第24話 虹色の湖
真夏のギラギラ太陽の下。隼人のバイクは玲を載せて、湖へ向かっていた。
ゆったりとしたカーブを曲がると、湖がキラキラと光り輝いていた。
「気持ちいーな!」
「はい!」
バイクは待ち合わせのボート乗り場で停まった。
麦わら帽子を被り仁王立ちしている背の高い人物の前に停めた隼人は、ヘルメットのバイザーを上げた。
「お待たせ!翔」
エンジンを止めた隼人は、玲が降りるまで足をまたがったまま待ってくれていた。
「……バイクは玲には危ないと言ったはずだが」
そんな会話の中、ヘルメットがなかなか取れない彼女は、そのままバイクを降りた。
「そう怒るなって。ちゃんと連れてきたろ?」
「当り前だ。自慢げに言うな」
隼人はひょいとバイクを降り、バイクのスタンドを出した。
玲はヘルメットを取ろうとしたが、すっぽりはまってまだ取れずにいた。
「う~ん……と、取れない……」
「ほら、玲。じっとしていなさい。せーの」
そして翔のの手を借りて、彼女はやっとヘルメットが外すことができた。
「ところで、翔。湖の様子はどうだ」
「ああ。おやっさんの話しだと、波が無いから泳ぎやすいようだが、水温が低い。昨日チャレンジした生徒は、水温が低すぎて身体が冷えて途中棄権したらしいな」
「だとさ。玲。本当にやるのか?」
隼人は心配そうに彼女の前髪をあげ、顔を覗き込んだ。
……私が本当は女の子だって知っているから、心配しているみたいだな……
「大丈夫、これは想定内です。今日はスイムスーツを予定なんですよ。これは浮力付きだし。水着には特に規制は無いから」
「なるほど。淡水だからその方が楽か」
「さすが、玲。じゃ、行こうか」
そういって荷物を持ってくれた翔に玲はちょっと待って、と声をかけた。
「……隼人さん!これ、よかったら、おにぎり食べてください」
「いいのか?」
「はい。審判のおやっさんに作ったものだけど、隼人さんの方が優先です」
「俺に?マジか……おい。玲……」
そういって彼女が手渡そうとした時、隼人は玲の頬にキスをした。
「ええええええーー?」
「よーし。俺も帰って課題を仕上げよーっと」
「隼人!!応援とはいえ度が過ぎてるぞ!」
隼人は翔の怒りもなんのそので、笑いながらヘルメットを手に取った。
「ハハハ。そう怒るなって、翔?……っていうかマジでこいつの事、頼んだからな」
そういって彼はエンジンをかけた。
周囲にはドルンドルンと音が響き、通る人がこっちを見ていた。
そしておにぎりを大事そうに後部座席のバックにしまった隼人は、前足を上げてバイクにまたがった。
「じゃあな、玲!あんまり無理すんなよ、っていっても、無駄かな?」
「……頑張ります!」
じゃと、手を上げた隼人は、大きくUターンして、湖沿いの道を駆け抜けて行った。
「玲……今のは気にするな。ふざけただけだから」
本当は自分が一番気にしてた翔は大きな麦わら帽子を目深にかぶり玲の荷物をさっと持った。
そして二人は小屋を目指して歩き出した。
先ほどのキスを翔がまだ気にしているようなので、玲は他の話題にしようと話をしていった。
「ね、翔さん。今日は他に泳ぐ生徒はいないんですか?」
「あ?ああ。今日はお前だけようだ」
「そうですか。あの実は僕、ここで行われたトライアスロンの大会に出た事が合って。その時は泳ぎ切りましたから、この湖は初めてではないんです」
本当は10代女子のクラスで優勝していた彼女は、嘘は言っていなかった。
「それに、今日は翔さんがいるから心強いです。いつも一人だから……」
「……そうは言ってもな。手助けをしたら失格になるから、俺はゴムボートで見守るだけになる」
「いいですよ、それで。近くで見ていてくれるだけで……」
「玲?」
どこか寂しそうな玲に翔は眉間にシワを寄せた。
「ハハハ。僕がおぼれたらオールで拾って下さいね」
「拾えたらな」
「ひどい?」
こうして玲は翔と一緒に高校の小屋にやってきた。
翔がボート小屋で受付を行っている間に、彼女は着てきた水着からスイムスーツに取り換えた。
元々肩幅が広く、胸も無い鏡の前の玲は悲しいくらい少年体型だった。
……お母さんも若い頃はそうだったみたいだから、心配はしていなかったけれど、でも今は、この体型に感謝だな……
そんな事をうすらぼんやり考えていた時、部屋のドアが開いた音がした。
「玲、入るぞ。やはり今日の水温は……」
「キャーー?」
「なんだ?」
「あ、いえ。すみません。恥ずかしいのじゃなくて、びっくりしただけ」
「まあいい。水温はやはり低めだ」
「そうですか、時間をかけずに泳ぎますよ!」
こうして入念に準備運動を終えた彼女は、湖を望み翔とコースを確認した。
ブイが浮かぶ周囲のコースを三周した後、おやっさんの鳴らす鐘を合図に、湖の中央の小島に水天宮に置いてある印を押してくるこの儀式。昭和時代から続く伝統と翔は説明した。
「円周回数は学年事で異なっている。俺達は三年生だから三周で、キツイぞ」
そして翔は玲の手に防水袋に入った名刺サイズの和紙をくれた。
「昭和時代までは、この和紙を濡らさないように頭に鉢巻をして泳いだそうだ。これは濡れないが、無くすなよ?水着の中に、仕舞ってくれ」
「了解!」
彼女は懐に和紙をしまい、ジッパーを上げゴーグルを装着した。
「俺はゴムボートで一緒に廻るが、俺の波のせいでお前の邪魔にならないようにするからな。玲、他に質問は無いか?」
ジャバジャバと湖面に足を入れた彼女は、ボートに乗る翔を手伝いながら頬笑みを見せた。
「ねえ、翔さん。ちなみに最高記録は何分ですか?」
「お前らしい質問だ。だが、優介として泳ぐのに早く泳いでどうする?」
「アハハ!そうだった?」
「フフフ」
翔はそう微笑むと、彼女に水をかけた。
夏の湖。
早朝の朝日が眩しい水面。
玲は兄のために湖に身を漂わせたのだった。
今日は水温が低いせいで、他に泳ぐ人がいないため、玲は自分のペースで進めることができ、クロールでどんどん進んだ。
……久しぶりの運動は気持ちいいー……
「おい、玲!ハイペースだ。少し落とせ」
熱血コーチと化した翔は、メガホンを片手に叫んでいるのを聞いた彼女は少し動きを遅らせた。
……確かについ、調子に乗ったかも……
太陽は真上に近く、息継ぎする度に眩しくなってきた。
途中、立ち泳ぎで休憩をしながら三周目を終えた玲は、いよいよボート小屋のおやっさんの鳴らす鐘が聞こえた。
競輪の最後の周回を知らせる鐘のようで彼女のアドレナリンは一気に暴発した。
……玲、行きます!……
テンション最高潮の彼女は湖の中央にある島を目指し、一気に泳ぎ進もうとした。
……あれ?
「翔さん?翔さん!」
翔の乗るボートが停まってしまい、全然付いてこない事に玲は心配になった。
……おかしい。
心配になった彼女はボートまで戻った。
「……翔さん。どうしたの。気分が悪いの?」
「はあ。すまない。頭がガンガンして……」
「熱中症ですよ?!早く、水を飲んで!」
「さっき飲んだ。はあ。はあ」
広い湖の真ん中で、日陰などあるわけが無くボート内で臥せっている翔の顔は赤く火照っていた。
「ここにいたら危ないですよ。岸まで戻って!」
でも漕ぐ気力が無さそうに見えた玲はボートに手をかけようとした。
「触るな玲。ボートに乗ったら休んだと見なされ……失格だぞ」
「でも。乗らないと漕げないよ?」
「……おやっさんは双眼鏡で監視しているんだ。俺の事はいいから。お前は泳ぎに専念しろ。先に中島へ行け」
「……でも」
しかし。
今はそれが得策と判断した彼女は彼を冷やすために湖の水を彼にかけた。
「な、何をする?玲、おい、こら」
そして彼女は翔のボートのロープを背泳ぎで引きながら、中島めざして泳いだ。
……湖の真ん中で、一人ぼっちにはさせられないよ……
これにはとんでもない負荷がかかり、なかなか前にすすまなかったが彼女は必死に泳いで行った。
「玲……」
やがて中島が見えた彼女は、ここで一旦ロープを離し、全力クロールと足の往復が全力バタ足で中島に上陸した。
「はあ、はあ、はあ」
そしてダッシュで進み小さな神社の中にある印を持参した和紙に押すと、再び胸に仕舞った。
この後、湖に戻った彼女は、少しコースから流された翔のボートまでこれまた全力クロールで進んだ。
ようやくボートのロープをつかんだ彼女は、岸へ向かって引っ張りながら泳いだ。
……はあ、はあ。最近、身体を使っていなかったから、へばって来たな……でも、岸まで……あと、少し。
フィニッシュは背泳ぎで岸に辿りついた彼女は、審査員でもあるボート小屋のおやっさんに、翔の助けを求めたのだった。
やがて自力で日陰に移動した翔は、駆け付けた救急隊に対しても意識はしっかりしており、スポーツドリンクを飲めていたので、玲はほっとした。
こうしてしばらく様子を見たが、救命士さんのOKも出たので、二人は病院には行かず、小屋で休んでから帰ることにした。
「しかし。えらいなー君は」
真っ黒に日焼けしたおやっさんは、氷を届けてくれた後、玲に握手を求めてきた。
「だって……僕のせいですから」
「いやいや?そんなことないさ。それにあそこの生徒はね。嫌われている先生なんかがゴムボートに乗ると、かならず穴をあけられてしまうから皆乗りたがらないくらいなんだよ。あの学校にも君のような優しい生徒がいるとは思わなかったな……」
そしておやっさんは、鍵は所定の箱に入れて帰ればいいと、部屋を出て行ったのだった。
「お手数おかけしました。ん?翔さん?」
「……スー。スー」
……寝ちゃったか。夕べも遅くまで執事喫茶のバイトが忙しかったのかな……
お兄の為に無理させてしまった翔を玲は申し訳なく思っていた。
それに時刻がまだ午後二時だったので、帰りはタクシーで良いから、彼女はこのまま彼を少し寝かせることにした。
玲は翔に氷枕を当て、大きなバスタオルをお腹にだけかけて寝かした。
そして真水しか出ないシャワーを浴び、着替えを済ませた彼女は、すやすやと眠っている翔をみていたら、だんだん気だるくなってきた。
……ね、眠い?でも起きていないとダメだ。ちゃんと、翔さんの面倒を看ないと……でも……
彼の吐息を聞いていると、だんだん玲も眠くなってきた。
心地よい温度の部屋で、いつの間にか彼女は、そのまま……眠ってしまった。
「……おい。玲、玲?」
「ううん……」
彼女がつい寝がえりを打つと、何かの上に膝が乗った気がした。
……こんな抱き枕、あったっけ……
すると彼女の耳元で誰かが優しく囁いた。
「玲、起きろ。頼むからそのアラームを止めてくれ」
「?ふあい……」
そう言って優しく頭をなでる腕の中から彼女はゆっくり手を伸ばして携帯を取り、音を止めた。
「えーと……もうすぐ4時。お兄。夕飯の用意はするから、まだ少し寝かせて……」
そういって彼女は高さがちょうどいい枕に、頭をすりすりした。
「俺はお兄でもないし。枕でもないぞ……」
「……」
耳元に囁かれた声に目を開けると、彼女は翔の肩に頭を載せ、足をお腹に乗せ、腕を首に回し、しがみついていた。
……ど、どうしよう……!心臓がうるさいよ?
「眠っているところ悪いが、トイレに行きたいから離してくれ」
「ご、ごめんなさい!」
思わず玲はガバっと起きた。
「いいから。お前はまだ、寝てろ」
そう言うと彼はゆっくりと立ち上がり、眼鏡をかけると部屋から出て行った。
……心臓が。心の臓が。飛び出しそう??あれ?
落ち着いてみると彼女はそんなにドキドキしていなかった。
……あれは翔さんの鼓動だってこと?
とても寝ていられない彼女は立ち上がり、寝床を元に戻した。
「……まだ寝ていろと言ったのに」
戻ってきた翔は、自分の荷物を片付け始めた。
「もう。十分です」
自分のしたことが恥ずかしすぎて、翔の顔をみることができない玲は、正座のまま彼に背を向けていた。
「どうした?顔を見せろ。少し赤いが、お前は水分取ったのか?」
「は、はい」
「まあたっぷり飲んでくれ……。まったく。俺のボートまで曳かせたりして。助けるつもりが助けてもらうとは。年上としてのプライドがズタズタだ」
翔は髪をかきあげると、大きく肩を落とした。
……そうか。またつい。調子に乗ってしまった……
自分が活躍すると、いつもこうやって目上の人を傷つけてしまうと思っている彼女は翔の姿に胸を痛めていた。
……男の子の振りをしていたら大丈夫かなって思っていたけれど。やっぱり私は両親の言う通り、控え目にしないといけない人間なんだな……。
「あの、翔さん?気分が良ければ、片付けて僕の家に行きましょう」
「ああ」
小屋の外にでると、太陽が西に傾いていた。
オレンジの陽が湖に映って眩しかった。
……もう、一日が終わろうとしている。
弟の振りをして翔達とこうして過ごす時間はもう明日でお終いの玲。隣にいる翔の横顔を見つめていた。
……私は知っている。翔さんは女嫌いだもの。
「どうした玲?」
「なんでもないです」
……それに。こんなに迷惑をかけている私に頭に来ているはずだもの……
「本当にどうした?」
「なんでもないです」
……だから女の子だって知ったら。もう口を聞いてくれないだろうな……
「玲。タクシーが来たぞ」
「……はい」
湖面をなでる涼しい夏の風。
それは彼女の背を優しく押したが、翔の元に進む足はとてもとても重かった。
そんな玲の悲しい初恋を知っている湖はただ黙って彼らを見つめていたのだった。
つづく
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