第3話


 結局自殺した三人はまるっと三人とも死んでしまった。危篤の状態だった高梨さんも助からないで、三人は自分からこの世界の外に出て行ってしまう。ほんとうに自分から? 誰もそう思ってない。だって三人は私をいじめみたくにしていたし、私の彼女はあのしみちゃんなのだ。幽霊を食べる女の子がいて、その子が恨む理由のある子たちが、不自然に自殺したとなれば、それはもう、事実はどうとして話は広がる。


「あれはねー。ふふ。ひみつ。りょーは私が守ってあげるから、ダイジョブ!」


 大丈夫じゃねーよ!と私は叫ぶけどしみちゃんはやはりへらへらを突き通している。この反応!絶対なんかやってるじゃん!でもそれって、しみちゃんが三人を殺したってこと? 殺したって……。


「私じゃないよ? 殺したのは奏多かなたくんを連れてった幽霊ぃ。私はそいつをそそのかしただけ」


 奏多くん? どうして奏多くんが出てくるの? 奏多くんはこないだの文化祭で、うちのクラスの出し物であるお化け屋敷にやってきて、そのままお化け屋敷をやっていた教室のなかでいなくなった小学二年生の男の子で、三年B組の江藤先輩の弟だ。奏多くんがいなくなってもう一ヶ月以上が経っている。この一ヶ月で奏多くんのお兄さんの江藤先輩はカリカリにやせてしまった。摂食障害。ご飯を食べても吐いてしまうらしい。三年なのに受験勉強もうまくいってないんだと。ていうかそそのかした!?それはやってんじゃん! ドン引きする。でも私はしみちゃんが好きなのであんまり強く言えない。これって異常だ。私は恋人がひとを死なせてもそれを糾弾できない女なのか……。


「ねぇ。奏多くんに帰ってきてほしいと思う?」しみちゃんはにんまりと笑ってそんなことを言う。私は怖くなる。あなたは何をしたの?これから何をしようとしているの?


「待って待って! その前になんで? なんであの三人を……、その、ほんとに三人のことにしみちゃんが関わってるの?」「関わってるといえばそうかな? どうでもいいじゃん、あいつらが死んだ理由とか」「どうでもよくない! しみちゃんがやったならそれって私にも責任があるもん!」「はぁ? それ全然わかんないんだけど。しかもさ、そもそもあいつらはりょーの心を殺しかけてたんだよ?」「え?」「だってあいつらりょーのこといじめてたんでしょ。私鈍いから気づかなかったけど、こないだ神社に行ったあといろいろ調べてみたら話が出る出る。許せないよねぇ。私のかわいい涼子ちゃんをさ」「でも、でもさ」「自分のことなのに、敵をかばうなんて健気だね。死ぬことはないって? あのまま放ってたら追い詰められて首吊ったり飛び降りたりしてたのはりょーちゃんだったかもしれないのに? 死ぬくらいですんでよかったんじゃない? もしあいつらのせいでりょーちゃんが死んでたら、もっとひどい目に合わせてやる。天国にも地獄にも行けないようにしてやる」「それって……」「もちろん、私が食べる」


 私はしみちゃんを告発すべきなのだろうか?全てを話して、しみちゃんが三人を意図的に死なせたのだと。本当のことを話しても誰も信じないかもしれない。でも、しみちゃんがやったことは事実なのだ。事実を知るべきひとたちはいるはずだ。例えば三人の家族とか。


 ところが私がしみちゃんを訴える前に、佐々木くんのお姉さんとその友達たちが私を襲撃する。


 佐々木くんが私をいじめていたことはみんな知っていて、その恨みが佐々木くんを死なせる動機になると彼女たちは考えたのだ。私は言う。「佐々木くんは自殺したんです! 私は何も知りません!」いけしゃあしゃあとはこのことだ。自分が被害にあうとなるとこんなにも冷酷なのかと、状況に焦りながらも私はうんざりする。でも彼女たちは止まらない。理由や事実関係はもはやどうでもいいのだ。ただ悲しみをぶつける相手がお姉さんには必要なのだ。

お姉さんの合図で、高校生の男の子たちが私に襲いかかって制服をズタボロに引き裂く。そのときの勢いで私の首や腕に赤い筋がつく。下着が見えるほどに露わになるころには、私はもう泣きじゃくってへろへろになっている。私の姿をお姉さんがスマホで写真に撮っている。人間の顔とは思えないほどに冷たくて醜い表情をしている。やめてください。やめてください。本当にやめてください……。私はしみちゃんを思う。彼女なら私を助けてくれるだろう。でもここにはいない。肝心なときにいないんだから。このままレイプされちゃったりしたら、しみちゃんにも責任はあるんだからね。


 次の日私は学校に行かなくて、しみちゃんからの連絡も無視して布団の中でずっと泣く。私が何も言わなくても、ボロボロの姿で帰ってきた私を見て、お父さんもお母さんも何が起きたのか気づく。二人はすごく怖い顔をして私に誰にやられたのか聞くけど、私は声が出ない。うーとか、あーとかしか言えなくて、大事なところがずっとすごく痛い。ご飯も食べられなくて、ずっと森永のカフェオレばっかり飲んでいて、やがて自分の部屋の床に吐いてしまう。それでもおしっこに行きたくはなるのだが、怖くてトイレに行けなくてベッドにお漏らししてしまう。部屋から出てこなくなった私を心配して部屋に入ってきたお母さんが、汚物でべしゃべしゃになった私をみて泣く。それを見て私もまた泣く。言葉は話せなくて、イィ〜ッ、イィ〜ッ、と動物みたいな声しか出せない。私はもう駄目なのかもしれない、と本気で思う。もうどこにも行けないんだ。くしゃくしゃの悲しみとびっくりするくらい歪な恐怖しか残っていない。死のう。そう思う。生きている苦しさに私は耐えられない。


 制服のスカーフを輪っかの形に縛って、頭からすっぽりと被る。ちょっと引っ張ると程よく苦しい。ぐいーんとやれば死ねそうだという予感がある。ネットで調べると、高いところがなくても、ドアノブに引っ掛けて、ドアにもたれるように座ると死ねるらしい。試す。すごく苦しいけど、満足感がある。あれ?いまクラっときたかな?というのが私の最後の意識で、誰のことも思い出さずに私は眠る。もう起きないと思う。


 しみちゃんがいて、相変わらずすごく綺麗なのだった。私を冷ややかな目で見る。本当にすごく綺麗で、まるでつくりものみたいだ。私にこんなに冷たい顔をするのはいつぶりだろう?と、私はそれが少し嬉しくなる。だってもう会えないと思っていたから、最後の幻でしみちゃんを見ることができて嬉しくてたまらない。ごめんねしみちゃん。私駄目だったよ。私のことはいいから、自分のやりたいことをしてね。幽霊なんか食べてちゃ駄目だよ。しみちゃんは小学生の頃、歌を歌うのが大好きだったのを私が覚えている。しみちゃんがそれを忘れていても大丈夫。私が覚えているから。


 しみちゃんはちょっと呆れた感じで、はぁ〜っ息を吐き出すと私を見て笑う。微笑む。馬鹿だね。うん、私馬鹿なんだ。だから死んじゃった。あれ?ということは私は幽霊? しみちゃんは私を食べるのかな?


「私は食べないよ。食べるのは麻衣子だから」そっか〜。幽霊を食べるのは麻衣子ちゃんで、しみちゃんは食べないんだね。っていやいや、染野麻衣子ちゃんがしみちゃんでしょ。同じじゃん。しみちゃんは答えない。わたしは何かを取り逃がしているとそう思う。


「涼子。私のことを覚えておいてね」


 しみちゃんが言う。覚えてるもなにも、私たちは恋人でしょ?あなたが脅して、私を本気にさせたんだから。


「いい? 十五個の鳥居が並ぶ稲荷神社は狸が化かした場所だから、誰に呼ばれても振り向いちゃダメ。だからといって狐も味方じゃない。鯨の言ってることだけが本当なの。でも鯨だって、嘘をつかないだけであなたのことを助けてはくれない。彼らは月に帰る日までただあなたを見ているだけなの。鯨の背中には乗れないよ。自分が彼らと一緒にいるのだと勘違いしてはいけない。


 そして一番大事なこと。私を忘れないで。あなたは死んでない。向こうに戻ったら、私を私に思い出させて。それが一番難しくて、一番大事なこと」


 ん?と引っかかるけど私はまぁいいや、という感じでスルーする。オッケー!任せて! しみちゃんはまた呆れて笑う。——馬鹿。そんなに簡単じゃないのに。彼女はくるっと振り向いて私から離れていく。ちょっと!どこいくの? 違う。私がいくんじゃなくて、あなたが離れていくのよ。あっ、そっか。でも思う。二人の人間の距離が離れていくとき、どっちが離れていくのかということに、物理的な違いはあるのかな? いや、あるか。今回はどうやら本当に私から離れていっているらしい。他の場所に運ばれていくような感覚がある。私を運んでいるのは誰?


 目を覚ますと私は白い部屋の中にいて、なんとなく病院だとわかる。目がかすんで視界がぼんやりしている。何人か人が私の周りにいるらしい。もちろん私はベッドの上だ。清潔なはずだけど、どこか穢れを感じさせるあの病院の白いベッドの上。ぽやーとした影の一つが私の顔を覗き込んで何か言う。かすんでいるのは目だけではないようで、その人が言ってる何かもぶうぉうぉんとくぐもって聞こえてしまう。なんだろーこれと意識を集中させようとしても、言葉の絡まりはするすると解けて流れ落ちていく。じれったーいと思う。というか口に出している。私は自分の考えていることと喋っていることの区別がつかないくらいに不安定になっている。影の一つが部屋から駆け出していく。ぽやぽやの人影が揺れたり音を出したりしているのを私はただ見つめていて、なにが起きているのかを思い出す。そっか。私は死ななかったんだね。


 身体がグゥ〜ンとだるくて動かない。死ななかった私はどこに行くんだろう?たぶん家に帰るのかな?でも学校にはもう行けないと思うし、行きたくない。私は自殺を試したときに比べるとかなり冷静になっていて、私の身に起きたことを整理できる。いろいろ思い返して、あ〜人生ってかなりキツいことがいきなりやってきたりするんだね。としみじみに思う私がいる一方、起きたことや失ったものへの取り返しのつかない悲しさにひんひんと泣き出す私もいて、しっちゃかめっちゃかになっている。相変わらず目はかすんでいて、ここに誰がいるのかはわからない。たぶんお父さんとお母さんだろう。私は意識を取り戻したことを後悔し始める。また悲しくて怖くて面倒なこの世界に戻らなきゃいけないのかな。また色んなことに怯えたり涙を流したりしなきゃいけないなかな。そんなだったら寝てたいよー。起きなくていいから、ずっと寝てたいなぁ。って思って目を閉じる。周りの人たちが騒いで、私を揺さぶる。うるさい。私はまだまだ寝ていたいのだ。それが私のすることなのだ。そう言ってやろうと思い、私は口を動かし喉を震わせるが、残念。あううがうういぃ。としか言えない。我ながら情けない。


 しみちゃんが病室に入ってきた瞬間に時間は止まる。部屋にいる人影たちも彼女に注目する。涼しげで落ち着き払った彼女の裏側に、燃えているものがあるのを私は見つける。ごめんね。しみちゃん。しみちゃんを置いて私死のうと思ったんだ。でもさ。しみちゃんは私のこと助けられないじゃん。幽霊を食べられたって、私が傷つけられていたそのとき、あなたは私のそばにはいなかったよね?


 しみちゃんはやっぱりとんでもなく美人で、ぼんやりした世界のなかでいちばん強く輝いている。きらきらした光の粒がしみちゃんの周りをふわふわ飛んでいて、いやいやそれはおかしいでしょと、思うけどやはり飛んでいる。なにそれ?


 しみちゃんはベッドに腰掛けて私に抱きつく。しみちゃんの身体はすごく冷たくて、それがひんやりと気持ちいい。耳元で囁かれる。「ごめん。守れなかった」いいんだよ。わたしは大丈夫。とは言えなくて、やっぱり本音が出てくる。ここで嘘をつくならそれは私にとって恋人ではないのだ。


「うん。怖かったし痛かった。今もそう。しみちゃんが助けに来てくれたら、ってずっと思ってた」


 と言いたいんだけどやっぱりまだうまく話せなくて、ぐぎぃ、みたいなダッサイ感じの声が出る。それでも、しみちゃんはわかってくれる。私の気持ちを、伝えたいことを理解してくれる。しみちゃんはやがて、私の気持ちに耐えられなくなって、ぼろぼろ涙を流す。私もそれにつられて泣き出す。これで全部解決するような気がした。私たちに必要なのは、なにかを許すための事実ではなく、許したいという気持ちなのかもしれない。


 私は一週間くらい入院することになり、その後もぼんやりした視界の具合は元には戻らない。お医者の話では脳へのダメージが残ってしまい、視力がひどく低下してしまったということで、私はアラレちゃんみたいなでっかいメガネをつけて生活を続ける。本格的に学校には行かなくなったけど、家で勉強を続けるようになる。他人が怖くなってしまったので、家族やしみちゃんくらいとしか話ができないのだ。他人が怖いということの本当の意味を私は知ることになって、ちょっぴり大人になった気分さえあるのだが、それはそれとしてこのままではいけないのだとも思う。だからといってそれを乗り越えることができるかというとそれは違くて、私はひとが何を考えているのか、ひとがどんな恐怖と怒りを抱えているのかが分からなくてとても怖い。だって私に乱暴した彼らでさえ、間違いなく怯えていたのを私は知ってしまったのだから。


 しみちゃんは学校が終わると私の家に来て、晩御飯まで一緒に過ごしてくれる。毎日。相変わらずしみちゃんは学校で浮いているようで、しかもクラスはほとんどお葬式のような陰鬱さに陥っているらしい。そりゃそうか。一ヶ月の間に何人も自殺したんだから。どうやら私が自殺したことをしみちゃんの呪いだとする噂までもが飛び交っているのだとか。あのひとたちは馬鹿だね。そんなわけないのに。しみちゃんはいつもどおり噂には無関心で、心から私との時間を楽しんでくれる。私もそうする。しばらくはこうさせてよ。とわたしは誰かに懇願する。わかるよ?学校には行かなきゃ行けないし、いつまでもこうして家に篭っていてどうしようもないニートになったってシケてるもんね。でも今はいいじゃん。ちょっとくらい、じっとしてさ、落ち着くまでのんびりしてもね。


 とか言ってるうちに十年が経ってしまう。私は二十四歳になったのにまだ家に篭っていて、お父さんとお母さんには皺と白髪が増える。しみちゃんは東京の大学を卒業して東京の会社に就職。コンサルなんとかかんとかの会社らしいが、私にはそれが何なのかさっぱりわからなくて調べようという気にもならない。そして私の彼女の間にはそのくらいの距離が空いてしまう。しみちゃんはいつのまにか年賀状をくれるだけの存在になっていて、私は毎日中学生のころのしみちゃんとの思い出で心を温めて生きているのに対し、彼女は新しいものをどんどん食べて成長している。幽霊を食べるのは高校に入ってやめたそうだ。そのときしみちゃんには、はじめての男の子の恋人ができていた。私は?私はもうしみちゃんのどこにもいなくて、なにものでもなかった。この十年の間に三回の自殺未遂を起こして、私は心も身体もぼろぼろになる。しみちゃんが幽霊を食べなくなったころに、私の家の中に幽霊がいったりきたりするようになって、ただ一人幽霊が見える私だけが大騒ぎする。お父さんがなんとか私を病院に連れていって、私は統合失調症だと言われる。ええー!なにそれ!病院の天井に張り付いた蜘蛛みたいな女の幽霊がお医者の代わりに言う。「一生治んないよ」うるせー!私が怒鳴ると、幽霊は初めからどこにもいなかったみたいに姿を消して、お医者とお父さんが私を悲しい目で見つめる。お母さんが泣く。私は毎日薬を飲むようになって、その薬は飲むと頭がぼーっとするけど、その代わりに不安や悲しみが消えるし、幽霊を見なくなるし、しみちゃんを思い出さなくさせる。ああ。これがわたしの人生なんだぁ〜。ヘぇ〜。ってしてると薬はプツンと切れて私はまた不安にぐしゃぐしゃにされてしまう。汗も涙も止まらなくなって、あそこがずきずきと痛み始める。まだ痛い。あの日からずっと痛いんです。というのをずっと過ごして、薬と不安で心と頭をぽやぽやにしてるとまた十年が経つ。三十四歳になる。お母さんが交通事故で死ぬ。お父さんはすごく痩せて、ご飯も全然食べられなくなる。家にゴミが増えて、いつも何かの腐った匂いがしているようになる。家の中を歩き回る幽霊は薬を飲んでも消えなくなって、その姿はどんどん人間離れしていく。ある夜、お父さんが帰って来なくて、家にご飯がなくて私はしょうがなく現金を持ってコンビニにいく。外に出るのは何年ぶりだろう。そしてコンビニに行く途中で、私をめちゃくちゃにした佐々木くんのお姉さんとその友達にばったり出くわす。二人は結婚していたみたいで、ちょうどあの時の私と同じくらいの年頃の女の子を連れて楽しそうに歩いている。どこかに外食に行った帰りみたいだった。それを見た瞬間に私の中で何かが壊れて、はいおしまい。私はその場に倒れる。するとどこからともなく、人間の形をやめた幽霊たちが湧き出してきて私を取り囲む。やめろ!やめてくださいいっ〜っ!って懇願しても幽霊たちはそれを無視して私の肉や骨や髪の毛を噛みちぎっていく。私がむしゃむしゃ食べられている間に、実はお父さんはもう会社のビルから飛び降りて死んでいて、家は空っぽのまま、帰ってくるひとがいなくて、真っ暗でずっとゴミが腐り続ける。そして真っ暗の部屋の中で、ずっと一人で泣いている子供がいる。もう誰も帰ってこないその家の中で泣いている子供の顔は、そのまま地獄の底と繋がっていて、そこから私の泣き叫ぶ声が響いている。


 という夢をみて私はぎょわー!と叫び起きる。びっしょり汗をかいていて、パジャマも下着もベタベタになっている。喉が痛いくらいに乾いていて、心臓もバクバク鳴っている。外はもう明け方で、薄い青色が部屋に入り込んでいた。今のは? ここはどこ? 夢と現実がない混ぜになった頭を絞って、しっかりさせる。私が三十四歳?違う。私はまだ十四歳だ。あれは夢だ。私はたしかに学校には行っていないけど、あそこまで腐ってはいない。ヤバい。ヤバすぎる夢を見た。あんなことになったら、私の人生ってなんなんだ?そうはさせない。絶対にそうはさせねぇぞ。と決意する。するとどこかで「あーあ」と誰かのガッカリしたような声が聞こえる。私は部屋を見回すけど、私の他には誰もいない。そしてやがて、部屋から何者かの気配が消える。私は怯える心を奮い立たせて、ベッドからおり、お風呂で熱いシャワー浴びる。それから、学校の制服に着替えて、テレビをつける。インスタントコーヒーを濃いめに作って、そこに砂糖もどばとば入れて、甘苦でどろどろの奴を一気に飲む。甘すぎて脳みそが溶けそうになるけど、私の中に不思議と力が湧いてくる。食パンもトーストにして二枚食べる。吐くかもと思ったけどそうはならない。胃の中に収まったトーストたちは、まっすぐ私が生きるための力になっていく。私はそれを感じる。


 よし。私は大丈夫だ。私は少しだけ自分を取り戻す。たぶん、なにもなかった頃のそのままには戻れないだろうけど、かなりかたちは変わってしまうのだろうけど、私は私なのだ。どんなにひどい目にあったとしても、この気持ちは変わらずに私のところに戻ってきてくれるはずだ。でも、夢の中の私も、あの子もきっと私だ。あの未来は実現しないかもしれないし、というか絶対にさせないけども、あの時間を生きたあの子も私で、あの私も私として頑張って生きようとした私なのだ。私はボロボロの未来のなかで幽霊に食べられて地獄に行ってしまった私を想う。あなたのことを地獄から助けてあげるから、まっててね。私はその約束を守るためにちゃんと生きなくてはならない。それは私を脅かす恐怖に立ち向かうということでもあるし、そしてその一つはしみちゃんなのだ。


 私はいてもたってもいられなくなり、明け方の空の下に歩き出す。家の外に出るのがかなり久しぶりで、新聞配達のバイクの音さえも素晴らしく美しく聴こえて、ちょっと涙ぐんでしまう。当てもなく歩いていくと、足の向くままというのがわかる。そっちになにがあるのか知らないけど、そこに行かなくてはいけないのだという感覚になる。そして私は、私を襲った高校生たちに出会う。彼女たちはこの早朝から学校の制服を着ていて、ぞろぞろと歩いている。忘れもしない。佐々木くんのお姉さんたち。ただ彼女たちは私に気付いてないみたいだ。


 彼女たちは道の真ん中で立ち止まる。私に気づく、お姉さんがぼーっと私を見ている。私は怖くなるけど、逃げない。逃げられないだけかもしれないが、とにかく逃げたらダメだという意識はある。負けるもんか。


 一人がアッ!と叫ぶ。その瞬間、自動車が突っ込んできて、彼らをまとめて吹っ飛ばす。自動車はそのままどこかの家の塀に激突して止まる。ものすごい音がして、私は唖然となる。彼女たちはもれなく即死していて、お姉さんの首がグニャ〜っともたげて、死んだ目が私を見る。ざまあみろ、と私は思う。そしたらその全部が消えて、静かな朝の交差点が残る。え?今のはなに?わたしの妄想だったの?でも、そうじゃない。お姉さんたちは全く同じ様子で向こうの角から現れて、私の目の前で止まる。一人が叫ぶ。アッ! すると全く同じスピードと角度で自動車が突っ込んできて皆殺しにされる。お姉さんの首グニャ〜で、私を見る。そして消える。その繰り返し。四回目を見終えて私は気づく。幽霊だ。このひとたちは幽霊になってるんだ。


「おはよ〜。はやいねぇ」といつのまにかしみちゃんが私の隣に立っている。それは幽霊なんかじゃなくいつものしみちゃんでたぶんきっと私の初めての恋人のはずなのだが、今だけはあんまり愛おしくは思えない。やばいよね。これは地獄だなァ。って呑気にあくびしてしみちゃんが言う。でもこれ、りょーちゃんをやった人たちでしょ?別にいいよね。このくらいでも足りないと思う。と静かに冷たい目で、またぶっ飛んで死ぬ幽霊を見ている。


 しみちゃんがやったの?私は聞く。まさか!としみちゃん。「私は幽霊を食べられるだけ。こういうのはただ呪われた生き方をしてるからこうなるだけだよ〜。交通事故だって偶然だもん。こいつら死んでほんとよかったよね〜」私にはしみちゃんの言葉の中の嘘がなんとなくわかる。「嘘が混じってる」「ふふ。おかえり。りょー」しみちゃんは私に抱きつく。私はまた死ぬ佐々木くんのお姉さんをずっと見つめている。地獄の底だ。泣いてるのは私でもありこのひとでもあったのかな? なら真っ暗な私の家で一人で泣いてる子供は誰?


 私はしみちゃんの方を向いてしみちゃんにキスをする。しみちゃんはギャワーッ!と大声を出して飛び退き、尻もちをついて目をひん剥いている。いい気味だ。いつもスカしやがって。たまには人間らしい反応をしてみろってんだ。顔を真っ赤にして自分の唇に触れるしみちゃんは、どういう感情なのかぶるぶると震えている。しちゃった……?え……なんでいま?……妊娠しちゃうかも。とか言う。しねーよ馬鹿。


「よし!まずは奏多くん! あの子を見つけよう!そっからだよ! わたしたちはなんかしなくちゃ!」私は吠える。「はぁ?いきなりなに? 燃えてんの?青春?」としみちゃん。「あ、青春か。なるほど〜これが例のね!」「りょー大丈夫?死にかけておかしくなったんじゃない?」私は飛び跳ねてしみちゃんの頭をはたく。しみちゃんは唖然として私を見つめる。「デリカシーのない女は嫌い! でも許す! あんた馬鹿だからね〜」


 私は何かを思い出しそうになる。うーん。なんだっけ? すごく大事なこと。でも思い出せない。なんだっけ? なんとなく言ってみる。「ねぇ。今からカラオケいかない?」


「いや、その前に学校でしょ……」あ、そっか。そりゃそうだ。やはり思い出せず、そのなにかから遠ざかった感があるけどしょうがない。諦める。私はもう一ヶ月近く学校に行ってないのだ。そろそろ因数分解の新しい公式も溜まっていることだろう。

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