通勤電車

 僕は毎日電車で通勤する。

 帰りは不規則でも、朝は決まって同じ時間。乗り合わせる顔は自然と覚える。


 吊り輪片手に眠る中年男性。スマホに夢中な男子学生。文庫本を読む若い女性。楽しそうな女子高生達。僕に背を向けた会社員に抱かれた幼児。

 父親らしき男性は恐らく僕と同年代。どこかに預けて会社に行くのか、事情は知らないけれど偉いと思う。

 後ろに立つ時、僕はその子だけに見える動きをした。手を振ったり、首を傾げたり。不審者だと思われない程度に。



 とにかく、そんな毎朝。

 皆何事も無い顔で電車に乗っている。

 けれど僕は時々、この車両の乗客はチームみたいだと思う。

 それは助け合って何かをする訳じゃなく。

 例えば今日、僕に良いことが無くても、この中の誰かに何か素敵なことが起こるような。

 例えば今日、僕が絶好調だったなら、この中の誰かがその分何かに耐えてくれているような。

 宝くじに当たるのは多分一生無理だけど。この人数なら、小さな幸せや不幸せを分かち合えるかもしれない。

 そう思うと、見慣れた通勤電車の光景は少し色づいて見えた。





 その日は朝から雨だった。家から駅までの距離でさえ、傘があっても足元が濡れた。

 いつもより混雑した駅の、湿度と圧迫感と独特な臭い。微かに顔を顰め、僕は電車に乗り込む。いつもの顔はよく見えなかった。




 吐き出されるように電車を降り、周りと歩調を揃えて歩く。乾かない足元に辟易しながら駅入口まで来ると、嘘のように晴れていた。


 何気なく空を見上げた僕の目に、大きな虹。しかもその上にさらにもう一つ、二重橋だ。

 思わず足を止め、慌てて端に寄る。

 今日の当たりは僕かと思って嬉しくなった、その時。誰かが真横で立ち止まった。


「わ、大当たり」


 驚いて隣を凝視した。いつも文庫本を読んでいる女性だった。僕が先に降りるので、同じ駅とは知らなかった。


「すみません。天気予報で虹が出るかもって…」


 戸惑った様子は僕が原因だろう。不躾な視線を送った自分を恥じる。


「や、僕こそ、すみません」


 マスクの下の表情は窺えないものの、その目元が和らぐ。

 少し浮ついた僕は、軽く頭を下げた。


「…じゃ」


 ぎこちなく踏み出した僕にかけられた声。


「また、明日」

「え?」

「同じ車両なんです」


 子供さんの相手してあげて、優しいですね。


 彼女はそう言って颯爽と歩き去り、一方の僕はその場で動けずにいた。

 今日の大当たりは間違いなく僕だ。それは虹を見たからか、それとも、もしかしたら—。



 もう一度見上げた虹は消え始めていたけれど、僕はいつもより心地よい気分で歩き出した。

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