第16話 夏はご用心
……ツツーツツツーツツツー……。
お間抜けな兄、優介は夏休みの学校主催勉強強化合宿のために、海辺のホテルに早朝出発した。しかし、もう妹に電話をかけてきた。
玲の着信音のオリジナルのメロディ『SOS』がポケットで鳴っていたので彼女はすぐに応じた。
「忘れ物は何?お
電話のために花に水やりをする手を止めた妹の玲は、兄の部屋へ向かった。
『全部だよ。全部!俺勉強するって知らなくて、海の用意しか持って来なかったんだ!』
……はい、終わった!
「仕方ないじゃないの。謝って借りるしかないよ、それ」
『ダメだよ。そんな事したら、罰で海に入れないんだよ』
悲痛な兄の声に彼女は見た時計はもうすぐ九時半だった。
この時間を見た彼女は兄にしたら早く気が付いた方だな、と感心していた。
「お兄?今部屋にいるんだけど、どの教科書を持っていけばいいの?」
『わかんねえから机の上のもの全部。あ、おい、やめろぉ?……もしもし。玲か』
兄のスマホは強制的に奪われ声は翔に代わっていた。
「もしもし、翔さん?あの、電車は今どこですか?」
『ダメだ!届けるな!こいつをこれ以上甘やかすな!』
この正論に玲は、心を座して答えた。
「でもですね。お兄は海に入るのを、ものすごく楽しみにしていたんですよ」
玲は教科書をドドと集めていた。
「すいません!お兄にはいつものように仮病でトイレにこもって時間稼ぎをするように言ってください!!それじゃ!」
『玲?おい……?』
翔の声に構わず彼女は電話を切るとすぐにいつもの業者へ電話をした。
その後、リュックに勉強道具を詰め込んだ彼女は、自宅に来てくれたいつもお世話になっているバイク便のおじさんの後部座席に乗り込んだ。
夏なのでライダースーツが暑いが玲は使命のために燃えていた。
「よろしくお願いします」
「いいえ。ご苦労様です。あの、妹さん!今日は道が混んでいますので、しっかりつかまっていて下さい!」
「はい。お願いします!」
超特急のバイク便は玲を乗せ一丸となり、兄の滞在するホテルへぶっ飛ばして行った。
バイク親父の巧なテクニックで玲はアッと言う前に海辺に着いた。
「ありがとうございました……間に合った……」
次の仕事が入っているバイク便のおじさんにお礼を言った玲は兄がいるはずの岬のはずれにある潮騒ホテルに入った。
こうして着いた彼女はライダースーツのまま、ロビーへ進むと、『光星高校三年生一同さま』という看板を確認しフロントに訊ねた。
「あの。光星高校の人はどちらですか?」
「ああ。まだ到着ではございませんが。何か?」
「?いいえ。失礼しました」
……そうか。お兄達は他に寄り道してからここに来るのか……
バイクに乗っていたせいで全然携帯を見て無かった玲は、待っている時間が惜しいので、フロントに声を掛けた。
「あの、すみません。僕は駅で自分のバックと間違えてこのバックを持ってきてしまったんです。入っていた資料で今晩ここに泊まる鳴瀬優介さんの荷物って分かったので持って来たんです。どうか、これ本人に渡して下さい」
そういって彼女は先ほどのフロントにバックを預け、このミッションを終わらせた。
そしてホテルのトイレでライダースーツを脱ぎ、Tシャツとショートパンツ姿になった。
脱いだスーツはバックに入れホテルのサービスで郵送の手続きをした。
さあ、身軽な状態で帰ろうとした時、まるでバケツをひっくり返したような雨が降ってきた。
空が真っ黒だった。
……定期バスまで時間があるし。ここからのタクシーはとてもお金が掛かりそうだ。
この状況にやむを得ず玲は一階のロビーでお茶を飲みながらバスを待つ事にした。けれど、夏の暑さに疲れてた彼女はいつの間にか。寝てしまった。
「おい、お前、玲じゃないか」
「おい。玲!起・き・ろ」
誰かが顔をつんつんしているので、彼女は目を覚ました。
目を開けると、そこには見たことのある男がいた。
「……ん。隼人さん?どうしてここに」
「バカ。それはこっちのセリフだろう。ここで何してんだよ」
はっと目を覚ますと、広いロビーには見慣れた制服姿の男子校生で一杯だった。
「隼人さん!今、何時ですか」
「ええと、五時か?」
「やばい!すっかり寝過ごした!僕、急いで帰らないと」
「あのな。昼過ぎの落雷で、この辺の電車は全部ストップしているぞ」
「はああ?じゃあ、バスで帰ります!」
「さっきの人の話しだと。どれも満員だとさ。それに駅まで行っても電車は止まってるし」
この話に玲は絶句したが、隼人に向かった。
「……このホテルに泊まるしか無さそうですね」
「残念ながら。明日行われる水泳大会の関係者で、ここも満室だとさ」
「おい!隼人!先生が呼んでるぞ」
ここに同級生が彼を呼びに来た。
「なあ、玲?ここにいろよ?部屋に着いたらメールするから!」
そういって隼人は、クラスの人と行ってしまった。
……どうしよう?そうだ!駅まで歩いて行き二十四時間営業のファミレスに朝までいれば……。
しかし。検索してもそう言う施設を発見できなかった彼女はマンガ喫茶やネットカフェを探したが、そんなものはなかった。
「やばい」
……この辺りにはそんな施設が全く無いよ?どうしよう……。
人生初のピンチ。
しかもここのホテルは優介の高校の生徒で一杯だった。
……ブーンブーン。
「もしもし?」
『あはは。玲!お前何やってるんだよ。そんなに俺達と一緒がいいのかよ』
正樹は楽しそうだが、玲は笑えなかった。
「残念ですが、今の僕には冗談を聞いている余裕がないです」
『朗報だ。俺と隼人は同部屋にしてもらったから。お前は俺達の部屋に泊まれよ』
……いや、それは無理!
本当は女の子。自分のせいで停学になったら責任負えない。玲はやんわりと断った。
「お気持ちは大変嬉しいのですが、この厚意をうけるわけにはいかないです。もう少し自分で何とかします……」
『おい?玲、おい』
そんな強気で電話を切った玲だったが内心はどうしようと思っていた。
やがての六時閉店のロビーを出てホテルた彼女は海風の中にいた。
海岸の雨は止み、水平線に太陽が沈みかけていた。
ここは岬の端にあるホテル。
勉強嫌いな学生を閉じ込めるための辺鄙なところで玲は黄昏ていた。
ザザザーと岸に波が打ち寄せる潮風。彼女は階段を降り砂浜を歩いた。
白い砂、ピンクの貝殻。
彼女の足跡を消す波に孤独感が襲っていた。
……ブーンブーン。
「うわ?……この着信は、翔さんだ」
……きっと怒っているだろうな。
翔は忘れ物を届けることに反対していた。今の状況を怒っていると思うが電話に出ないともっと怒るだろうと彼女は判断した。
「ごめんなさい!翔さん。僕を許して!」
『いいから!お前、今、どこだ?ここかと思ったが……ロビーは真っ暗だぞ?』
「浜辺で野宿するところを探して」
『そこにいろ!』
鴎が飛び、水平線に夕日が海に沈む光景を岩に腰掛け悲しい気分で眺めていた彼女の元に、ジャージ姿の翔が砂浜を駆けてきた。
「玲。全くお前は!」
「すみません?っていうか。こんな所に来ていいんですか」
「緊急事態だろ!」
そういって玲の頭をぽんと叩いた翔は、どこかに電話をかけた。
「ああ。
はああ、と大きなため息をついた翔は玲をじっと見つめた。
「いいか。心して聞け」
「はい」
「玲。このホテルのそばに俺の家の別荘があって、今週は姉さん達が泊まっているんだ。今からお前を迎えに来てくれるから、そこに泊まれ」
……お姉さんか。女ならいいか。というか、それしか方法無いな。
「ありがとうございます。助かりました」
しかし。
なぜか翔は顔を曇らせていた。オレンジの夕日が彼の頬を哀愁で染めていた。
「……助かったかどうかは時期尚早だ。奴らの怖さは半端じゃないからな。出来る事ならお前をあの魔女達の所に預けるのは……」
「魔女?」
玲の頭を撫でる翔の背後からはザザーンと波が打ち寄せてきた。
浜辺は陽が沈み急に暗くなってきた。
「……まあ、ここよりはましだろう。いいか。別荘に着いたら疲れたと言い、部屋に鍵をかけて寝ろ。何かあったら警察を呼べ。俺の出来ることは……そこまでだ」
翔はそういって玲の肩を抱き、一緒に潮騒ホテルまで戻った。
つづく
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