第2話


 私の初めての恋人はしみちゃんという女の子ですごくきれいな子なんだけど、実際のところ性格がちょっと曲がっているし、なんか幽霊を食べてしまう。しかもなにより、私だって女の子なのだ。女の子同士で付き合うってどう思う?ってお母さんに聞いてみたら、まーいいんじゃない? 最近はそういうの多いみたいだし。と言われて、あ、別に変とかじゃないんだ。と思ったのだが、そのあと、「あんた女の子好きなの?」とお母さんに聞き返されて、私はすぐに否定してしまう。私は男の子が好きだと思うけど、実際のところ好きとか付き合いたいというのはよくわからないし、ましてや女の子と付き合っているというのをお母さんに知られたくないという思いがかなり強いみたいだった。


 そういう私のもやもやみたいなのをわかってるのかわかってないのか、しみちゃんは私の彼女面をしていて、毎日寝る前に電話をかけてくる。これに出ないと次の日学校ですごく怒ってくるのでちゃんと出る。他愛もない会話、とでもいうのかそういう感じのだらだらしたおしゃべりだけを続ける一時間くらいがあって、最後におやすみーっていってそれで寝るみたいなのが習慣になる。しみちゃんは付き合えと私に言ってきたけど、実際に求めてくるのは寝る前の電話だけなので、なんだ変なこと言ったけど実は寂しいだけじゃーんと私は気が楽になる。と思っていると、「明日デートね。駅前に朝10時集合。来なかったら怒るから」と金曜日の夜10時くらいに言ってくる。はぁ!? 普通そういうのって前もって話すよね? とちょっと切れ気味にしみちゃんに言うと彼女は電話越しになんだかうれしそうに、ごめんごめん、でも来てね。と言う。私は結構振り回されてるんじゃないかな? しみちゃん、悪い女なのかもしれない。幽霊食べるし。


 時間通り、というより約束の5分前に駅前に到着しているとしみちゃんはもう来ている。紺のジャケットにカーキのサブリナパンツのしみちゃんは学校で見る時よりも身長が30cmくらい高く見えるし、美人度も増している。え、ちょっとお化粧もしてる? 目の周りがいつもにましてゴージャスな感じだ。一方私はデニムとパーカーとスニーカーでいつもとおんなじ感じのザ中学生みたいな感じでバリ悔しいのだが、美人のしみちゃんを相手に見た目を比べても意味がないのだと思いながら、近いうちにちょっと服を買いに行こうと決心する。しみちゃんは私を見つけると走って駆け寄ってきて、私をギューーッとハグする。土曜日の駅前なので結構人がいるのだが、お構いなしに。あわわわとなっている私にしみちゃんは「学校じゃできないもんね」と頬を赤らめて言う。しみちゃんってマジで私のことが好きなの? というか女の子が好きなの?


 しみちゃんと電車に乗ってから気づく。逆じゃない? 私たちが乗っているのはこのクソ田舎からさらに地獄的田舎へと向かう下りの路線で、普通市内まで遊びに行くのだとしたらこっちには乗らない。「しみちゃん、今日どこ行くの?」と聞くとしみちゃんはうーんわかんない。まだ決めてない。とだけ言う。おいおい。それはそうだとしてもこっち方面はねーだろと思うのだが、しみちゃん的には間違いなくこっちに行きたいらしい。もうこの先の駅はどんどん小さくみすぼらしくなっていくし、なにもない町に運ばれるだけなんだけど?


 今日デートっていうのは嘘なんだ。ってしみちゃんが言う。私はもうすでに結構疲れていて、じゃあそのクソおしゃれな恰好はなんなの? って聞くと、彼女に会うのにおしゃれしないとかないでしょ。と笑う。おおーなんか付き合ってるっぽい発言だ。と思いながらもじゃあ私は何なんだろう。しみちゃんとは女の外見という意味であらゆる程度で劣っている私は、しみちゃんの彼女のとしてふさわしくないのかもしれない。見た目もそうだし、私は今日ここにやってくるのに、おしゃれしてくるという意識は皆無でやってきているのだ。しみちゃんはそういう私の無言の絶望を感じ取ったのか、私の手を握って言う。「りょーが恋人って私にとってすごく幸せなことなんだよ」……。こいつ、どこでこんな落とし文句を覚えてくるんだろう? ずっと同じ町に住んでるのに……。youtubeでそういうの勉強してるの?


「ねぇじゃあさ。デートじゃないんなら、今日は何なの?」と私が聞くと、しみちゃんはちょっと答えづらそうに黙る。私はしみちゃんの言葉を待つ。電車の中はもはや私たち以外には誰もいなくて、私たちだけの空間になっている。冬に近づき始めている空はぐーんと高く、車窓から覗く外は新しい何かが始まるのにぴったりって感じの鬱蒼とした森の始まりに近づきつつある。要するに人の手がかかっていない林がますます濃くなっていて、でも空はばっちり晴れていて綺麗で、私たちは本来いるべき場所(つまりデートにぴったりなどこか)にいないのだということをひしひしと実感させられるのだ。しみちゃんは言う。「今日は……仕事?」しみちゃん働いてるの? もしかしてエッチなやつ? 私たちの年頃としてはかなり大人びているしみちゃんが、なにかいけないことしてお金を稼いでいるのだという想像は、わりとしっくりくる。というか幽霊を食べる噂(これはマジだけど)のくっついて、しみちゃんは「ヤバいこと」をしているというクソみたいな噂もあることにはあるのだ。


 電車はどんどん私たちを知らない場所に連れていく。ついに私が降りたことのある最後の駅を過ぎて、ここから先はもう完全に知らない町に入っていく。しみちゃんは場所は決まってないって言ってたけど、目的自体はあるみたいで、それは遊びとかじゃなくてしみちゃんの仕事らしい。そのことについてぼかしてしか話さないしみちゃんも怖いし、知らないところにどんどん行ってしまうことも怖いしで、私は不安になる。その不安さをしみちゃんはわかっていて、私にごめんね、って言うのだけど、謝るならするな、って感じで私はしみちゃんの言葉を無視する。


「今日は幽霊を食べに行くの。一人だと寂しいからりょーに来てほしかったんだ」ってしみちゃんが言うのは私たちが終点についたときのことで、駅の名前は難しい漢字が7つくらい連続する読めないものだった。●●●●●●●駅。ねぇここほんとにどこ?


「やっぱりしみちゃん幽霊食べられるんだね」と私が言うとしみちゃんは恥ずかしそうに頷いた。ねぇ、私たちくらいの中学生なら幽霊食べる以外にすることあるんじゃないの? って言いたくなるけど言わない。したいことは人それぞれなのだ。無人駅から出ると、荒れ地と廃墟しかないド田舎になっていて、こんなところに住んでる人いるのかよという感じなのだが、道だけはしっかり山のほうに続いていて、誰かが定期的にこの道を歩いているんだなというのはわかる。どこにいくの?私が100回目の質問をするとしみちゃんはようやく返す。オオガミさんのとこ。誰だよ。オオガミさん。


 オオガミさんとこは駅から30分くらい歩いたところにあって、私はもうへとへとになっている。このあとしみちゃんが幽霊食べて私たちは家に帰るの?マジで今日何?オオガミさんは神社に住んでいるひとのようで、しみちゃんに幽霊を食べさせている張本人らしい。それって悪者じゃない?と私が聞くと、「別に悪い人じゃないと思うけど。でもいい人でもないかも」と言う。しみちゃんが私以外の他人とそれなりに付き合っているというのは全然考えられなくて、うーんと思うんだけど、オオガミさんはたぶん大人だし、大人がどういう事情があったとしてもしみちゃんみたいな中学生の女の子に幽霊食べさせて何かしてるって結構ヤバな話だ。犯罪ではないのかもしれないけど、しみちゃんはこないだの花柄ワンピースのおばあさんみたいな悪い幽霊だって食べてしまうのだから、いろいろと危ないことなんじゃないないだろうか。っていうかこないだも普通に食べてたけど、明らかに身体に悪そうなんだよね……。


 神社は山の中にある神社で、おやしろのそばにプレハブみたいなのが合ってそこにおばさんがいた。おばさんがオオガミさん。おばさんはアディダスのジャージを着ていて、髪の毛はぼさぼさで、たぶん36歳くらいだと思う。オオガミさんは私をみて、「麻衣子、それだれ?」って言う。敵意ぷんぷんで私はちょっと引く。なんでよりによってこんな怖いひとなの? しみちゃんは胸を張って言う。「私の彼女」おーい。そういうノリなの? オオガミさんはぶはっと笑って、うんうん頷く。「おーおーなるほど。アンタ彼女できたんだ。そりゃいいねおめでとう。名前なんていうの」


「海野です……」って私はマジビビりながら言う。オオガミさんはもうあんまり警戒してないみたいで、にっこり笑って「はいよろしく。わたしはオオガミと言います」とあいさつ。意外と悪い人じゃないのかも。でも続けて言う。「あんたここに来たってことは、麻衣子が何しにここにきてるのか知ってると思うけど、そのこととか、これからここで見ることとか、よそで話したら殺すからね」ひー。全然悪い人じゃん!!


 やめてよね! ってしみちゃんが怒って私をかばう。私は怖くてしょうがないのでしみちゃんの後ろに隠れる。情けないと思うけど本当に怖い。大人の人からこんなわかりやすい敵意を向けられたのは生まれて初めてなのだ。こればかりはしみちゃんがかっこいい。惚れそうだ。オオガミさんはまた意地悪そうに笑って、「はいはい。嘘だよ。海野ちゃん」って手をヒラヒラと振る。なんなん?「でも秘密にしてもらうのはほんとだから。もし破ったら、私じゃなくてほかの奴らがもっとひどい目に合わせるよ。あんたのこと」と私を見る。あぁ。こなきゃよかった。


 しみちゃんがおやしろで幽霊を食べているあいだ、わたしはオオガミさんと一緒にプレハブで待つ。プレハブの中が普通の家という感じで、テレビとかエアコンとかがある。そこでまってて。とオオガミさんに言われてちゃぶ台のそばに座って待っているとオオガミさんがおせんべいとカルピスをもってやってくる。はい。まぁ食べなよ。私はおせんべいには絶対に口をつけないと決め込んで、カルピスを一口だけ飲む。喉はからからだった。甘ったるいけど、きんきんに冷えた白色が私の喉をつつーっと下っていく感覚が最高に気持ちいい。とてもおいしい。


「オオガミさんとしみちゃんって……、麻衣子ちゃんってどういう関係なんですか?」私が聞くと、オオガミさんは真顔で言う。「親子だよ」え、ああ。そうなんですね。と私は行くけど、私はしみちゃんのお母さんを見たことがある。こんな怖いおばさんではなかったはずだ。私の訝しげな表情に気づいたのか、オオガミさんはうわっはっはっはと笑って訂正した。「嘘嘘。私は麻衣子のおばだよ。麻衣子の母親の妹なの」なんなのこの人。オオガミさんは続ける。「私はここの神社の管理人なの。神主は死んだ私の親父。麻衣子はここの……まぁ、巫女ってとこかな」私は赤い袴をはいたしみちゃんを想像する。くそ、似合うな……。でも、死んだオオガミさんのお父さん=しみちゃんのお祖父さんが神主で、オオガミさんが管理人? オオガミさんは神主じゃないの? オオガミさんは答える。「別に神社に神主はいらないからね。ちゃんと掃除してお供え物をするひとがいたら、神様はちゃんとここに残ってくれるから。神主ってのは、ただ神社本庁がそういう人間を置いているほうが統制しやすくてやってるだけだよ」よくわからない上に割とどうでもいいので、それ以上のことは聞かずに、ほかのことに質問を向けることにする。


「しみちゃんの幽霊食べるやつってなんなんですか? あんなことしてしみちゃん死んだりしないんですか?」オオガミさんは即答する。「死にはしないけど、寿命は縮んでるかもしれないねぇ」むかっときて私は言う。「あの、家族なんですよね。そんな風でいいんですか? しみちゃんの寿命が縮むならなんでそんなことさせるんですか?」オオガミさんはほんの一瞬だけ、怖い顔になるけど、すぐにそれを押し殺して、子供相手にキレたりしませんよ~って感じの顔になって言う。「うーん。確かにそうなんだけど、あれはあの子がやりたくて勝手にやってることだから。私たちには止めらんないのよね~」「でもしみちゃんは仕事だって……」「仕事は仕事だよ。でもあの子がやんなくてもいいことなのもそう。戦争難民の人達のために募金するのが義務じゃないのと同じ」私はオオガミさんがなにを言ってるのかわからない。なんの話なの?「あの子が食べてるのは、悪い幽霊なの。悪い幽霊はずっと放っておくと悪さをするから、悪さする前にここに呼んであの子に食べてもらうの。そういうこと」「悪さって例えば?」「誰かを騙したり傷つけたりするね」私は黙る。こないだの公園のおばあさんを思い出す。しみちゃんはあの幽霊を食べてくれた。だから私はあの時助かったんだ。あのままだとおばあさんは私になにをしたんだろう?想像もしたくない。それくらい、あの悪い幽霊は悪いものだった。しみちゃんは私をあれから守ってくれたのだ。自分を犠牲して。まぁ彼女になれって言われたんだけど。


「まぁまぁ、しけた話はいいじゃん。あの子にはそういうヒロイックな一面もあるってだけの話。それよりさー。おねぇさんもっと知りたいことがあんだよねー」「なんですか?」「あんたらもうヤったの?」カルピスが口から噴き出る。


 それからはしみちゃんと私の関係の話になる。ときどきオオガミさんが茶化して私たちはそれなりに楽しい時間を過ごす。カルピスのおかわりもくれるしおせんべいも結局食べた。そうして私は気づくのだ。オオガミさんは私がしみちゃんのことを思い悩まないようにしてくれているということを。私がしみちゃんの恋人だろうが友達だろうが、良き隣人としてそばにいられるように、難しいことを考えずに、中学生として素晴らしい時間を過ごせるように私を誘導しているのだ。私は決して賢い女の子ではないけど、そのくらいのことはわかる。オオガミさんは本当はすごく優しいひとなのだ。私はそう思ってこのひとのことが好きになる。愛情じゃなくて、人間としての尊敬を彼女に向ける。そして同じ理由から、しみちゃんとオオガミさんが背負っている何かを想像して、二人のことを悲しく思う。オオガミさんは、何かをすっかり諦めているのだ。しみちゃんに対して。


 そうこうしてるうちにしみちゃんがおやしろから出てきて、プレハブに戻ってくる。「おつかれ〜」とオオガミさんが呑気に言う。しみちゃんは私の使っていたコップにカルピスを注いで、それをごくごくと飲み干す。「間接キッスじゃん!!」オオガミさんが言う。私たちはそれを無視する。「あ〜お腹いっぱいだよもぉ」としみちゃんは私にもたれかかる。しみちゃんから甘い匂いがする。シャンプーの匂いじゃないから香水か何かだ。


「しみちゃん、大丈夫?」私が尋ねるとしみちゃんは笑っている。平気らしい。でもちょっと疲れてるみたいだ。しみちゃんは私の太ももの上に頭を乗せて膝枕の形にする。しみちゃんが言う。「今からいちゃいちゃするからオオガミさん出てってよ」おいおい。「馬鹿が。私んちだぞ」とオオガミさんは言うけど、にやっと笑って「三十分だけな」とほんとに出ていく。ええ〜。オオガミさんが出ていくと膝枕中のしみちゃんが私を見上げる。バチクソ綺麗な顔なので逆に直視できない。「あたまなでて」しみちゃんが言う。私は黙ってしみちゃんの綺麗な髪の毛を撫でてあげる。モデルさんみたいにツヤツヤの髪の毛は私の手のひらをさら〜っと滑る。「しみちゃんさ」「なぁに?」「なんでわたしなの?」「う〜んなんでかな」「わかんないのにわたしなの?」「うん。でもひとを好きになるのに理由なんかないでしょ」「そんなことない。理由はあるよ絶対」「ないものはないんだもーん」「あるね。しみちゃんが知らないだけか、言わないだけで」「んふふ。ホントはあるけどね」「なんでなの?」「ひみつ」


「教えてよ!! そんなんだから私はずっと不安なんだよ!!! なんでしみちゃんみたいな綺麗な子が私を選ぶのかわかんないんだもん!! ぜんぶ全然わかんないもん! しみちゃんと付き合ってからわたし他の友達もみんないなくなってたんだよ!? しみちゃんを嫌ってる子たちから変なこといっぱいされるんだから! 幽霊食べるってなに? 寿命が減るってオオガミさん言ってた! なんのためにそんなことしてるの? 他の誰かが傷つくのが嫌だから? じゃあしみちゃんは傷ついていいの? 私だってしみちゃん好きだよ! また仲良しになれてすっごく嬉しかったよ! でもさ! しみちゃん普通じゃないんだもん! もっと普通になってくれてもいいじゃん! 私が胸を張れて苦しいところが何にもない私の彼女になってくれてもいいじゃん!!!」


 私もいつかのしみちゃんみたいにぶぇーんて泣いてしまう。いろいろあって私もかなりしんどいのだ。今日こんな風にキレるつもりは全然なかったのにやってしまった。そう思う私は今の私の中ではすごく弱くて、しみちゃんとか他のみんなに対して手当たり次第に攻撃したいと思う狂ったわたしがぐいぐい私を引っ張る。ボロボロ涙がしみちゃんの顔に落ちるし、唾とかも飛んでてしみちゃんの綺麗な顔を汚す。あぁ、こんなことしちゃいけない、と思うけど、同時にこいつをもっと私で汚したいとも思ってしまう。こんな私はいったい私のどこにいたのだろう? とにかくいろいろ溢れて出てきて止まらないのだ。


 しみちゃんは私の汚ったないあれこれを全部受け止めて、黙っている。なにも言わない。真顔のまま。怒らせたかな? 幽霊を食べるしみちゃんには勝てないかもしれないけど、やるならやってやる、と私はまだ血気に染まっていて、身体はふーふー言っている。やがてしみちゃんはちょっと悲しそうな感じに笑って、私を抱きしめる。やめろ!そんなんすんな!と私は大暴れしたいけどしみちゃんの力が強くて全然抑えつけられてしまう。


 う、キスされそう。と思う。しみちゃんは私と二人きりのときよくキスしようとしてくる。私はそういうのはまだ嫌なので毎回拒む。顔面の距離が近いのでしみちゃんはやってきそう。でも今やってきたら本気で唇噛んでやるくらいの暴走が今の私んなかにはあるのだ。そしてしみちゃんはそれを感じているのか、キスしてこない。私を抱きしめたまま、ただじっとしている。暴れる猫みたいにフガフガブンブン言ってた私も少しずつ落ち着いてくる。落ち着いても涙は止まらない。だくだく溢れたそれがしみちゃんの服を汚す。こんなときでもわたしはわたしがしみちゃんを汚すことを考えている。そのくらいしみちゃんは綺麗なのだ。私なんかが触れていいものじゃないのだ。どうしてもそう思ってしまう。


「りょーちゃん。私はあなたが好き。それだけは間違いないの。他のことはいろいろあるかもしれない。それがりょーちゃんを傷つけることもあるし、それは直接私のせいかもしれない。でも私はりょーちゃんをまもるから。わたしは恥ずかしがり屋だから、りょーちゃんが知りたい私のことを全部すぐに話すのは無理。でもちょっとずつりょーちゃんには知ってほしい。いまはこれで許してほしい。あなたが私を心から好きだと言えるような女の子になるから、どうか私を諦めないで」


 しみちゃんの目からするりと涙が落ちる。ほんとうの涙がしみちゃんから出て、私はしみちゃんが本物の人間なのだと実感する。傲慢な言い方だけど、私が愛するに足りるひとだとそう思う。そうして私は初めて、しみちゃんの顔を美しいと思わなくなる。その代わりに、とっても愛おしく思えるようになる。


「……うん。わかった。今はそれで許したげる」


「ありがと」


 しみちゃんが私の唇に自分の唇を重ねた。



 それとこれとは別なのだ。まだまだ私のなかの何かは収まっていない。

「痛ぃっった! 普通ここで噛む!?」私は噛むよ。でも前よりはちょっとずっと、私はあなたを好きになると思う。


 

 私たちはちょっとだけ二人でくっついて時間を過ごす。しばらくするとオオガミさんが戻ってくる。「なんかすごかったけど、大丈夫?」私たちは大丈夫。三人でだらだらおしゃべりしてまた山道を歩いて帰ってきたら夕方の四時だった。私たちはなにかを乗り越えた感じを手ごたえとして手に入れて、今日はそこでバイバイ。家に帰って、晩御飯をたべてお風呂に入って、疲れていたのですぐに寝てしまう。しみちゃんからの電話を出損ねて、次の日の朝にちょっと拗ねられる。その日は日曜日で、でも昨日があったからとくに私たちは会う約束もせずにそれぞれで過ごす。どうやらしみちゃんもなにか用事があるらしい。そしてまた次の日月曜日で、わたしはちょっと憂鬱な気持ちで学校に行くと、なんかクラスがざわついていて、私が教室に入るとみんな一斉にこっちを見る。


 私は怖くなって、自分の席につく。みんなが私を見ている。もうよっぴーやタカコは私に話しかけてきてはくれないし、だから私も二人に話しかけられない。私にはしみちゃんしかいないのかな、と思う。するとしみちゃんが来て、いつも通り鞄を置くと私の席のところに来てくれる。学校ってこんなにしんどい場所だったっけ? 「なんかみんな見てるね」私が言う。「そうだね~なんだろ~」しみちゃんはやっぱり綺麗な顔でへらへら笑う。今の私が感じてる孤独は、しみちゃんがついこないだまで感じていたものだろう。でもあのとき、しみちゃんには私はいなかった。だからしみちゃんは泣き出してしまったのだ。私にはしみちゃんがいる。それが何の理由になるのかわからないけれど、とにかく私にはしみちゃんがいるのだ。そう思うことにする。


 そしてHRが始まって、先生がちょっとだけ明らかに私を見て言う。佐々木くんと春見さんと高梨さんの三人が一緒に自殺して、佐々木くんと春見さんは死んだそうな。高梨さんはまだ病院で、危ない状況らしい。私は気が動転して、先生をまっすぐ見ることができない。三人は私にとってちょっと意味のある三人だった。例えばそれはつまり、しみちゃんと私が仲良くしているのをつまらないと感じている三人だ。


 先生を見れない代わりに、私はしみちゃんを見る。私から少し離れたところにいる。しみちゃんは、私のほうを見ない。私のほうを見ないということは私が見ていることに気づいているということだ。でもその顔は、私に見せつけるための本当に凍り付くような冷たい笑顔で、わたしはまだまだしみちゃんのことがわからないのだと、どうしても思ってしまう。

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