17

傍らで呆然とする緋桜と柩を残して、ぎゃあぎゃあと一戦をやらかす懐音と朱音。

それを見ていた緋桜の表情が、人知れず緩んだ。


「…良かった…」

「何がだ?」


顔を突き合わせて喚く懐音と朱音の二人を見やりながら、柩が緋桜に尋ねる。


「俺はまた、愚かなことをしてしまう所だった…

あの人の言う通りだ。自分の責任から逃れて、ただ死ぬだけなんて…甘かった。

それに、何よりも…」

「“朱音をこれ以上悲しませなくて、良かった”…か?」


死神の長である柩が、緋桜へと初めて微笑みかける。

それに、緋桜は感謝しながらも、素直に頷いた。


「…うん。朱音が元気で…良かった」



「…まあ、そう思ってくれればな。

懐音も、自分の寿命の一部をお前に与えた甲斐があったってもんだ」



「!え…」


緋桜は思わず、自分の耳を疑った。

それに柩は、必要以上に口を滑らせてしまったことに、苦笑いをしながら付け加える。


「…ああ、少し喋り過ぎたな… 悪かった」

「いえ! そんな…、そんな…ことは…!」


緋桜の手が僅かに震える。

青ざめたその顔色は、今の緋桜を構成しているその全てとは、まるっきり真逆なものだった。


「…どうか… どうかその意味を…教えて下さい…

お願いします!」

「…、それは真意か? それとも、ただの興味…」


柩は何故か、測るように緋桜に問う。

それに緋桜は、縋るように柩の腕を掴むと、真剣な表情で、こう答えた。


「興味なんかじゃない! これは本心からです!」

「…、そうか」


柩は、どこか納得したように呟くと、冷めた瞳を隠そうともせずに話し始めた。

…そこには確かに、普段の柩とは違った、死神の長としての一面があった。


「…お前たち人間という種族は、ゲームや漫画とかいう一部のメディアによって、死というものを簡単に捉えてしまう傾向があるようだ。

逃れるため、安堵するため、救われるため…

己の感情をその為だけに向け、安易に死を選ぶ者も多い」

「……」


まさに己がそうであるため、緋桜は心境を見透かされた気さえしながらも、いたたまれなさに目を伏せる。


…ここで柩は、何故かその瞳を殊更に鋭くした。


「…だがな、現実の死の指す意味は、ゲームや漫画とかいう…いわば娯楽の一環のそれとは遥かに違う。

リセットなど出来ないし、ましてやそれは、映像や紙の上での架空の人物に置かれた、現実味のない実情でしかない」


「……」


緋桜は言葉を繋げない。

それに柩は、つと、瞳に浮かんだ鋭さを消失させると、死神の長に相応しく、淡々と言葉を紡いだ。


「そこに共感し、涙することさえあったとしても、それはあくまで、話の流れで死を意識しているだけだ。

それが決定的にそうである理由としては…分かるだろう。

漫画やゲームなどでは、“リアルに亡骸は残らない”」

「!…」

「そういったメディアでは、感情に訴えるものこそあれ、それを冷静に見据えれば、それは絶対的に現実ではない…

普通の人間が死んだら、やり直しも生き返りも出来はしない…

それを真に知ってか知らずか、最近じゃ、自分から死ぬことを望む輩が多すぎる。

そして、“氷皇”…お前もそのうちのひとりだ」

「……」



緋桜に、名と姿を変えた“氷皇”が俯く。



「…簡単に死ねる奴らはな、残された奴らの気持ちなんて考えもしないんだ。

お前も知っているだろうが、人間の世界には、病気や戦争、それから事故や天災で、生きたくても生きられなかった奴らがごまんといる。

なのに、まだ生きられるのにも関わらず、己の感傷のみで命を投げ出すような行為は…

そういった奴らに対して、失礼なことだとは思わないか?」

「…す、すみません…、柩さん…」


懐音とのやり取りから、柩の名を覚えたらしい緋桜は、その柩に対して、申し訳なさそうに詫びる。

それに柩は、頑なになりかけたその空気を幾分か和らげると、その口元に僅かな笑みを浮かべて、緋桜の頭に手を置いた。


「…悪いな。言い方はこうだが責めている訳じゃない。

何というか…人間が死ぬというのがどういうことなのかを、俺たちの目線から分かって欲しくてな」

「…はい」


柩の手から通した温もりによって、感情が和らいだらしい緋桜が微笑んだ。

それを見た柩は、満足そうに手を下ろすと、今度は懐音と朱音の二人に聞かれないようにか、わずかに声を潜めて囁いた。


「…死ぬこと、死なせること自体は簡単だが、生き返らせるとなれば、それは容易なことではないし、人間の手では無理だ。

人間に出来るのは、せいぜいが仮死状態から生き返らせることくらいだろう?

だから完全な、生死に関わることとなると、言うまでもなくそれは俺たちの管轄になる」

「……」

「懐音は簡単にお前を生き返らせたが、本来ならあの術だって、そんじょそこらの奴に出来る代物じゃない。

…そういった意味では、お前は誰よりも幸運なんだ」

「…、はい」


緋桜は、ただ頷き答えることしか出来ない。



一度は軽んじてしまった己の命が…

どれほど重いものであるのかを知ってしまったから。



「…先程、俺が口を滑らせてしまった通り、お前を生き返らせる代償として、懐音は自らの命を削った…

一度死んだ人間を生き返らせる… つまり理に反したことを行うには、懐音ほどの奴でもそれ程のリスクが付きまとうということだ。

…でも、あの懐音のことだ。恐らくお前に恩など着せる気は更々ないだろうし、お前が恩など感じた所で、鬱陶しがるのが関の山だ」

「そうですね」


緋桜はそこだけは即答した。

懐音を見ていれば分かる。実質、照れ屋なのかどうかは、会ったばかりなだけに定かではないが…

見た感じでは確かに、それも確実に人からの感謝などは鬱陶しく思うタイプだ。


「…懐音は恐らく、今後もその事実をお前に言うことはないだろう。

だが俺は、あえてお前に話した。だからこそ…俺の言いたいことは分かるだろう?」



「…はい。二度と死のうだなんて考えません。

あの人から貰った、この命…

今度こそ大切にして、全うします」



まるで約束を交わすかのように、緋桜は柩の目を真っ直ぐに見つめた。

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