四.十三夜

 一月二十六日。

「ゲッホゲホ……」

 スノードームをひっくり返した具合に粒子が舞う一室で、ウィリアムが顔にかかった蜘蛛の糸を払う。

 もちろん、粒子は雪などというかわいいものではなく、主に塵、ホコリ、蜘蛛の巣その他で、掃くと火花を飛ばすような得体のしれないものまであった。平たくいうところのゴミである。

 払った手に、結局また別の糸がまとまりついて、今度はそれがホコリまで引っ付けてくる。もはや綿菓子をつくっているようでキリがない。「あとでシャワーしよう」と早々にあきらめ、ジーンズの少年はべたつく手で箒の柄をにぎった。

「ヴィヴィ、やっぱり元気ないのかな……」

 掃く手を止め、少年が心配そうに部屋を見回す。

 ウィリアムが魔女王の城に住み始めてから一ヵ月ちかく経った。その日々は、継母ママハハに振り回されっぱなしの日でもあった。

 食事どきに皿が宙をとび、生きたチキンが目の前で瞬時に丸焼きになって、ひとりでに盛りつけられ、ウィリアムの服がタライのなかで水泳し、夜中に爆発音がして様子をみにいくと、煤けた顔のヴィヴィアンとルーカンがあわてたように服を纏うのだ。昨年のクリスマスイヴから城に住んでいるルーカンはいつも「なんでもない」と澄まし顔で言ってのける。頬が赤いし、うそをついているのはバレバレなのだが、ウィリアムもだんだんと慣れてきていた。少年には真夜中に継母たちがなにをしているのか、見当もつかなかったけれど。

 ウィリアムと約束して以来、本当に継母はうそをつかなくなった。

 はぐらかされることはあるけれど、ヴィヴィアンは城のこと、経営している会社のこと、そしてルーカンが魔法使いであることも話してくれた。「その気があったら、会社を継がせるよ」と言ってルーカンをあわてさせたり、そのルーカンでさえ、尋問のやり方について説明しようとしたヴィヴィアンを「そのさきはまだ早い」と止めたりした。ウィリアムはなぜか、面と向かって「小僧」と呼ぶルーカンをそれほど嫌には思わなかった。

 だが、新年が過ぎると、ヴィヴィアンの姿を見る日は急激に減っていった。食事のときは相変わらずルーカンが一緒だったけれど、淡々とした態度に疲れと苛立ちが滲んでいる。何度かウィリアムもヴィヴィアンの状態を尋ねたが、ルーカンは「おまえがあの方との約束を忘れなければよい」としか答えてくれなかった。

 主の状態を示すように、塵一つ落ちていない城にはホコリが舞い始め、全体が重く暗く感じることも増えた。中庭の噴水が途切れることもあり、青々としていた生け垣の迷路が枯れていく姿に、部屋からその姿を見ていたウィリアムは、感じたことのない焦りを募らせていく。

 数日ぶりに部屋を訪れたヴィヴィアンはいつも通り、話をしてくれたけれど、覇気がないのはウィリアムの目にもわかる。

 意を決して「家事を手伝う」と言い出すと魔女王は少し驚いた顔をしたものの、ウィリアムが真剣だとわかったのか、反対するルーカンを黙らせ、「なら頼むよ」と微笑んだ。

 ウィリアムの性に、家事は合っていた。少しずつ片づいていく部屋を見るのはうれしかったし、料理は工作をするようで楽しい。『だれのためにやる』というよりは、掃除や洗濯をしていると心が落ち着いた。短くなっていくロウソクを見るたび、不安が湧き上がるけれど、継母を信じて自分の誕生日まで待つしかない。誕生日にどうするのか、わからなかったけれど。

「あした誕生日か。ヴィヴィがよくなるといいけど」

 掃き掃除を再開しながらウィリアムが独りごちる。

 一人で食事をつくるようになってから、城を自由に動いていいと言われていた。巨大な唇も毒入りキャンディもおらず、どの部屋もドアが開けっ放しになっていた。そしてウィリアムの部屋以外、日に日にホコリが積もっていく。こうして掃除をしているのも、ウィリアムには早くヴィヴィアンによくなってほしい一心からだ。

「探索しといで」と言ってくれたヴィヴィアンと最後に話したのが一週間前。

 あれからルーカンも日に一度、様子を確かめに現れるだけでほとんど姿を見ない。ヴィヴィアンに付きっきりなのだろう。継母の病気が医者に治せる類いではないのは薄々、ウィリアムも理解していた。

「よしっ」と頭を振り、髪に絡みついた蜘蛛糸とネガティヴな思考を振り払い、南向きの窓を背伸びして開ける。

「さむいっ」

 冷たい風がたちまち吹きこんでウィリアムが思わず首をすくめた。軋みながら開いた窓の向こうには、厚い雲が垂れこめている。昼間だというのに、薄暗い。雪が降りそうだ。

 ウィリアムがそんなことを考えているとき、ふいに物音がした。

「ガタガタッ……」

「うん?」

 振り返ってじっくり、部屋を見回す。黄ばんだレースの天蓋ベッドと、脚のとれたロッキング椅子、そして壁に立てかかった鏡。

 鏡はドレッサーだったのだろうが、引き出しや化粧台は野獣が暴れでもしたか、メチャクチャに壊され、ミラーはヒビだらけで使いものになりそうもない。

 音はそれらではなく、その壁のどこかからしているようだった。板のこすれるようなカタカタと乾いた音がしている。

「キャンディ……じゃないよね」

 城に到着した日のことが頭をよぎり、ウィリアムの体が強張った。ヴィヴィアンは粗方のトラップを解除してあると言っていた。だが、そのヴィヴィアンの体調は良いとは言えない。ましてや、あのとき助けてくれたゴーストもいない。ヴィヴィアンが言うには「二度も助けてくれるようなジジィじゃあない」らしい。それに、キャンディスティックに刺された記憶はなかなか忘れられないものだ。

「掃除しなきゃ」

 勇気を出して部屋の壁を注意深く見ていくと、奇妙な音の出どころは案外、すぐに見つかった。

「ここかな」

 窓の向かいの壁に、指が入るくらいの隙間があり、そこだけベージュの壁紙から浮いて見える。ホコリが減ったことで見やすくなったのか、黒い線状の隙間は縦に伸び、ウィリアムの背丈より長い。

 隙間におそるおそる、指をはわせると、ギィ~と耳障りに鳴いて壁の一部が遠ざかっていった。蝶つがいもノブも見あたらないが、人が通れる幅を残して暗闇に浮いているのは、紛れもなく入り口だ。

「……隠しトビラ?」

 飛び出してくるかもしれないキャンディに備え、距離を取っていたウィリアムがぽっかり空いた空間を見下ろす。うっすらホコリを被ったフローリングとの境から、灰色の石が滑らかなスロープを作っている。下り坂のさきは緩やかにカーブし、数メートルもいかないうちに闇に消えている。下からはなにも聞こえないが、生温かい空気に載って鼻をつくニオイが漂ってくる。

「へっくしゅんっ!」

 ウィリアムのくしゃみが地下を木霊していく。

 と突然、スロープの壁がボゥと明るくなった。等間隔に並んだたいまつの下、壁の両側にはレールのような跡が平行に走っていた。

 その途端、地下の暗闇からウィリアムの腕になにかが巻きついた。黄ばんだレース生地のヒモが両腕だけでなく、ウィリアムのふくらはぎも鎖のように縛っている。その端が室内の天蓋ベッドにしっかりと結びついた。下から強く引っぱられて思わず一歩、踏み出すと、ヒモがキツく締まってもう下がれなくなっていた。

「ガシャンッ……」

 今度はドレッサーが四つ脚で飛び上がると、壁のレールへピタリと嵌まってウィリアムの背後を塞いだ。

「うわっ⁈」

 ドレッサーに背を押され、ウィリアムがバランスを崩す。ズルズルとヒモが引きずりこんでいく。

 少年の悲鳴は、レールに沿って下りていくドレッサーに遮られ、古びた部屋にはヒモの擦れる音が不気味に響く。

 窓の外では雪が降り始めていた。

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