【6滴】ドラクラ・バンピラの花が咲く6
ノアはジャケットに両手を入れながら晴翔を見下ろしていた。それから視線を彼から散らかった周りに向ける。そしてポケットから手を出しながら晴翔の前でしゃがみ込んだ。
「だから言っただろ? このままだったら無理なんだよ」
だが今の晴翔にとって彼女の声はただの環境音に過ぎなかった。耳には入っているが右から左へただ通過する音。そんな彼の目が真っすぐ見ていたのは彼女の首筋。茂みに隠れその瞬間を待つライオンのように鋭い視線を向けていた。その肌とは対照的に真っ赤に染まる血。それを乾いた口に――喉に流し込むことを想像すると体が勝手に無い唾を飲む。吸い込まれるような感覚に抵抗できず今にも彼女の首を血で濡らしてしまいそうだった。
だが晴翔はその恐怖のおかげで飛びかけていた我を取り戻すと顔を逸らした。現実逃避をするように強く目を瞑りながら必死に落ち着かせようとする。
「無理すんなって。そんなになっちまったら最悪死ぬぞ?」
ノアはそう言いながらジャケットをずらし花魁の着物のようにすると顔を左に向けながら服を少し引っ張り右首筋を晒す。
「ほら。飲めよ」
その言葉に横目で彼女を見る晴翔。大きく
一度でもこの欲望に屈してしまえばもう戻れないような気がしていた晴翔は意地にも近い強い気持ちで己を抑え込んでいた。だがそんな晴翔を見ていたノアは大きくため息をついた。
「ったく。めんどくせーな」
ノアは服から手を離すと自分の親指を口に持っていき軽く噛む。口から離れた親指からは血が溢れ流れていた。
その親指とは反対側の手を晴翔へ伸ばしたノアは強引に床へ押し倒す。そして動かせないように顔を掴むと晴翔の口へ血の溢れる親指を捻じ込んだ。
無理矢理口へ入れられた親指から流れる血が舌に触れる。その瞬間、全身の細胞が反応するのを感じた。反応し活性化するのを。同時に赤く光る目は見開き血の味を覚えたかのように歯止めが利かなくなった。
しかしそんな晴翔の心内を理解しているのかノアは顔から手を離し、彼の後頭部へ手を添えると自分の右首筋へと誘導する。鼻が触れる程に近づいた首筋。ここまで接近してしまうと血の濃厚さと細胞の活性化する感覚を知ってしまった晴翔に対して我慢しろというのは、飢えたライオンの目の前に新鮮な肉を置いて待てと言うようなものだった。
綺麗な肌の首筋に晴翔の中のストッパーが一瞬にして崩壊した。我を忘れ憑りつかれたようにただ欲望に従いノアの首筋にかぶりつく。尖鋭な牙が突き刺さると逃げ出すように血が溢れ白い肌を赤く塗った。晴翔はその血を生々しい音を立てながら
吸う度に口には禁断の果実の果汁が如く濃密で濃厚な味が広がり、飲み込む度に体中へ浸透していくのを感じた。それはまるで真冬日に飲む温かいココア――真夏日に飲む冷えたジュースのような存在感。
そんな感覚を感じつつも晴翔は無意識のまま、ただ空腹を満たし喉を潤す機械と化し無我夢中で血を飲んだ。血液が喉を通る度に枯れた大地に雨が降り、活力の泉が溢れ返る。それがそうさせているのか晴翔はひと口でも多く、ひと口でも早く血を体に取り込もうと喉を止めず動かし続けた。雑に飲んでいるせいで口から零れた分の血が顎へ向け2本の線を作る。
だがある程度喉と空腹が満たされると、除霊でもされたように我に返った。気が付けばノアの首筋に歯を突き立て溢れた血を啜っている。化物のような自分の行動に晴翔は口を離し叫び声を上げた。そして座ったままもがくようにノアから勢いよく離れる。
背が壁に当たるまで距離を取った彼の心臓は自分に対する恐怖で酷く荒れていた。そんな心臓と連動するように口からは浅く速い呼吸が何度も繰り返される。限界まで見張った目ではノアの姿を捉えていたが彼の脳は錯乱状態になり目からの情報は何も認識できていなかった。
「ったく。マナーってやつがなってねーなぁ」
一方ノアは呆れた声を出しながらため息をつく。その後に自分の親指をひと舐めした(チップを食べた後に指を舐めるのと同じように)。
そして唾液で光る親指を首筋へ持っていくとまだ血の溢れる2つの丸い傷を拭った。親指が傷上を通った後に残されていたのは拭い切れなかった分の血だけ。最初から無いと言わんばかりにそこには傷も痕も一切なく相変わらず日に焼けてない肌が顔を見せていた。
ノアは血を拭うとそのまま親指を口へ持っていき付着した血を舐め取る。その後に立ち上がると近くに掛かっていたタオルを手に取り晴翔へ放った。だがタオルはキャッチされることなく依然と動けずにいた彼の脚へひらりと落ちていく。
「口ぐらい拭けよ」
その言葉とほぼ同時に晴翔の顎先から血が1滴垂れる。身を投じたその血は真っすぐ彼の手の甲へ落ちて行った。真っ赤な雫は手に当たると自分の一部を辺りに飛ばし小さな血痕を残した。
その感触に反射的に反応した晴翔は視線を自分の手の甲へ落とす。皮膚のキャンバスに広がる彼の眼のように赤い血。それを見ると手をゆっくりと濡れた感覚のある口元へ持っていく。水にしては粘り気のある液体が手に付くと口から離しもう一度目をやった。手にはべっとりと血が付いておりそれが目に映った途端、みっともなく叫び声をあげ体をのけ反らせようとした。だが背後は既に壁。晴翔は勢い良く壁に頭突きをする羽目になった。
「何っやってんだよ」
それを見ていたノアは呆れたように呟くと晴翔の方へ足を進め始めた。
「待って!それ以上は...」
だが晴翔の声と手がその足を止めさせた。
「何だよ?」
「いやあの、さっきみたいに襲い掛かるかもしれないので...」
1度してしまった申し訳なさと2度目に対する恐怖心が声を少し震えさせていた。
だがノアは言葉で返すより先に止めていた足を動かし晴翔の目の前へ。そして片膝を着くと目線を合わせた。
「あれはただの吸血衝動だ。血不足のな。だけどお前はもう補給したから大丈夫だ。それにこれで分かっただろ? お前はもう人間じゃない」
人間ではない。それは到底素直に受け入れられるような言葉ではないが今の晴翔は少し違った。現に自らの欲望にひれ伏してノアの首筋に噛みつき血を啜り飲んだのだから。
そのことを考えれば自分を人間だと言うのは難しい。仮にそれでも人間だと言い張るのならそれはそれでまともではないと主張しているようなものだ。それは晴翔自身も分かっていた。それ故、自分の身に起きたことを考慮するのであればノアの言う通り吸血鬼となってしまったと―理由は定かではないが―認めざるを得ない。
だが理論と感情は別物。そうだという道筋が見えていても中々そこへ進めない場合もある。
「そうだ。あなたはどうしてここにいるんですか?」
晴翔はその判断を先延ばしにするように話題を変えた。
「そりゃ、お前を見張ってたからな」
「え?もしかして昨日からですか?」
「そーだよ。得体の知れない吸血鬼を放置するわけねーだろ。無暗に人を襲う可能性もあるしな。実際危なかったじゃねーか」
それが会社の給湯室での事を言っているのはすぐに分かった。給湯室での出来事と初めて感じた飢え。そしてノアにした行動。それらを改めて思い出すとやはり自分は...。
「もう人間じゃない。のか?」
非現実的で小説や映画みたいで信じられない。だが実際に感じた血を欲する衝動や鉄の不味い味じゃない果実のように美味しい血の味。手元にあるどうしようもない程の現実が不信感をねじ伏せる。
しかしそうなると待機していたように新たな疑問が姿を現した。
「でもどうして僕は突然吸血鬼なんかになったんですか?」
「そんなのこっちが聞きてーぐれーだ」
消し去られることのなかった疑問は依然として疑問のままその場に残りまるで2人を嘲笑うかのように踊り始めた。
「つい最近まで人間だった奴が吸血鬼になるなんてこの世界じゃ初めてだって聞くしな。だけどさすがに突然変異って訳じゃねーだろ」
ノアの言葉を聞きながら晴翔は最近のことを思い返してみる。食べた物や飲んだ物、色々な出来事や会った人。
すると記憶の海を流れていたとある出来事が網に引っかかった。
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