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★☆★☆★


…朱音が肩肘で、隣に座した懐音をつつきながら、囁くように声を落とす。


「ちょっと懐音、来るなら来るで、いっそ初めから同伴してくれりゃ…」

「柩にツケを回した奴が何を言う」


懐音は即答しつつもせせら笑う。


「…あいつに神魔クラス(我々)以外で、雑用を押し付けることが出来る奴(人間)など、お前くらいのものだ」

「だってあの館、あまりにも辛気くさ過ぎるんだもの」

「嫌なら訪ねて来なければいいだけだ」


さも面倒そうに、懐音は息をつく。

それを緩和するかのように、ジュリが各々の前に、紅茶の入った、見た目にも高価と分かるティーカップを置いた。


「!…あ、ありがとうございます」


朱音がそれに敏感に気付き、懐音と一時、休戦状態で礼を言う。

緋桜もそれに倣う形で会釈をしたが、反して懐音だけは、ただ瞬きのみでそのカップを一瞥すると、何の躊躇いもなく口を付けた。


それに当然、朱音の怒りが復活する。


「懐音… あんたねえ! 人のことを失礼だの何だのと散々こき下ろしておいて、自分の方はどうなのよ!?」

『あ、いいんだよ朱音さん。懐音様は』


アンリがやんわりとその場を取りなす。


対して、朱音の目は見事なまでに点になった。


「…カイネ…様?」


「……」


懐音は無言のまま、その瞳をアンリに走らせる。

しかしその“失言”を特に咎めることもなく、懐音はその口元の笑みを、容赦の笑みへと変化させた。


「…え、なに? 懐音が様付けって…」

「…そんなことよりも、アンリ」


明らかに瞬きの回数が増えた朱音を華麗にスルーして、懐音はアンリに向き直った。

するとアンリは、懐音の言いたいことには予測が付いたらしく、ただ、申し訳なさそうに俯いた。


『はい… 結果的には懐音様のお手を煩わせることになり、申し訳なく思っております』

「今回の顛末は、この茶を淹れている間にジュリから聞いた。

…サガに、いいように使われたようだな」


懐音はうっすらと、それでいて鋭く目を細めた。

そんな懐音の様子に、ますますアンリは項垂れる。


『はい。結果的には、サガ様はこの経緯を予測していたことに…』

「あれの考えそうなことだな」


懐音は手にしていたカップを戻して、再び息をつく。


「それで? やはりお前たちは、例の物を代償に動かされたのか?」

『…はい』


青ざめながらも毅然と頷いたのは、今度はジュリの方だった。


「!ちょ、ちょっと待ってよ!」


半ば話についていけない朱音が、ついに耐えきれずに声をあげた。

…それを懐音は、さも煩さげに見やる。


「…何だ」

「!って、うあ、待って待って!

いきなりそう言われても、何から… 一体何処から訊いたらいいものか…!」

「じゃあ黙ってろ」

「!っ、そうじゃなくて!」


朱音の鼻息は、自然、荒くなる。

そんな朱音を相手に、懐音はさすがに不機嫌な表情を隠せなかった。


「…訊きたいことが色々あるのは分かるが、今回の鍵になるのは、“何故こいつらがサガに荷担し、お前らから接触するように仕向けたか”…だろう?」

「…え? お前らから接触…って、懐音、それは違──」

「そう思い込むのがお前らの浅はかさだ」


懐音はすっぱりと言って捨てる。


「現時点ではサガの思惑は、俺にも障りが分かる程度だ。

…だが俺は、それを承知の上でお前たちを動かした。その意味が分かるか?」

「俺たちは囮…ということですね?」


緋桜の答えを聞いた懐音は、いかにも満足そうに口元に笑みを浮かべた。


「正解だ。…さすがに鋭いな、緋桜。

これの幼なじみだとは、到底思えない程の出来の良さだ」

「確かに緋桜が頭がいいのは認めるけど、これって何よこれって」


朱音が半眼で懐音を軽く睨む。

すると懐音は、聞く耳持たずといった様子で再びカップを手にし、それを空にすると、やおら立ち上がった。


「──お前たちの存在は、俺が動く上でのいい目眩ましになる。

お前たちが表立って動けば、背後の俺の動きは簡単には感知されないはずだからな」

「…、前言撤回。俺たちは囮と言うよりは餌、か。…やっぱりいい性格してるよね、懐音さんは」


そう的確に、爆弾にも値する言を何気なくした緋桜が、肩を竦めて溜め息をつく。

そんな緋桜と懐音を、不安そうに見たアンリが、再び重く口を開いた。


『…重ねて申し訳ありません、懐音様』

「だからそういちいち気にするな」


懐音はどこか苛々と返事をする。

それに、今だ会話に付いていけないままの朱音が、ついに爆発した。


「ちょっと、懐音っ! あんたはもう少し分かりやすく会話を展開しなさいよ!

さっきから聞いてるけど、あんたと緋桜の言ってること、あまりにも脈絡なさ過ぎだし!」

「…ここで最初から説明するのも面倒だ。詳しいことは後で緋桜にでも訊け。

それよりも、今は──」


そこまで言いかけた懐音は、その時ふと、何事かを思い立ったらしく、しばし無言になる。


「…?」


そんな懐音の様子を見て、緋桜は当然、警戒にも近い表情をした…が、やがて、懐音の企てに気付いたらしいその頭は、知らずにその表情の一部に、絶句の状態の時にも似た引きつけを付け加えた。


「まさか…懐音さん」

「…つくづくお前は察しがいいな、緋桜」


悪知恵の算段を取り付けたらしい懐音が、不敵に悪魔の笑みを浮かべる。

それは自然に、緋桜の顔のみならず、その体にも一種の硬直をもたらした。


「…、俺たちに何をしろと?」


やっとのことで出たそのひと言に対して、懐音は何故かアンリとジュリへと視線を送る。

それに二人が各々頷いたのを確認すると、懐音はその灰の目を、朱音へと移した。


「こいつは放っておいても首を突っ込んで来る女だからな。

だったら気の済むまで詮索させればいい。

そうだろう緋桜?」

「まあ…確かに」


緋桜はここで、曖昧に頷いた。


…確かに、この朱音の性格上、疑問を持ったまま引っ込むことはあり得ない。

現に朱音は、この性格の懐音に対して、既に散々質問をぶつけた挙げ句、“あんた”呼ばわりまでしているのだから。


それは間違いなく怖いもの知らずと言えばそうだ。

だが、かといって事を素直に1から10まで話せば、アンリとジュリの件のみならず、サガ経由で懐音の方の事情までもを探られかねない。


…自らの過去の愚かさの発覚もそうだが、何より懐音自身が、サガとの関係には触れられたくないのであろうということは、その当の懐音が、巧妙に話を逸らし、自ら、サガの件には極力触れないようにしていることでも分かる。


要するに懐音は、これからの言動で、裏で糸を引くサガの存在そのものよりも、そのサガと自分との関係を探られることに対しての、予防線を張るつもりなのだ。


…、否、“その種は既に蒔かれている”。

そして、それは──


「…、お前が黙る気がないのは明白だな」


懐音はわざと大きく息をつく。

だが、その“わざと”であるはずの巧みな演技に、朱音は全くそれと気付かない。


それどころかむしろ、やっと懐音が話す気になったのかと、これ幸いと身を乗りだし、懐音の話に耳を傾ける。


「当たり前! …ってことで、懐音!

質問にひとつずつ答えてよね!」

「ああ、いいだろう。だが先にこいつらの話を聞いてやれ。

…お前はここを、何処だと思っている?」

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