第2話 不機嫌なインテリ

「バンドのメンバーは、あだ名で呼び合っているんだ。ドラムは翔《しょう》ベースは隼人《はやと》リードは正樹《まさき》そして俺は優介。お前は玲でいいよな」 


「みんな名前のままじゃないの」



しかし、面倒だったので玲はこれ以上つっこまなかった。



そして男装した玲は、バンドのメンバーに挨拶をしたいという兄の強い要望により、彼らのバイト先に顔を出す事となった。



駅に行き乗り込んだ昼下がりの電車の中。立っていた二人は日差し以外の強烈な視線を感じていた。


「やっぱり目立ってるよ。お兄《にい》」


「ああ……ようやく世界が俺達を見つけたようだな……」



甘美に震えている優介を前に玲はため息しか出てこなかった。ちらと見た窓ガラスには自分の姿が映っていた。



「……仕方ないか。金髪、銀髪だもんな」


そういってうつむいていた妹に優介は声を掛けた。


「お前さ……言葉も男っぽくしろよ」


「わかったよ、兄貴」


「他にも。立ち姿が女っぽい。もっとこう、脚を広げとけ」


「へい。兄貴」


「あのな、玲」


「なに?」



すると優介は頬を染めて妹の耳元に囁いた。



「あのな……。その兄貴っての止めてくんない?そこは、お兄でいいから」


「面倒くさ!?」


こうしてやって来た優介と玲は、とある執事喫茶を目指していた。



「いいか。玲、ここにはドラムの」


「翔さんでしょう?お兄と同じ高三年で頭の良い人の」



普段から何でも話してくれる優介のおかげで、玲は女子以外の兄の交友関係はすべて掴んでいた。



「そう!そしてあいつは女嫌いのくせに、確かここでバイトをしているんだ」


ウロウロ気味の優介は雑居ビルのエレベーターのボタンを押した。


そして到着した4階を右に歩くと、やけに姿勢の良い高身長の黒いタキシード姿の男性が店先に立っていた。




「あ。ちょうどよかった。おい、翔!弟を紹介しようと思ってはるばるやって来たぜ」


眼鏡をすっと上げた彼は、眉間にしわを寄せた。



「はるばるってお前。同じ区内だが、弟?そうか。コーラスに加えたいと言っていた奴か」

 

髪はオールバック。クールな執事の男性は怖い眼でじっと玲を見下ろしていた。


……う?怖い……でも、これくらいでビビっていたらバンドなんか無理だもんね!よーし……



「はじめまして。兄がいつもお世話になっております。僕は弟の玲です」


少々裏返ってしまったが、勇気を出した玲は下げた頭をゆっくり上げた。

するとそこで待っていた彼の顔は、優しい顔になっていた。



「ほお。お前の弟にしては頭が良さそうだ」



「へえ?よくわかったな……。ええと、こいつは明日の練習から連れて行くから、ま、よろしく頼むわ。じゃあ、帰るぞ、玲」


バイトの邪魔になるのでこれで帰ろうとした優介は、翔に片手を上げて玲の肩を抱き、彼に背を向けてエレベーターへと歩き出した。



「ま、待て?おい。お前達、こっちに来い!」


「は?」


呼び止めた翔は、二人の腕を引き廊下の隅まで連れてきた。そして他店の看板と、自らの背で二人を隠した。



「え?俺、狙われてるの?」

「黙れ」

「あの、これは」


翔は執事服の大きな上着の胸の中に玲を抱き、そっと右手で口を塞いだ。


「静かにしてくれ」



……えええ?どうしよう。


いきなり抱き締めらた玲は、翔のシトラスのコロン漂う逞しい腕の中で心臓をバクバクさせていた。その時、先ほどまで翔が立っていた店のドアが開いた。




「ごちそうさまでした。また、来るね!」


翔の視線の先の執事喫茶からは着飾った女性客達が出てきた。



「あ?すみれ……むぐぐ?」


今度が雄介が口をふさがれた。驚きで目を丸くしたが、翔の真剣な顔にうんと頷いた。店内から現れた女子は楽しそうにおしゃべりをしていた。


玲はその中からひと際美しい女の子を発見した。流行のワンピースの肩にロングヘアのカールを揺らせていた彼女は輪の中心だった。



「いいか。二人とも声を出すなよ」


うんと頷いた玲から翔の温もりが消えて行った。そして優介も解放された。



「お兄?ひょっとして、あれ。元カノ?」

 

うん。と弱弱しくうなづいた優介は、悲しい顔。これを解説するかのように翔は語り出した。



「……彼女はあんな顔をしているが、いつもうちの店に来て、インスタのフォロワー数ばかりでなく、リア充対決として交際した男の自慢話しをしている。最近振った優柔不断で弱虫。男子高校生でバンドを結成したばかりの金髪男というは、やはり優介の事だったか」



どこか哀愁を漂わせた翔は、憐みの目で友人優介を見下ろし、そっと衣服を直した。



「ふう。遊ばれちゃったか、俺……」


優介はそう呟くと翔の背後でかがみ込み、黒い革の手袋の指で床に「の」の字を書き始めた。この様子を玲はじっと見ていた。


……私の大事にお兄を傷つけてくれるとは……



「……許せない……」


「ん?どうした?」


じっと女子軍団をロックロンする玲。翔はこれを二度見した。


「おい、お前」


「翔さん、お兄。お手数ですが、ちょっとここでお待ちください。すぐ済むので……」

   

押し殺すように言うと玲は翔の腕を除けて廊下を歩きだした。


「玲?」


「弟、おい?どこへいくんだ」


玲は兄と翔の制止に耳をかさず、女子軍団の背後に立った。


全身から青い炎を発しているくらい、怒りに燃えていた彼女は、女の子のはしゃぐ声に包まれたエレベーターに一緒に乗り込んだ。



「1階で……良いですか?」


扉の横のボタンの前に立った玲は、大好きな声優の甘ボイスの声真似し、彼女達に微笑みかけた。


「はい!あの……あなたはあの店の人ですか?」



小首をかしげて口角を上げながらにっこり笑顔のすみれ嬢からは薔薇の香りがした。この時の玲は、自分は執事喫茶にいてもおかしくない風貌の男性と思われたと推察した。



「……いいえ。違う店です」


玲はセクシーポーズのつもりで、シルバーアッシュの髪をかき上げてみた。



「えー?どこのお店ですか?良ければ私達、これから行きますよ。ね?みんな」


女子軍団を仕切っているすみれ嬢の声に、うんと同時に頷く仲間の女子を見た玲は目を細めた。



「そうですか?僕、嬉しいな……」


やがてエレベーターはチーンと1階に停まった。開けるボタンを余りに強く押したために突き指気味の玲は、あえて笑顔を装い彼女達を降ろした。



「あなたは……降りないの?」


エレベーターに残っている玲を見たすみれ嬢は、小首をかしげ上目使いで見つめて来た。しかし。玲の指は閉めるボタンをぎゅうううと押していた。



「ごめんね?僕は性格の悪いブスは見るのも嫌なんだ。じゃ!」



そして唖然とする彼女たちにあっかんべえまで決めた玲は、エレベーターで兄と翔が待つ階に戻った。


4階に着くと、二人は腕を組んで待っていた。優介は悲しい顔をしていた。


「お前、やっぱり復讐しちゃったのか」


「まだ足りないよ。でもさ。お兄!彼女達、怒って1階で待ち伏せしているかもしれない」


「そうか。弱ったな」


「待て待て?鳴瀬兄弟……」


二人の普通の会話。翔は玲に説明を求めた。


「お前は何をしたんだ?相手は女子高生だぞ」


「うちの兄だって高校生です。でも中身は小学生なんですよ?年齢は関係ありません」


「……それなら理解できる。では、こっちに来い」


冷たく言い放った翔は二人を廊下の隅へ誘った。そこには古いエレベーターがあった。


「ここではこういう事は日常茶飯事だ。とにかく迷惑だから帰ってくれ」


「日常茶飯事?お前も大変だな」


「す、すみません……」


すっかり彼を怒らせてしまった玲は、兄の横で小さくなっていた。

こんな空気の中、チーンという音でエレベーターのドアが開いた。ドアを押さえた翔は玲の背を優しく押し、先に乗せた。



「翔さん。すいませんでした。明日からよろしくお願いします」


「またな!翔!愛しているぜ」


「もういい!無事に帰れよ」




こうして眉間にしわを寄せていた翔だったが、ちょっとだけ手を振ってくれた。エレベーター内の鳴瀬兄妹はクスと笑いながら次のメンバーの所に向かった。


つづく

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