やまびこ
彼は父と共にその山に登った。
学生時代に山岳部だった父に従い、漸く辿り着いた山頂の眺望に目を輝かせた。
父に促され、勢いよく声を張る。
ヤッホー。
…ヤッホー。
彼と全く同じ声が返る。
やまびこだと父が教えてくれた。
「やまびこは山の神様だとも言われてるんだよ」
父の言葉を彼は信じた。
幼い目にもそう信じられる程、美しい光景だったから。
この山の神様と話がしたいと思った。
こんにちは!
…こんにちは!
返事してください!
…返事してください!
どれだけ呼ぼうと返る言葉は同じ。それでも諦めきれない彼は、父も呆れる程叫び続けた。
彼はその後何度もその山に登った。
暫くは父と二人で。
妹が出来た後には家族で。
やがて彼の隣に立つのは、家族から友や恋人に変わっていったけれど。
彼だけは変わらず毎回、山のどこかにいるはずの神様に呼びかけた。
やまびこ様。
…やまびこ様。
一度でいいから返事してよ。
…一度でいいから返事してよ。
そしてさらに時は過ぎ。
彼は一人、幾度目かの山頂を目指す。
人間の気配を感じ、山彦は大きな耳を震わせた。
最近ではやまびこを求める人間も少なくなったけれど、こうして山に入る人間に加護を与えるのが己の仕事だ。
どんな声でも出せる代わりに自分の言葉は話せない。
生まれてこの方それが普通だと思ってきたけれど。
あの子がずっと自分を気にかけてくれるから。
いつか何かを返したい、そう思うようになっていた。
おおい、やまびこ様。
当の彼だと気付き、山彦は慌てて声を返す。
…おおい、やまびこ様。
今日はお別れを言いにきたんだ。
……今日はお別れを言いにきたんだ。
俺、就職でここを離れるんだ。
………俺、就職でここを離れるんだ。
でもいつか必ずまたここに来るから。
…………。
山彦は、言葉を失った。
「…あれ?」
やまびこが返らない。
聞き漏らすはずなど無いのにと思いつつ、彼はさらに続けた。
結局話せなかったけど楽しかったよ。
…………。
やはりおかしいと感じた時、眼前の光景に変化が起きた。
山の斜面に点々と色がつく。
花だと彼が認識するよりも早く、それはあちこちに鮮やかな輪を作った。
「…やまびこ様?」
呆然と呟いた声には何も返らない。
けれどその無数の輪が、言葉以上の返事であることは分かった。
ありがとう!
……ありがとう!
また会う日を楽しみにしてるよ!
………また会う日を楽しみにしてるよ!
さよなら。
………………さよなら。
随分遅れて返った別れの声は、優しく山に響いて消えた。
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