第26話 揺れる思い
玲は冷蔵庫に入れてあった大きな鍋を、取り出そうと扉を開いた。
……気持ちを切り替えて。好奇心を抑えなきゃ!
その時、追いかけてきた翔が背後に立っていた。
「俺が出す。退いていろ……」
翔は玲の前に無理やり割り込みすっと鍋を取り出してくれた。玲はこれをIHコンロに置いてもらい、加熱を始めた。
カレーが焦げないように弱火に設定した彼女は、畳んでおいたエプロンを広げ付けようとしてた時、翔が切ない声で呟いた。
「玲。頼むから、言いたい事を言ってくれ……」
何かを我慢している玲に堪らなくなった翔は、背後から彼女の両肩をぎゅと掴み、自分のおでこを玲の後頭部にこつんと付けた。
「玲……」
「では。お皿を出して下さい」
「そうじゃないだろう?」
「そっちのグラスも、人数分を」
「頼むから!」
するとここに彼が目をこすりながらやって来て二人にあくびをぶつけてきた。
「ふわ~……!なんだ?翔。でかい声なんか出して」
そんな優介は足を引きずりながら冷蔵庫を目指していた。
「……なんでもないよ。こっちの話し。ね、翔さん。こっちのグラスとお水を運んでください」
玲にそう言われた翔は、渋々グラスをリビングへ運んで行った。
二人きりになった玲はかがんで兄の足を見ていた。
「お兄?足は大丈夫なの」
「いや?マジやばいし……でさ、中止なの?学校祭って……」
頭をポリポリかく優介は、また大きくあくびをした。
「わかんないよ、私には……」
「お前がわからないままにしておくなんて、空から槍でも降らせる気か?いいから俺に遠慮せず、今すぐ調べて来いよ……ふわあ。炭酸飲もっと」
優介はそう言うと冷蔵庫からペットボトルを取り出した。しかし玲は寂しそうに呟いた。
「行かない。私が手伝うと、お兄はダメ人間になっちゃうんだから」
ペットボトルのクシュ!と開く音を聞きながら、玲はお鍋のカレーをお玉でゆっくりかき混ぜていた。
「は?あのな……玲?この際だからはっきり言うけど」
「なに?」
「俺はお前がしてくれる事を迷惑だなんて一度も思ったことは無いからな」
「え」
優介は何言ってんの?という顔でカレーの鍋を覗き込んだ。
「でも、お前が俺に遠慮しているのはすげえ迷惑している。だってさ。お前は俺よりもはるかに出来が良いんだから、もう親の言うことなんか聞かずに、思い切りやればいいんだよ……全く」
彼はそういうとキャップを外し、ごくごくと飲みほした。
「……お兄……」
「ふう。お前が問題を解決できないなら仕方が無い。でも、やる前から諦めるのはバカのする事だ。違うか?玲」
真顔の彼は飲みほした空のペットボトルをはい、と妹に手渡した。
そんな兄の言葉に、彼女は胸がジーンとなっていた。
「うん。分かった……ありがとう」
そんな彼女は感動に浸りながら受け取ろうとしたのに、彼はこれを笑いペットボトルで妹の頭をコンと叩いた。
「痛?」
「アハハ!それとな!この炭酸不味いから、もう二度と買うな!あと、どーんな客が来ても、うちのカレーは甘口で通すからな。ぜったいそこはぶれるなよ?」
「うん!わかった!」
その後、翔に支度を手伝った玲は、赤ワインとスパイスを入れて味を調えカレーを完成させ、リビングに顔を出した。
「今から学校に行く?って何が分かるというのだ」
テーブルにグラスを並べている翔は驚き顔で玲を見ていた。
「現場検証をしている刑事が知り合いのようなので。ちょっと話しを聞いてみたいんです。あ、正樹さん、そのスープは熱いから、気を付けて運んで」
「おう!」
すべてのミッションを終えた正樹は、疲労を超えてハイテンション気味で先程からニコニコ顔だったが、隼人はため息をつくばかりだった。
「ちきしょう……書いても書いても終わんねえ!てか玲?平気か?お前は今日、二十キロも泳いだんだぞ」
隼人は答えを書き写す手を休めずに言ったが玲はけろりとした顔で応えた。
「僕達は小屋で昼寝をしたから大丈夫です。ね。翔さん?」
「あ、ああ」
そういって玲は翔の持つトレーから、カレーライスを取りテーブルに並べた。
「これで人数分揃いましたよね?あの、正樹さん。もし元気が残っていたらこの後で僕と事件現場に一緒に行ってくれませんか?翔さんは隼人さんとお兄の勉強を見てあげて下さい」
「俺は玲に頼まれたら、断れないな……」
「勉強は俺が責任持つから、心配するな」
この返事に彼女は一番端の席に座った。
「これで全員揃ったね、お兄、よろしく」
「よーし!、いただきまーす」
元気一杯の優介の掛け声を合図に、彼らは一斉にスプーンを掴んだのだった。
夕食を終えた玲と正樹は、制服に着替え夜の光星高校へ向かった。
正樹と電車の中で爆睡をしてやって来た玲は、物々しい黄色い立ち入り禁止のテープが張られた正面玄関に立つ警官に声をかけた。
「すみません。僕らは財前署長に呼ばれた学校関係者なんですけど」
「?聞いてないが、少し待ちたまえ。えっと名前は」
「鳴瀬玲と申します。こちらは本校の美術部の」
「五十嵐正樹です」
名字を初めて知った彼女は、彼としばし待機していた。
すると一人の警官がやってきた。
「お待たせしました。どうぞお入りください。署長がお待ちです」
「ご丁寧にどうも。さあ、行きすよ、正樹さん」
そして警官の後を付いて行く彼女に正樹は慌てて駆け寄った。
「おい、玲。お前、署長さんと約束していたのか?」
「いいえ。でも、いつもこうだから」
「……いつも?」
まっすぐ前を見ながら歩く玲に、戸惑いながらも正樹は現場の美術室のそばにやってきた。
すると缶コ―ヒーを片手に窓辺に腕を組んで立っていた人物はまるで化け物を見るかのように大きく目を見開いていた。
「……玲ちゃん、あなた本当に彼ができたのね」
「違いますよ。この人はお兄の友達です!」
「友達?こんなイケメンなのに、それよりも玲ちゃん……?どうしたの、その髪」
やっと落ち着きを取り戻した彼女は、ようやく大人としてまともな質問をしてきた。
「お兄のバンドに入るために、今だけ銀髪なんです」
「いや。似合うわ……?そのままになさいな」
「おい。玲、この女の人は?」
肩をつついてきた正樹に、玲はエヘン、と彼女を紹介した。
「こちらの方は東警察署長の財前署長です。僕の幼馴染みのお母さんです」
今日もパンツスーツでばっちり決めた財前太郎の母は、ロングヘアに光るメガネでスタイル抜群の姿は、実際よりも十歳は若くみえるキャリアウーマンだった。
「どうも!いつも玲ちゃんがお世話になってまーす。で、こっちの殿方が彼氏なの?うちの太郎がそんな話をしていたけれど。チャラそうなライダー君なんでしょう?」
鳴瀬家で偶然出会った隼人と勘違いしている太郎の話を信じている彼女はそういってずれたメガネをさっと直した。
隼人には悪いが太郎の抱く彼のイメージは的を射ていたので、改めて竹馬の友である太郎の実力に思わず感心した玲は、伏せていた目をゆっくりと開けた。
「……あのね?太郎ママ。太郎さんの言っている人も、ここにいる正樹さんもお兄のバンド仲間なの!彼氏じゃないよ。それよりも事件はどうなっているんですか。僕らは明日、ここの学校祭でライブをする予定なんですから」
「あ、そう?でも守秘義務があるから何も言えないわよ?」
そういって腕を組む彼女に、玲はへえと眉をひそめた。
「太郎さんの最新画像があるんですけど。どうしようかな……消そうかな、パッと」
「おっと?……わかったわ。これから君達に事件の事で、相談させていただくわ」
このいつものセリフの掛け合いは最早お決まりとなっていたので、ばっちり決まった二人はイエーイとハイタッチまでしていた。
「あ。ちょっと待ってね。部下に言ってくるから」
そう言って太郎ママが部下に話しをしている間、玲と正樹は消火の済んだ水浸しの美術室の入口で待っていた。
その時、玲がふと気が付くと、隣に立つ正樹がじっと自分を見つめていた。
「どうかしましたか?」
「あのさ。さっきの署長さんがさ。俺がお前の彼氏かって聞いてきた話なんだけど」
「え?何のこと?」
あえてその辺はスル―していた彼女は、頭をかいてどうやって誤魔化そうか考えていた。
「やっぱり、玲って女の子なの?」
「う」
直球で来た彼に、さすがの玲も固まってしまった。
「あの、その、つまり……」
「やっぱり。最初からおかしいなって思っていたんだ。妙に気が利くし。ふーん」
……ど、どうしよう?あと一日だから白状してもいいのかな。
正樹は顎に手をやると玲を上から下へ、見つめていた。
「でも。お前の事だから理由が合って弟の振りをしているんだろう?じゃ、いいや別に。俺はどっちでも」
「どっちでもいいのーー?」
この想定外の返事に、彼女は思わず大きな声を出した。
「ああ。構わない。お前の都合に合わせるよ」
そういうと正樹は廊下の濡れていない椅子に腰を下ろし、長い足を投げ出した。
「俺さ。一人っ子なんだ。だから優介の為に何でもやろうとするお前の気持ち、よくわかんなかった。でもさ。お前はどんな事も一生けん命やる子だってわかったから。今はそれが面白くて、可愛いなって思っているから……」
「すみません。今は何も話せませんが、明日のライブが終わったら、お話しします」
そう神妙な彼女に、彼は思わず微笑んだ。
「ハハハ。お前、バカだな?それはもう白状したと、同じだろう」
白い歯を見せ立ち上がった正樹は、彼女の片方のほっぺたを軽くつまむとぐっと顔を近づけてきた。
「か、顔が近いんですけど?」
真っ赤になった彼女を見た正樹は、髪をくしゅと撫で彼女をようやく解放した。
そんな時に財前署長がこの場に戻って来た。
「さて、始めるって。お邪魔だった?」
「はい」
「全然です!?」
財前署長は部下を連れて、二人に質問をして来た。
彼女の話しによると、正午に美術室が燃えてスプリンクラーが作動し、消防が駆け付けたという事だ。
学校祭前日なので生徒や先生が学校にたくさんいた時間帯だった。
……私達は、登山と遠泳をしていた時刻だ……
燃えたのは絵画や古い美術品という話しに美術室の隣の会議室のテーブルを囲んだ四人は考え込んでいた。
「科学班の話しではね、暑さのせいによる油性塗料の自然発火も可能性があるけど、今回はやはり放火という見識かな。ん?玲ちゃん」
「ブツブツ……」
「すみません。コイツ、考え中になったみたいで」
一点をみつめて考え始めた彼女をかばう正樹に、財前署長は目をパチクリしていた。
「君、随分、玲ちゃんの事知っているのね。私、なんだかドキドキしてきたわ」
「……太郎ママ。燃えた絵画は、誰の作品ですか」
「昭和時代の生徒達のものよ。自分のマークを作ろうって授業で描かせたものらしいわ」
するとこれに正樹が説明をした。
「署長さん。それは本校の伝統で必ず行う授業で、今は過去の作品をデータベース化しようとして、ここに古い作品を山積みにしていました。あのな、玲。うちの高校、勉強はさっぱりだが、芸術文化に優れた人を多く輩出しているんだ。ほら。今度の東京万国博覧会のロゴマークとかデザインした人も、ここの卒業生なんだ」
「『キタオカタケシ』でしたっけ。そういうば、新聞に載っていましたね……」
……決定されたマークを、都庁で派手にお披露目した人だ。
「そうだ。ほら、ごらんよ、これが彼の作品だ」
正樹のスマホを覗き込んだ彼女は、すっと髪をかきあげた。
……たくさんのロゴマーク。デザインが豊富で、どれもシンプル。親しみやすいデザイン……。
すると正樹は、思い出したように話し出した。
「そういえば。この人から昔の自分のデザイン画が欲しいっていって、学校に問い合わせがあったけど、そんな古いモノはないって、うちの先生が返事していました」
「ハンサム君。そのデザイナーは、最近ここに来た事あるかな?」
「自分は分かりません。顔も知らないし」
「ふうん。ね?正樹君はモテるでしょう?君、玲ちゃんの事どう思っているの?あんまり仲良しで良い雰囲気だから私、血圧上がってきたじゃないの」
「それ、今、関係無いですよね?署長さん……」
「太郎ママ、ありました……これです」
「うわ?」
暗闇から現れた玲は、二人を驚かせてしまった。
「っていうか?いつの間に?玲ちゃんはスマホをみていたんじゃなかったの?」
玲は焼け焦げた大量の画用紙の中から、一つのデザインを選んだ。
「……それは、東京万国博覧会のマーク?」
「いいえ。これは昭和五十八年に卒業した鈴木俊彦さんの作品です。他にもスマホにあった彼の作品に類似しているマークを、そうですね、五枚見つけました」
「……デザインの盗用か?ねえ、誰かこれを調べてちょうだい!」
財前署長は、部下に絵を持たせ、謎を解きだした。
「たぶん。デザインが浮かばなくてヒントが欲しかったんでしょうね。持ち出すわけにはいかないから、ここへ来て直接見ていたのかも……。そして人が多い学校祭を見計らって証拠隠滅のために放火。あ、これがデザイナーの顔よ。正樹君。見たこと無い?」
「あ、この人はいつも飲み物とか差し入れしてくれる先輩の、田中さんです。データベース化を手伝ってくれていました」
「よし。まずはこの人物に事情を聞くか……」
そういって立ちあがろうとした彼女の手を玲はぐっと掴んだ。
「太郎ママ。そんな悠長な事では困ります!未来ある生徒達の高校が放火されたんですよ?指紋とこの学校の防犯カメラの映像を確認し、今すぐ任意で引っ張って別件でも何でもいいので逮捕して!」
そう激しく吠える玲を、やれやれと財前は肩を下ろした。
「……また乱暴な事を。ねえ、正樹君。玲ちゃんの相手、大変でしょう」
「ええ。毎日がジェットコースター感覚です」
「ひど!?」
しかし、財前はハハハと笑っていた。
「あのね。君達は学校祭の事を心配しているんでしょうけど。校長は挙行の予定だったし、容疑者が浮上したならこっちも問題無いわ。まあ。明日は一応、警察の警備が入って雰囲気は悪くなるけど。それは我慢なさいね」
やがて、この場に校長先生が来て、さっさと帰るように言い渡された玲と正樹は、友が待つ鳴瀬家に帰ろうと支度をした。
すると財前が送ってくれると言うので甘える事にし、二人は車に乗っていた。
空には星が輝いていた。
時間はもう十時を過ぎていた。
「じゃあ。明日は玲ちゃんもそっちの彼と、ライブに出るの?」
「あの、太郎ママ。お兄達がメインで、僕はわき役ですから」
愛息子の画像収集が趣味の彼女はご機嫌だった。
お年頃の太郎は最近は撮らせてくれない事を知っている玲は、こういう時のために学校内での彼の写真を撮っては、提供していたのだった。
「今回は乙女ゲームに夢中の太郎さんだよ……お宝でしょう」
「ウフフ!家でじっくりみようっと」
ウキウキで運転している財前に、後部座席の正樹はすっかり呆れながら二人の会話を聞いていた。
「それにライブか……楽しみじゃないの。夏休みももう終わりだし、素敵な思い出になさいな。あ、そうだ。アメリカ留学は残念だったわね。……玲ちゃんは女子の最有力候補だったんでしょう?」
この女子という言葉に一緒に後部座席に座っていた正樹は、嬉しそうに彼女の膝をポンと叩いてきた。
……もう。完全にバレたな、これ……。
今までの苦労が無になった疲れの玲は、やぐされた気分で本音を吐露し出した。
「……元々行く気はなかったし。もし受かっても両親は行かせてくれないですもの」
「またそんな事言って。鳴瀬さんは理解があると思うけどな」
「さあ。ともかく落選ですから。『敗者は去るのみ』です」
「ねえ。正樹君?玲ちゃんっていつもこうなの?もっと女の子らしさっていうか。しっかりしすぎで心配なのよ、私……」
「女の子らしさ?そうですね……?」
窓に肘をついたままの正樹は、ニヤニヤ見ながら玲をそっと蹴った。
「サバサバしていますが、料理も美味いし、細かい事に気が利くし。ちゃんと女の子をしていますよ。まあ実際俺達は、彼女について行くだけで必死ですが」
「ついて行くだけで必死……」
今日のゴムボードの翔の事を思い出した彼女は、がっくりと椅子にもたれた。
「おいおい、玲?俺はそんなお前に甘えてもらえる男になるために、これでも必死に頑張っているんだぞ?まあ、もう少し待ってくれよな」
「……うわ。ライバル、また増えた?……」
そういってなぜか肩をすくめた財前は、幹線道路をゆっくりと進んで行った。
そんな中、彼女は鳴瀬家で合宿していることを財前に正直に伝え、家の前で降ろしてもらった。
車を見送った二人は、思わず天空の星を見上げた。
瞬きが眩しい夏の夜。
玄関の門を開くとキイという金属音が響いた。
玲はそっと玄関のノブにそっと手をかけた。
この刹那から弟の振りの終わりのカウントダウンは始まると知っていた彼女は、ふうと息を吐いて仲間のいる扉を開けたのだった。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます