6
「…、父上が一枚噛んでいるのか…!」
サガが疎ましそうに自らの親指の爪を噛む。
その様子と先程の物言いから、サガまでは事態を知らされなかったのだと判断した懐音が、次いでそのままの勢いで、サガをやりこめ追い返そうとした、その時。
不意に、サガの背後から、今までにはなかった人の気配がしたような気がして、懐音は思わず、吸い込んだ息を留めた。
ゆっくりと、言葉と共にそれを吐き出す。
「…誰だ?」
「…?」
懐音の問いに、柩は恐る恐るサガの背後に目をやった…
が、次の瞬間、その顔が、ある種の恐怖からか、思いきり強張り、引きつった。
「!お前っ…
「ええ。長の帰りがあまりにも遅いので、業を煮やした冥界…いえ死神内から、私が遣わされて来ました」
しれっと言い放って、サガの陰から柩の前まで静かに移動したのは、黒髪黒眼の、ひとりの美しい青年だった。
…背はすらりと高く、見た目はいかにも清楚潔癖といった、真面目そうなタイプだ。
ただそれでも、耳と唇に複数のピアスをつけ、そして漆黒の服を平然と着こなしているだけに、端から見ればその容姿は、それ系の音楽に携わっている者に見えないこともなかったが。
それでも彼の姿を目の当たりにした柩は、目に見えて怯み、たじろいだ。
「あまりにも…って、葬、お前は俺の任務を分かって──」
「ええ、分かっておりますとも長。
何しろ長の監視相手は、他ならぬこのカイネ様ですから。
カイネ様は、父君にあらせられる冥王様でも、その言動を持て余す程の問題児です。
一筋縄ではいかないことくらい、もとより百も承知ですよ」
「…、おい、柩…」
突然現れた葬の、いかにも腹黒い性格が反映されたらしいこの言い種を、黙って聞いているはずもない懐音が、怒りにこめかみを戦慄かせながら柩を肘でつつく。
それに、柩は深く溜め息をついた。
「──こいつの名前は葬。俺のすぐ下の…いわゆる副官の立場にあたるんだが、この通りの毒舌で腹黒でくそ真面目で、おまけにまるっきり融通も利かない」
「…上が上なら下も下だな」
ぴきりと青筋を浮かべたままの懐音は、最初からご挨拶なこの葬に対して、容赦するということはまるでない。
「…で? 葬とか言ったな。
よもやお前、柩の代わりに俺の監視をするなどとは言わないだろうな?」
「まさか!」
葬はきっぱりと懐音の言葉を否定した。
「カイネ様の監視など、どの死神にも荷が勝ちすぎます。
そもそもカイネ様のお相手は、実力・性格の悪さ・粗忽さ・口の悪さ・忍耐力、それら全てにおいて、秀でている者でなければ務まらないと言われているくらいで──」
「…何だと?」
懐音が、更にぴきりと青筋を増やす。
それに柩は、慌てて手を振ることで、その場に湧いた不穏な空気を追い払った。
「!ああ、もういい! もういいから葬!
お前はそんなことを言うために、わざわざ人間界に来た訳じゃないだろう?
用件があるならさっさと──」
「では、まずは上条氷皇の転生の件です」
葬は徐に書類を取り出すと、それを柩の眼前に突きつける。
「カイネ様が彼を生き返らせたことは、サガ様より承っておりますが、それに関しての書類が現在、全て不備な状態です。
今回の件において、長自身が我々死神側…ひいては冥府側に提出しなければならない書類は、報告書・始末書等、合わせて百枚近くに上ります」
「……」
頭痛を覚えたらしい柩が頭を抱え込む。
「これらの書類の提出、それからカイネ様に関しての報告書、長としての書類整理と、全ての仕事が溜まりに溜まっているこの状態を…どうするおつもりですか?」
「…ふん、どうするもこうするもない」
懐音が憮然として言い放った。
それに葬は、不思議そうに懐音の方へと向き直る。
「カイネ様?」
「お前は死神の…ひいては副官の位置にあたるのではなかったか?
なら、長である柩が不在の際、お前が穴を埋めたり、カバーしたりするのは当然だろう。
それすら出来ないと言うのなら、お前は副官としても死神としても、職務怠慢以外の何ものでもないが?」
よほど先程までのことを根に持っているのか、懐音が次々にまくし立てる。
これには、これまでの会話でも分かる通り、懐音の性格をそれなりにながら把握しているらしい葬でも、さすがにぐうの音も出ない。
しかもそれを予め見越していたのか、懐音はそのまま、畳み掛けるように、口早に先を続ける。
「貴様にも副官の自覚があるのならば、どうしても柩でなければ出来ない書類以外は、今日中に仕上げて親父に提出しろ」
「え、今日中にですか?」
葬の口元は、先程から引きつりっ放しだ。
それに、懐音はじろりと容赦ない目を向けた。
「そもそも氷皇の一件など、今から何ヶ月前の話だ?」
「…やらせて頂きます」
葬は疼き出した頭を押さえると、深く息をついた。
…一事が万事この調子であるなら、確かにあれだけの性格を持つ死神の長が、今だに手こずるのも頷ける。
何しろこの王の息子ときたら、こちらが少しつついてやれば、反撃としてその数倍の毒を吐きかけてくる。
これでは自分はおろか、旧知なはずの柩の手にも余るのがよく分かる。
恐らくこの調子では、彼の実弟であるサガでも、到底手には負えないだろう。
…そしてこう判断すると、今まで目立った実害がないのが不思議なくらいだ。
まあ、その“今までの実害”は多分に、監視役の柩が、全てひっ被る羽目に陥っていたのだろうが。
だが、そうなると…
「…確かに、カイネ様の相手は長にしか出来ないようですね」
「そんな簡単に納得するなよ葬…」
柩が落涙する。それに葬は、もう一度、盛大な溜め息をついた。
「──上条氷皇に関しての書類…
私の手に負えない所は、長にお任せします…という訳で長」
「分かった分かった、今晩、一度そっちに帰ればいいんだろう?」
「ええ。…ついでに、溜まっている雑用も片付けて頂きますから、その旨、覚悟しておいて下さいね?」
げっ、と柩が呻く前に、悪魔の微笑みを浮かべた葬は、そのまま魔力によって姿を消した。
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