19

《…引き続き、上条邸前からの中継です。

上条財閥の長男にして、その後継者でもある氷皇君の行方や足取りは、依然として掴めておりません。

氷皇君の部屋には、夥しい量の血痕と、黒い大きな羽根が複数残されており、警察ではこの事件に、何らかの異常性・猟奇性も関与しているとみて捜査を──》




「…予想はしていたが、やっぱりこうなるんだな」


…次の日の朝。

あの一件からさほど間を置くことなく、懐音の住処に帰還し、そこで他の三人と共に恙無い一夜を過ごした柩は…

その、朝独特とも特有ともいえる、番組こそ違えど、同じニュースを延々と繰り返し吐き出すテレビを、うんざりしつつも眺めていた。



その傍らには、それら一連の事象に、生来の面倒くささが災いしてか、さも不機嫌そうに頭を掻く懐音…

そして、引きつった表情で、固まったままテレビに釘付けとなっている朱音…

そして、それら全ての映像を、哀愁と共に憂いた瞳で眺めている、今は外見の変わってしまった…“上条氷皇”本人がいた。



朱音はふと、そんな氷皇…

否、緋桜を気遣うようにちらりと見やると、頭に浮かんだ素朴な疑問を、そのまま口にした。


「ねえ…“緋桜”、変な意味じゃないんだけど…

本当に、この二人に付いて来ても良かったの?

後悔とか…してない?」

「…何だと?」


これに反応したのは、言うまでもなく、緋桜ではなく懐音の方だった。

先程の不機嫌さに更に輪をかけた懐音は、頭を掻いていたその手を静かに下ろすと、まっすぐに朱音を見据える。


すると朱音は、そんな懐音の対応を、すぐに真っ向からばっさりと否定した。


「勘違いしないでよ懐音。別に懐音と柩がどうこうじゃないの。

…まあ、怪しいことは怪しいけどね」

「それで勘違いをするなと言うのか?

お前の思考回路そのものが、そういったことに対しては相当な勘違いをしているようだが」


しれっとした表情で毒を吐く懐音に対して、瞬時にカチンと来る朱音。

二人は程なく、ぎゃあぎゃあと見苦しい言い争いを始める。


そんな二人を見た緋桜は、心のどこかで、わずかな安心と、それを上回る安堵感を覚えながら──

先程の、朱音の問いに答えた。


「…朱音、上条氷皇は…

かつての俺はもう、どこにもいない。

魔に染まって…罪さえも犯して、その全てから逃げるようにして命を絶った俺を…

懐音さんと柩さんは…救ってくれた」

「…緋桜…」


朱音が、懐音との交戦をぴたりと止めて向き直る。

それに懐音も反応し、緋桜の方へとやんわりと目を向けた。


えんゆかりもないはずの俺に、二人はそこまで動いてくれたんだ…

後悔なんて、するはずもないよ。

俺は二人に疎まれない限りは、二人の役に立ちたいし、恩返しもしたいと思ってる。

…もしかしたら懐音さんには、迷惑に思われるかも知れないけど」

「…あ?」


途端、懐音は目を細めることで、再び不機嫌そうな意志を露わにした。


「迷惑だと? …本当に俺がそう思っているとでも言うのか?」

「…、だって…懐音さん…

俺は…貴方たちには本当に…迷惑しかかけていないから…」

「そういう辛気くさい引け目を引きずることは、お前の言うところの“迷惑”にはならないのか?」

「!」


はっ、と、気付いたように緋桜が体の動きを強張らせる。

それに懐音は、軽く息をついた。


「…緋桜、お前を生き返らせたのは、あくまで俺の気まぐれと一存によるものだ。

それにお前が引け目を感じたり、負い目を背負ったりする必要はない」

「そうそう。…それにね、いつまでもそんなことを気にしているのなんて、緋桜らしくないわよ」


何も知らない朱音は、知らぬが故に無垢に微笑む。

だが、当の懐音や朱音に、これだけ親身で優しい言葉をかけられても、緋桜の気持ちは…真実を知っているだけに、晴れの兆しを見せることはなかった。



(俺が懐音さんに受けた恩は…

…そう簡単に…返せるものじゃない…!)



上条氷皇は死んだ。

…最後にはあの、恵まれた環境から…

聖の、光の全てから見放されたように。



猟奇性を残しながらも、それでもひっそりと、静かに──



だから解っている。

もう、あの家には…あの時には“還れない”。

戻れるはずもなく、居られるはずもない…

上条氷皇の存在は、17歳のままで留まり、もはや人々の記憶にしか残ることはないのだから。



帰れる場所がない。

元より、帰るつもりもない。

懐音から恩義を受けた、かつての存在すら消滅した自分が生きていけるのは、もはや、その懐音の側しかないから。


例え彼にとって役に立たなくても、

迷惑だと思われ、疎まれたとしても…

それでも自分が、懐音を…

己の命が削れることを承知で、自分を救ってくれた人を、傍らでずっと見守り、生きていきたいから。



…結果、出る答えは決まっている。


「うん… 有難う朱音、懐音さん。

柩さんも…有難うございました」

「…ああ、お前の気持ちは分かるが…礼はもういい」


懐音はひらひらと手を振った。


「そう何度も繰り返されても──」

「“ウザいだけ”ですよね」


懐音の性格を見抜いたように先手を打って微笑む緋桜に、些かながら懐音の毒が抜ける。

そして懐音はその灰の瞳を、あろうことか朱音へと向けた。


「…こいつの幼なじみというのに、今初めて合点がいったな」

「な!? それって一体どういう意味よ!」


朱音の怒りが復活する。

聞き捨てならない、と憤然と懐音に挑もうとした朱音は、当の緋桜本人によってあっさりと抑え込まれた。


「朱音の影響を強く受けている、っていうことだろう?」

「!ひ、緋桜まで…!?」


ぎょっとして自分を見つめる朱音に、緋桜は心底から楽しげに微笑む。

そんなやり取りを目の当たりにしながら、柩はこの一時の平穏に満足していた。


…だが、その反面で、幾つかの気になることや矛盾点が胸中を占めてゆく。


(何故、今回の件にサガ様が関わっていたのか…

あの方の道楽は今に始まったことじゃないが、こと、この一件に関しては…)



“剰りにも出来過ぎている”。



…死神の長である自分の元に、唐突に舞い込んだ、あの匿名の“奇妙な手紙”。

それは上条氷皇という人間の近くに、神魔クラスに属する魔の影が見えるというものだった。


通常ならば、そのような根拠のない手紙などは相手にしない所だが、相手があの世界でも高位に位置する神魔クラスとなれば、傍観も出来ない。


そこで密かに上条氷皇の身辺を調べた所、氷皇には燐藤朱音という、幼なじみが居ることが分かった。

だが、こんな理由で朱音の方から接触を試みようとしても、胡散臭がられるのが関の山だ。


相手は人間、それも女子高生。

…ならば、どう動けば良いか。


「…懐音を動かすのも、その気にさせるのも、やはり骨が折れるな」


誰にも聞こえないように呟いた柩は、その瞳をゆっくりと懐音へと向けた。



口さえ開かなければ、まさしく、“女と見紛う程の美貌”。

大抵の女、それも女子高生なら、警戒よりも先にあの外見に骨抜きになるだろう。

…今回の朱音を除いては、だが。



「……」


そう思い返した柩は、酷く何かを早まったような感がその胸中を占めてゆくのを、何となくながら実感していた。

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