五、校外学習
心地よい秋晴れとなった十月二十三日、今日は校外学習当日だ。集合場所である横浜駅に集まった生徒たちは、班ごとに決められた集合時間、出発時間に沿って、時間差で自由行動を開始していった。
去年もそうだったのだが、うちの中学校の校外学習での服装は制服だ。他校では私服もあると聞く。クラスメイトの私服姿を見ることができる機会が少ないのは少し残念だ。私達の五班も和木坂君が集合時間ぎりぎりになるというトラブル未満のようなことは起こったが、何事もなくスケジュール通りに目的地を回っていった。
現在、赤レンガ倉庫周辺から昼食を食べるため、中華街方面に移動中。先頭に佐野君、佐野君の右側に和木坂君、その後ろに高宮君、その後ろに奈緒、奈緒の右側に私という並び順だ。なんとなく歩いているうちにこの形に落ち着いてしまった。
すると、前を歩く高宮君が突然、周囲を見回し始めた。
「どうしたの」
私の左側を歩く奈緒が高宮君に話しかける。
「あ、いや、だ、大丈夫」
高宮君がつっかえながら返事をする。どう見ても大丈夫じゃない。何か動揺しているように見えるのは気のせいだろうか。
「本当に大丈夫?」
今度は私が聞く。
「う、うん、大丈夫」
高宮君の返事は先程よりもはっきりしたものになっていた。
「放っておけよ、たいしたことないだろ」
高宮君のさらに先を歩く佐野君が言う。和木坂君も佐野君の右隣でうんうんとうなずいていた。奈緒は
「ホントに大丈夫かな、前のこともあるし」
と私には聞こえるくらいの声量で喋った。前を見据えながら、おそらく一番前を歩く男子三人に悟られたくなかったのだろう。私もそれに合わせ、
「さあ、本当は大丈夫じゃないと思うけど、とりあえず合わせとこうか」
と呟いた。
しばらく歩くと、高宮君の様子がまたおかしくなった。うつむきがちになり、リュックの肩ひもを手で握っていった。それまで、手は自然に横に下しているか、ズボンのポケットに入れていたのに、だ。しかし、ここで大丈夫かと聞いたところで大丈夫という返事しか来ないのは、容易に想像できた。今度は何も言わずに三人についていく。だんだんと高宮君の頭が前に下がっていく。近くで何かがぶつかったような、壊れたような音がした。その音がしたとたん、高宮君ははじかれたように頭を上に上げた。少しづつ、佐野君と和木坂君との距離が広がっていく。
「もう少し早く歩いてくれない?はぐれたくないし」
と奈緒が言い、少し前を歩く二人との距離が縮まりはじめた。すると、
「うわ」
「なんだあれ、事故か」
という和木坂君と佐野君の声が聞こえた。視線を高宮君から和木坂君と佐野君の前方に移すと、そこにあったのは、バンパーとボンネットがひしゃげ、赤い液体が付いたシルバーの車とこちらも赤い液体がついた醜くゆがんだ自転車だった。片側一車線の対面通行の、それなりに広い交差点の真ん中にそれらはあった。その近くのアスファルトも赤い液体で穢されている。アスファルトの赤い液体を辿ると、その先にぐったりと動かない比較的若そうな男性が倒れていた。赤い液体はこの男性の血だろう。出血量はかなりありそうだ。おそらく自転車に乗っていたこの男性とシルバーの車が接触したのだろう。
私は見ていられなくなり目を背けた。思い出したくないことまで思い出してしまいそうだ。必死で他のことを考えようとするが、瞼の裏に先程の光景が焼き付いて離れない。班のみんなは何も言わない。言葉にならないのか、ただ黙っているのか。
遠くから聞き覚えのある音が近づいてくる。救急車のサイレンだ。気が付いた時には音が止まり、救急隊の方々が下りていくところだった。
「あ、えっと、その、そ、そろそろ、い、行かない?」
口火を切ったのは和木坂君だった。かなり噛んでおり、声を聞くだけで動揺が移りそうだ。
「あ、ああ、そうだな。予定時間より食ってるし。な、そうしようぜ。その方がいいよな」
と、佐野君も動揺しながらも話す。
「そう、だね。その方がいいよ」
と、奈緒も言う。私もこわばった首を無理矢理動かし頷く。
「高宮君、行こうよ」
と、私が話しかけるが、高宮君は反応しない。何かつぶやいているようだが、聞き取れない。
「おら、行くぞ」
佐野君が無理矢理腕を引っ張り、歩かせ始める。高宮君は足元がおぼつかないのか、転びそうになりながら、歩く。二人の後を和木坂君、奈緒、私の順でついていく。
この後、無事に中華街に着いたが、班員全員がまともに食べることができなかった。特に私と高宮君は昼食に口を付けることすらできなかった。
*
自宅についた。母親の「お帰り」に返事をすることなく、二階の自分の部屋に直行する。自室のベッドに寝転がり、自問自答する。
あの事故を見てから、自宅に帰るまでの記憶がぼんやりしている。はっきりと覚えている事故現場に対し、それ以降のことはもやがかかってしまっているようだ。
何故動けなかったのだろう。あそこで何か起こると、誰かが傷つくとわかっていたのに。この前、駅のホームでは助けられたのに。周りにクラスメイトがいたから?知られたくなかったから?どれも理由にならない。助けられるはずだった。でも助けなかった。自分の勇気のなさに、意気地のなさに嫌気がさす。
ベッドから降り、部屋に置きっぱなしにしていた水の入った二リットルペットボトルを手に取り、がむしゃらに上げ下げを繰り返す。数分もしないうちに腕の筋肉が悲鳴を上げ始める。それでも止めない。最近急に体を動かすようになったため、体中のあちこちが筋肉痛で痛い。明日は腕が痛くなるだろう。でも構わない。あの若い男性の方がずっと痛い。もしかしたら、亡くなってしまったかもしれないと一瞬思う。その考えを打ち消すように、二本目の水の入った二リットルペットボトルを手に取り、片手に一本ずつ持った状態で腕を上下させる。先程よりもきつい。しかし、傷つく人を減らすため、自分自身のふがいなさを克服するため、腕がつりそうになるまで腕を振り続けた。
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