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『誰に…挑発を頼まれたのかって…?』
緋桜の唐突な指摘に、アンリが絶句する。
それに緋桜は、遠回しには話そうとせず、畳み掛けるように先を続けた。
「そう。俺のことをニュースで知っているなら、既に世間一般には行方不明、或いは死んだと思われている、“上条氷皇”が、いきなり目の前に現れたんだ…
反応としては、多少なりとも怖がるなり、慌てふためいて警察に通報するなりするのが普通だよね?」
「…あ!」
ここにきてようやく、緋桜の指摘の意味に気付いた朱音が、はっとして口を押さえる。
「じ、じゃあまさか、緋桜──」
「うん。…朱音の方は分からないけど、アンリさんは恐らく、俺のことは名前を訊く前から知っていたはずだ。
となるとこの状況下で、朱音に俺の名を出させて、あんなふうな言い回しをしているとなると、何か一計あるとしか考えられないじゃないか」
『……』
アンリは無言のままに緋桜を見つめる。
「まあ、挑発云々は、それまでの言い回しから判断しただけで、半分はカマに近かったけどね。
でもその顔を見ると、どうやら図星…かな?」
緋桜は臆しもせずに、じっとアンリの目を見据えた。
『ははっ…さすがだね、その洞察力!
サガ様のお気に入りなだけのことはある』
「…サガ…!?」
思いもよらなかったサガの名前を出されて、緋桜の顔色が目に見えて変わった。
その目は大きく、驚愕に見開かれ、そしてその体は凍りついたように固まっている。
「アンリさん…まさか貴方…」
『ああ…済まなかった、氷皇くん。君を騙すようなことをして』
「…、サガと結託していたのか…!」
緋桜がきつく拳を固める。
それに、朱音はひたすらに茫然とするばかりだ。
…朱音にはその名前に聞き覚えがあった。
だが、緋桜と懐音の知り合いだということまでは分かっても、まさかサガが懐音の実弟であり、更に冥界という異世界に携わる者であることなど、知る由もない。
何故ならあの時、朱音は魔にその身を侵食された、氷皇と対峙していたからだ。
…そう、あの時の朱音は、幼なじみの異形の姿に気を取られ、懐音や柩が、サガと何を話しているのか等、耳をそばだてる余裕すら無かったのだ。
サガのことはただ、懐音がその前に呼びかけたことによる、懐音の…そして氷皇の知人であるという認識…
いわゆる、知識内にある名前でしかない。
だが、何故その名前に、緋桜がこれ程までの過剰反応を示すのか。
朱音はそれが気にかかった。
「ねえ緋桜、サガって人…」
「!」
途端に緋桜はぎくりと身を震わせた。
…朱音にサガの真実を話せば、必然的に、自らの過去の失態も話さなければならなくなる。
それ自体は己の過ちであることからも、自業自得であるから仕方がないにしても、ここで余計なことを言ってしまえば、朱音は間違いなく懐音とサガの関係に気付く。
…現時点では絶対に、それを知られることだけは避けなければならない。
自らの罪を知られる云々よりも、何よりも…それ以前に、その事実を知った懐音が、腹いせにどんな仕置きをしてくるのかと思うと…
やはり、素直にそちらの方が怖い。
「…サガ? ああ…彼は俺と懐音さんの、共通の知り合いだよ」
「それだけ?」
辛うじてぎりぎりまでの事実を口にし、うやむやにしようと図るも、朱音がすかさず痛いところを突いてくる。
緋桜は幼なじみであるが故に、こうなった朱音がスッポンのように食いつき、しつこくなる、タチの悪い存在であることを、既に充分過ぎるほど理解していた。
…故に、試しに逆に訊ねてみる。
「“それだけ?”って…、朱音、他に何を期待してるの?
女の子同士にも、友情とかってあるだろ?
俺たちの関係は、あれの延長みたいなものだよ」
「延長?」
緋桜の話術に、朱音はその目に含んだ疑いを、若干ながら緩和させる。
一方で、それに確実に手応えを感じた緋桜は、半ば畳み込むように、この会話を終了させようと試みた。
「そう。友達の中にだって、気難しい人とか、気は優しいけど仏頂面とか…
果ては俺様気質な人だっているじゃない」
「…そうね、最後なんか確実に懐音に該当してるし」
顎に人差し指を当てて天井を見上げ、安易にその該当者の想像がついたらしい朱音が、軽率なまでにとんでもないことを、平然と口にする。
“こんなことを懐音さんが聞いたら、俺の方にとばっちりが来るのは免れないだろうな”…と、内心で疲れを覚えることを余儀なくされた緋桜は、それでもきっちりすっぱりと、事を収めるべく迅速に動いた。
「…朱音、そんな訳だから。
大体、俺たちはあくまで招待を受けている側なんだから、ここでこうやって二人だけで会話をしていること自体、アンリさんたちに失礼だよ」
「!そうか…、それもそうよね」
ここまで話して、ようやく朱音は納得したらしい。
それに緋桜は安堵に限りなく近い溜め息をつくと、アンリの方へと向き直った。
「微妙に脱線したけど…、さっきの理由を話してくれる? アンリさん」
『そうだね。でも、まずは先に、こちらの非礼の詫びを入れさせて貰おうか。
今更だが、試すというか…嵌めるような真似をして、本当に済まなかったな、氷皇くん』
アンリが深く頭を下げる。
それに緋桜は目を閉じ、首を横に振った。
「いや…さっきは俺も、サガの名前を出されたから、思わず過剰反応をしてしまったけど…」
ここまで話して、緋桜は目を開いた。
その表情にはいつの間にか、警戒を解いた、屈託のない笑顔が浮かんでいる。
「別に、気を悪くした訳じゃないから。
それに言い回しからも、アンリさんに心底からそのつもりが無かったのは、何となく分かったし」
『…そう言って貰えると救われるよ』
アンリは苦笑しつつも肩を竦めると、もう一度だけ、済まなかった、と呟いた。
『氷皇くん、実は──』
「!あ、ちょっと待って、アンリさん」
緋桜は何故かそこで、唐突に会話を遮った。
「その、俺の名前だけど…
俺はもう、上条氷皇じゃないんだ」
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