記憶

 その猫はある女性と共に暮らしていた。とても大事に可愛がられていたから、猫は彼女のことが大好きだった。


 けれども猫は時々思い出すのだ。

 彼女とは違う、大きく温かい掌の記憶を。

 生まれて間も無く彼女と暮らし始めたのだから、そんな人間と暮らしたことなど決して無いはずなのに。



 —ずっと一緒だぞ—



 懐かしい言葉がすぐ側で聞こえた気がして、猫は時々じっとそちらを見つめた。


「どうしたの?何か見えるの?」


 心配そうに声をかけられると、少し申し訳ない気持ちになる。

 彼女はもちろん大切だけれど、会いたいと願ってしまう。遠い何処かで約束をした、あの人に。




 ある日、女性の帰宅がいつもより随分遅くなった。待ちかねていた猫は出迎えようと飛び出したものの、すぐに慌てて踵を返した。何故なら女性は一人ではなかったから。

 

 そのままベッドの下に潜り込み、息を殺して様子を窺う。そんな猫に見えたのは彼女と、その後に続く、彼女よりもずっと大きな見慣れぬ足。


「俺、嫌われちゃったかな」

「そんなことないよ。誰が来てもこうなの」


 そうかと苦笑する声も、今まで一度も聞いたことの無いもの。けれども猫は暗闇で、大きく髭を震わせた。

 見たことも、聞いたことも、会ったことも無い人。それなのに何故か今、あの記憶を思い出す。


 恐る恐る、猫は姿を現した。


「あ、出てきた。…撫でてもいいかな」


 頭に乗せられた掌の感触は違っていても、猫は確かにその優しい撫で方を覚えていた。


「ミャア、ミャア…ミャア」

「気持ちいいのかな?」


 女性は驚いて、鳴き続ける猫を見た。


「滅多に鳴かないし、いつも隠れて出てこないのに。あなたのことすごく気に入ったみたい。猫、飼ってたの?」

「いいや、親がアレルギーだったからね。でも俺はすごい好きだから、ずっと飼いたかった」



 大人しく撫でられながら、猫は思う。

 こうして生まれるずっと前、何処かできっとこの人と出会っている。あなたが忘れてしまっていても、声も姿も全て変わっても、約束通りにまた会えたよ、と。


 大切だったあの人と、さらにもう一人。今とても大切な人も共にいる。それはとても幸せなことだ。

 いつかこの体じゃなくなっても、きっとまた何処かでこうして二人に会えるのだろう。

 もしかするとその時は、この二人の他に、新たにまた大切な人が増えているのかもしれない。


 そんな想像をしてすっかり満足した猫は、二人の間で丸くなり、二人に見守られながら眠りに落ちるのだった。











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