」とか、「見ていないが話で聞いた」とか、「事故があったこと自体知らなかった」など。「事故現場とか一度見てみたかった」なんていう不謹慎な話まで聞こえる。
私はというと、本を読んでいた。自分の席に座り、小説を読む。しかし、内容が真に迫ってこない。集中しているつもりでできていないのだ、周囲の会話の内容が分かるくらいには。校外学習から帰ってきてから、常に何かをしている気がする。食事を作り、洗濯をし、掃除をして、妹の相手をして、勉強して、お菓子を作って、読書をして、編み物をして、刺繍をして、ビーズアートを作って。今も読書をしている。奈緒は話しかけてこない。もう昼休みだ。今日、奈緒とは挨拶をしたぐらいで、会話はしていなかった。それもそのはず、朝から暇さえあれば、私が本を読んでいるからだ。いつもなら、本を読んでいても話しかけてくれるし、私も話をしに奈緒のところに移動する。しかし、そうしないのは、私の方に原因があるのだろう。校外学習の事故を思い出すと、思い出したくないことを嫌でも思い出す。だから、あえて奈緒は私に話しかけないのだろう。
結局、朝と帰りに挨拶をするだけでまともに会話をしなかった。
◇
翌日の帰り道にいつものように保育園に寄った。今日は買い物をしなかったから、保育園に直行だ。たまに、迎えに行った後に買い物をするときもあるが。
妹である茉実はいつも待ちかねたように私に抱き着いてくる。今日もいつものように先生の「茉実ちゃん、お姉ちゃんが迎えに来てくれたよ」の言葉が終わらないうちに勢いよく私の体に収まった。その後に振り返り、保育園の友達に挨拶して家に帰る。なぜ、タックルをするように勢いよくこちらに抱き着いてくるのかは私も分からない。寂しかったといいたいのなら、そんな物理的手段を使わなくてもいいものだが。
姉妹二人連れ立って歩く帰り道、茉実に歩調を合わせる私に茉実はおさげを揺らしながらこちらをまじまじと見てから、
「おねえちゃん、ちょっとげんきになった」
と言った。
「へ、そうかな、普通だと思うけど」
と私が返すと、
「だって、コウガイガクシュウからかえってきてから、げんきじゃなかったから」
と言った。子供は大人のことを大人が思っている以上に見ている。本で読んだのか、テレビで拾った情報か、どこかの誰かがそんなことを言っていた。茉実を世間一般の子供代表として見ていいかは分からないが、少なくとも茉実は周囲のことよく見ている。この前、『クロウ』に助けられた日も「なにかいいことあったの」と言われた。単に私が分かりやすいだけかもしれないが。
「うんまあ、ちょっとね。怖いものを見たから。でも、今日奈緒と少し話をしたから、ちょっと元気になったのかも」
「こわいものってなあに」
「んー、内緒。聞かない方がいいよ。茉実まで怖い思いしてほしくないから」
「うー、わかった」
茉実は少々不満げだったが、首を縦に振ってくれた。本当に聞き分けのいい子に育ってくれた。しかし、無理をしてほしいわけでは無い。後で甘えさせてあげよう。そんなことを考えていたからか、茉実のもたらした貴重な情報を聞き洩らすところだった。
「そういえば、せんせいたちがはなしてたんだ。えきのホームで、よったおじさんが、せんろにおちたんだって。だけど、たすけてくれたひとがいたんだって、すごいよね」
「え、そんな人がいたの」
「うん、くろいスーツきて、サングラスかけてたって」
私は一瞬固まってしまった。その「くろいスーツきて、サングラスかけてた」人はもしかすると私たちの探す「クロウ」かもしれないのだ。
「その人どんな人だったか他に何かわかることある?」
私が茉実の方を向き、割と必死な声で聞いてしまったため、茉実は少しばかり引き気味になってしまっている。
「あ、ごめん。ちょっと気になって」
と言うと、一呼吸おいて茉実は詳細を思い出しながら話してくれた。
「えっと、スーツはまっくろで、がらがなくて、うわぎのまえをあけてて、えっと、あ、ネクタイはむじのあかで、かみがサラサラだったって」
「へえ、結構詳しい内容。先生たちが話してたんだよね」
「うえむらせんせいがみたみたい。ノミカイのあとに、かえるときにみかけたって」
「それ、遊んでいる間に聞いたの?」
昼間、子供たちの耳に入る時間に話していたとしたら、少し問題だ。「飲み会」の話は子供たちに聞かせていい話ではないこともままある。
「ううん、おひるねのときにはなしてたの。ねむくならなかったから、めをつぶっただけでおきてた」
成程、それなら茉実が聞いてしまったのもうなずける。が、
「お昼寝の時間はちゃんと寝なきゃダメでしょ」
これくらいは言っておかなくてはならない。
「うう、ごめんなさい。でも、ぜんぜんねむくなかったんだもん」
茉実のすねたような声が住宅街の狭い道に消えていく。もう少しで家につく。
*
家に帰り、着替えてから家の近所を走る。その後はペットボトルのダンベルの上げ下げ、腕立て伏せ、上体起こしを行う。校外学習が終わった後からそれまで以上にトレーニングに気合が入るが、勉強もしなければならない。本も読みたいが、少しの間は我慢だ。なんとかして同じようなことがないくらい強くならなければ。
今日も倦怠感のある体を引きずって眠りについた。夢を見た。紫色の大きな水晶玉のようなものが黒い何かと白い何かにぶつかったとたんに二つに割れて、赤い玉と青い玉に分かれた。こちらも紫のそれのように水晶玉のような見た目をしている。その傍らに金と銀の何かがある。黒いものと白いものは見当たらない。探しているうちに目が覚めてしまった。
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