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『…どういう事だい?』
当然と言えば当然の、興味を示したアンリの問いに、緋桜は懐音の存在は巧みに伏せながらも、それでも今までの事の経緯を、掻い摘みながら話して聞かせた。
「…という訳で、今の俺は人間じゃない。
上条氷皇はもう死亡扱いで…名前も字面の違う、“緋桜”に変わったんだ」
『ふぅん…成る程ね』
アンリが口元に手を当てつつも納得する。
しかしそんな一連の流れに、どこか納得の行かないものがあったらしい朱音は、肩肘で緋桜を諫めるようにつついた。
それに気付いた緋桜が、朱音の方へと目を向ける。
「…なに? 朱音」
「“なに?”じゃないわよ。そんなに色々喋っちゃって大丈夫なの?
…人様の家で、そんなダークファンタジーちっくな実話を大真面目にしただなんて、あの超絶俺様男に知られたら…、それこそタダじゃ済まないわよ」
「…、いや、それはむしろ…」
朱音のその発言の方だよね、と、緋桜は一時、声のトーンを落とすも、次には極めて平然と答えてみせる。
「…まあいい。それはそうと、朱音…考えたって分かるだろ?
アンリさんはさっきの一件を、素直に謝ってくれたんだよ。
それだけでも充分、信頼に足ると思うんだけど」
「まあ、そういう所は人一倍慎重な緋桜がそう言うなら、大丈夫だとは思うけど…
何せあの、捻くれ鬼畜ヘビースモーカーの前例があるからねぇ」
へっ、と言わんばかりに朱音が肩を竦め、半眼になる。
暗にどころか、直に近いほどに懐音を差したとんでもない発言といい、こんな柄の悪い様子からは、お嬢様学校に通っているという、その事実すらも果てしなく嘘くさい。
しかし、そんな朱音の発言に…
緋桜は、その胸に棘のような疼きと焦りを同時に覚えた。
(──違う、朱音は知らないだけだ…
俺は慎重なんかじゃない。その逆で、軽率過ぎるくらい軽率だったんだ…!)
欲が高じて、人の姿すら失った自分。
朱音はその姿こそ見ているものの、それまでの詳しい経緯は知らない。
…だからそう、評価出来る。
“緋桜”という名の、上条氷皇がベースとなって生まれた存在を信じて。
懐音のことを引き合いに出すのは、本人の耳に入ればどのようなことになるかが、容易に想像が付くだけに考えものではあるが、逆に考えれば、朱音は自分の一件を通じて、ここまで物事を明確に、そしてあらゆる角度から捉え、判断するようになっている。
…自然、緋桜の口からは笑みがこぼれた。
(何だかんだ言っても鍛えられてるよな…懐音さんに)
…何せ、懐音の性格はあの通りだ。
利益・不利益などの損得よりも、何よりも先に自分の気が向かなければ…
それも元来は土壇場にならなければ、動きはしない。
そんな懐音を動かすツケ。
動かない懐音を動かす為に、そしてその言動を把握する為に、何よりも求められるのは、“思考力”。
…懐音の言動を、その思惑を解し…
その上で自身がどう動くのか。
もしかしたらそれは、その意思で動いているのではなく、懐音にそう動くように仕向けられているのだとしても。
それでも朱音は、懐音や柩との度重なるやり取りで、通常以上に視野を広げられ、同時に思考力を育まれているのは事実だ。
(“俺様ヘビースモーカー”…か。
まあ、見た目は確かにそのまんまなんだけどね)
おまけに鬼畜に腹黒とつく程。
…緋桜は更に苦笑した。
(でも、それだけじゃ懐音さんの器自体は量れないんだよな…)
…そう、自分は知っている。
懐音の、何気なくも深い優しさを。
自らの寿命を削り、自分に分け与えても…
それでもそれにすら、一切の恩を着せたりはしない、その慈愛を。
自分は、よく…知っている。
──懐音は、実際があの通りなので、確かに朱音には誤解を招いている部分が多々ある。
しかし、あれはあれで彼の性格の一部なのだ。
誤解されるならば別に、されたままでも構わなく、ただ、それを過剰に指摘された時にのみ、ようやく自らの意志を示す。
時に自分の意志に忠実過ぎることはあっても、言動の根幹が間違っていないだけに、誰もが圧されながらも、彼には惹かれる。
…そう。
自分さえも、朱音さえも、柩さえも…
そして…、“あのサガまでもが”。
「…アンリさん」
サガの名前が再び浮かんだことで、緋桜は本来の目的を思い出した。
…言い方に難はあるが、今はっきりとしておかなければならないのは、“今回、アンリが何故、サガに加担したか”だ。
すると、そんな緋桜の言いたいことを読んだのか、アンリは頷くように一度、長めの瞬きをした。
『…詫びは何度入れても、こちらとしての気持ちは晴れないが、そう何度も繰り返されても、緋桜くんには重荷や負担になるだけだろう…』
「…、それについては、俺はもう何も気にしていません。
それよりもむしろ気に掛かるのは… あのサガが、“何故アンリさんにそんなことをさせたのか”という点です」
『……』
「話して…貰えますか」
緋桜は、あえてやんわりと促すことで、相手の気の波が凪ぐのを待った。
それによって、気分的にも気持ちの整理を完全に着けたらしいアンリが、改めて、ようやく二人に向けて口を開いた。
『…、緋桜くんに、朱音さん。
緋桜くんはサガ様の件、そして朱音さんは先程の挨拶からも、薄々気付いているだろうとは思うけれど…
私とジュリは…実は既に、この世の者ではないんだよ』
「へっ…!?」
剰りの驚きに、朱音が多数の瞬きと共に、上擦った奇声をあげる。
──言われてみれば確かに、懐音の館で、例のカーテンの干し場に試行錯誤していた時…
あれだけの立ち位置の差があったにも関わらず、気が付けばアンリは、“自分の眼前で”明るく挨拶をしていた。
それから普通に考えても分かることなのだが、つまり、アンリの体はあの時、宙に浮かんでいたことになる。
となれば当然、人間ではあり得ないであろうことも、その時点で容易に予測がつかなければおかしい…はずなのだが…
「あンの…腹黒俺様ヘビースモーカー!」
緋桜ではないが、こちらも相応に嵌められたと知って、イラッとした悪態と共に、朱音の目が据わる。
「懐音ったら、絶対これを事前に分かってて挨拶に行かせたに違いないわ!
でなければあんな、半ばごり押し状態で、隣家に行くようにしつこく仕向けるはずがないもの!」
「…その時点で気付かない朱音も朱音だけどね」
はあ…、と息をつく緋桜の言い回しには、何故か癖がある。
それに気付いた朱音は敏感に噛みついた。
「その口調… さては、緋桜! 懐音の悪巧みには気付いてたわね!?」
「…悪巧みなのかどうなのかはともかく、懐音さんの性格を考えても、あの言い回しだけでピンと来なきゃ駄目だよ」
緋桜は蛙の面に水状態で、彼のキャラには似つかわしくなく、しれっと答える。
「だからこその“挨拶”なんだよ──
ねえ? …懐音さん」
「え!?」
瞬間、何を恐れてか、首を器用にぐるりと真後ろ近くまで向けた、その朱音の目に飛び込んだのは、
不機嫌そうに腕を組み、こめかみに青筋という名の怒りを戦慄かせる青年…
当の“懐音=デュランダル”本人だった。
…懐音は鬼畜に笑みながら口を開く。
「…それこそご挨拶だな? クソアマ」
「!…う゛」
先程までの勢いはどこへやら、朱音は冷や汗混じりに怯んだ
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