第25話 鳴瀬きょうだい

不抜けの兄のために、遠泳のミッションをやり遂げた玲は、夕日が沈む湖を横に翔とタクシーで自宅へ向かっていた。

車の中の翔は無言であったので玲は駆ける言葉も見つからないままずっと窓の外を眺めていた。

そんな中、翔はぼそっと話しだした。


「……本当に仲が良いんだな、お前達兄弟は」


「はい?」


 ……今、その話し?



戸惑う玲を一瞬じっと見た彼は、ため息交じりに話を続けた。


「お前も知っている通り、俺には三人の姉がいる。だが、あの魔女達に俺はずいぶん苦しめられたんだ。だから今でも女が苦手で、高校も男子校を選んだんだ」


「でも。執事喫茶でバイトしていると、女性に関わると思うんですが」


「俺の家は不動産会社であのビルも管理している。バイトをしたいといったら必然的に執事喫茶になってしまったのだ」


あのビルは執事喫茶しか入っていないので選択肢が無かった翔を、玲は心から哀れに思った。


「お前は……どうしてそんなに優介をかばうんだ?アイツが良い奴なのは俺もわかるが、弟のお前がそこまで世話を焼くのか、俺にはどうしても分からないんだよ……」


そう真面目に話す翔の横顔は、夕日が射していた。




この純粋無垢な翔に、申し訳ない気持ちでいっぱいの玲は、誰にも話したことにない兄への正直な気持ちを話すことにした。



「今は元気ですが、兄は五歳の時に病気にかかり、最近まで療養していたんです。両親はそんな兄には自由にのびのびと過ごして欲しいと願い、反対に僕は、元気過ぎで飛び出してしまうから……慎ましく控えて、兄の世話をするように云いつけられて育ったんです」


「そんな風には見えなかったが。それにこんな言い方は失礼かもしれないが、お前は名門の高明学院だから、優介よりも親の期待が大きいのかと思っていた」


驚く翔を見つめた玲は、ふっと口角をあげた。


「実はお兄も高明だったです。でも、出席日数が足りなくなってしまい、今の高校に編入したんです」


「……道理で?あいつ勉強していない割に賢いと思った」


「お兄の身体は回復しているはずですが、体力はまだ自信がなかったみたいですね。登山も遠泳も、本当はみんなとやりたかったんだと思いますよ」


「アイツはそんな事一切言わないからな」


「……ああ見えて、負けず嫌いですから。友人に知られたくないんでしょうね」


「すまなかった。知らなかった事とはいえ……」


翔はそう言って景色を見ながら玲の手をぎゅうと握った。



「謝るのは僕の方です。翔さんの言う通りですよ……僕は今回バンドのメンバーに入れてもらって、自分が兄の世話をやり過ぎだと実感できましたから」


「玲?俺はそんなつもりでは」


「わかっています……」


自分を見つめる彼の手を、彼女はそっと握り返した。


「僕は元気だから何でもできて当然なので、親は僕に関心がありません。でも兄の世話をした時だけは充実感というか、達成感があって。それはきっと僕という存在価値を肯定したかったんですよ」


「玲……そんな」


「僕は兄の為では無く、自分のために世話を焼いている偽善者なんです」


「……それ以上は言うな」


翔は慌てて彼女の口を塞ぐと、そっと抱きしめた。


「お前は悪くない!俺が悪かった……」


「翔さん……」


「お前は良い子だよ。さあ、帰ろうか」


こうして二人を乗せたタクシーは、夕日の沈んだ夜の自宅へ到着した。



二人が車から降りると見慣れたバイクが停まっていた。



「隼人さんのバイクがあるから、もう来ているみたいですね。ただいま……」


玄関には大きな靴がいっぱいあったので、玲はそれをそろえて翔を招き入れ室内へと進んだ。


「おつかれさん!」


「お!日焼けしてるし?」


リビングのテーブルに座っていた隼人と正樹は、勉強の手を止めて二人にほほ笑んだ。


「おつかれさまです。で、おにいは?」


「そこ」


隼人の目線の先を見ると、ソファにうつ伏せで眠っている金髪男がいた。



「もう!起こさないと」


「いや。玲?優介の奴、すごく頑張ったんだぞ……」


正樹はそういって口に人さし指を立てた。



「下山途中、足をくじいたらしんだけど、俺にも言わずに我慢してたんだよ。帰りに公園の救護室のおやっさんに診てもらったら軽いねんざだろうってさ」


「だから足には湿布が貼ってあるんですね。お兄にしては根性を見せたんだな……」


しげしげ見ている玲を他所に二人は翔に結果を訊ねた。



「ところで。そっちはどうだった?」


「もちろん!」


隼人に問われた玲は、印が押された和紙をパッと取り出した。


「おお。さすがだな」


「同級生でもリタイヤする奴がいるのに。敵わねえな……」


「でも後は課題ですね。お兄はどうなっているんだろ……」


そうっ言って彼女は『なるせゆうすけ』と平仮名で記名されたテキストをパラっとめくった。




「あと3分の2くらい残っていますね……」


すると腕を組んで聞いていた翔が、隼人と正樹を向いた。


「優介はともかく、二人はどうなんだ?」


そう言いながら翔は、優介と正樹のの登山証明書を手に取り確認していた。


「ううう。俺も、優介と同じくらい残ってる……正樹は?」


すると彼は必死にペンを走らせて、そしてバンッとテーブルにペンを置いた。


「……終わった!今!」


そう言うと正樹はカーペットの床にバターンと倒れた。


「本当か?どれ」


テキストを手に取った翔は、パラパラとページをめくり中身を確認していた。



「バカにすんなよ?俺は元々進めていたんだからな。ああ。疲れた!」


登山と課題を一気に終えた彼は、本当に疲れてきたけれど妙な達成感で生き生きしてうーんと背伸びをしていた。


「よし!後は、優介と隼人か……。今夜は眠れんぞ」



「わーってるよ……あれ、誰かのスマホが鳴ってるぞ」


隼人の声に一同は部屋に響くメロディに耳をすませた。




「翔さんかな」


「腰のスマホが光ってるぞ」


「自分じゃ見えないんだ。もしもし……は?学校祭が中止?もう一回言ってくれ。え。ネットを見ろって」




この話を聞いた玲は、急いでリビングのパソコンを起動させた。

その間、正樹と隼人も自身のスマホをチェックした。


「あった。高校で放火……?」


「うちの高校じゃん」


そこには地元のテレビの動画が載っていた。

高校の正門前には立ち入り禁止の黄色いテープが張られ、警察が調査している物々しい様子が映っていた。


「マジかよ?こんなに苦労したのに……」


「ツイッターによると、美術室で放火があったとあるな」


「俺は美術部だけど、あの部屋には油性の塗料があるから、暑さで自然発火したんじゃないかな……玲?どうした?」




正樹は玲の身体を揺さぶっていたが、彼女は深い思考に入っていた。



……今日は今年一番の暑い日だ……油性の塗料の融点を超えて、部屋が乾燥していたり、物の摩擦による火花とか……。今日は学校祭で様々な準備があったはずだし。うーん……。



「……おい。玲!しっかりしろ?」


「俺の目を見ろ、大丈夫か?」


「心ここにあらずだな……」


隼人、正樹、翔が心配する中、頬に手を当てじっと一点を見つめていた玲は、ゆっくりと顔をあげた。


「正樹さん」


「ここにいるぞ?どうした?」


自分を呼ぶ声に嬉しくなった彼は仲間を除けて玲のそばにやって来た。


「正樹さんは美術部なんですか?」


「そうだけど。意外かい?」


ニヤと笑った正樹に、彼女は首を振った。


「課題も終わったんですよね」


「まあな」


「玲。何か考えがあるのか?」


電話を終えた翔は、いつの間にか彼女の背後にぴったり立っていた。

この声に驚いた彼女は、彼を見上げてハハハと笑顔を見せた。


「別に?何でもないですよ」


「話してみろ」


先ほどのタクシーでの会話で彼女は、兄のためにも自分の気持ちを抑えようと決意したばかりだった。


……また余計な事をしたら、翔さんだって嫌な気持ちになるもの……


「玲?」


「いえ。何も?さあ。みなさん。カレーが出来ているので、夕食にしましょう!」


三人が心配そうに見つめる中、彼女は逃げるようにキッチンに入って行ったのだった。



つづく





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