16
「懐音…ごめんなさい…」
朱音は目を伏せたまま、うなだれた。
…頭を冷やしてよくよく考えてみれば、懐音には、魔に対して自ら見せる動きこそあれ、元々自分に付き合う義務も、氷皇を生き返らせなければならない義理もない。
それを、本人の思惑がどうあれ、懐音が動いたことによって今の結果があるなら…
懐音の立場に立ってみれば、あのきつい言葉の裏に秘められた、深い意味も分かる。
「…覚えておいた方がいい。
懐音があそこまで人間の為に動くのは、よくよくのことだ。
分かっているだろうが…サガ様の介入こそあったが、本来ならこの一連の事態に、懐音が動く必要は何処にもない。
なのにあいつは…」
「…うん。ごめんなさい、柩…」
朱音は素直に柩に謝罪する。
「単に氷皇をかばうだけじゃ、本当の意味での氷皇の為にはならないのね。
…それまでの事情はどうあれ、氷皇が魔に魅入られて、あの姿にまでなってしまった…ということは、氷皇自身にも何らかの、魔を惹きつけてしまう要素があったことは事実…
だったら、少し嫌だけど…その点だけは、咎められたとしても自覚して貰わないと…」
その悟りを得た答えに、柩は少し態度を和らげ、頷く。
「…そう。現に氷皇は魔に身を落としているからな。
その点だけは…自ら認め、反省し、償っていかなければならないことだ。
それを始めから死に逃げたから、懐音は怒った。…氷皇の、自分の命そのものを軽視し、冒涜する行為にな」
「…、懐音…」
朱音は俯き加減に目を伏せる。
そんな朱音を柩に任せたままの懐音は、なおも横たわったままの氷皇に向かって話しかけた。
「…どうもまだ甘ったれているようだから言っておくがな、単に死ねばいいと思っているなら…
死ぬことで全てから逃れられると思っているなら大間違いだ。
今の状況のまま死んだら、それ以降、お前には生前の業績などより、魔に身を
その名に、かつて存在したお前自身に…永劫、魔の影が刻まれ、お前というひとりの人間の生き様を地に落とすんだ」
「!…」
氷皇は、この時初めて表情を動かした。
目を大きく見開き、その顔色を自身の容姿とは対極のものへと変える。
そんな様子を一瞥して、懐音は更にはっきりと言い放った。
「分かったなら、そうしていつまでも腐っているのはやめろ。
せっかく与えた新しい名が無意味になる」
「新しい…名前?」
氷皇はようやく身を起こしながら尋ねる。
…その緋の髪が、ふわりと揺れた。
しかし、そこまで話して気は済んだのか、懐音は氷皇を見やったまま黙り込み、一切口を開かない。
さすがにそのままでは話が進まないと判断したのか、その一連のやり取りを、朱音と共に傍らで見ていた柩が、相変わらずの懐音の性格に溜め息をつきながら口を挟む。
「…上条氷皇… いや、“緋桜”。
サガ様の存在を知るお前なら、我々のことに対しての理解も早いだろうが…」
「下らない前置きはいい。…こいつは愚かではあるが、決して馬鹿ではない…
率直に言っても理解出来るはずだ」
「…、それ自体、分かりやすく説明する気が無かったのは、一体どこのどいつなんだ…」
なら自分で言えと言わんばかりに、柩が半眼になる。
そんな柩の視線を、至極普通に受け流した懐音は、つと、煙草を取り出し、それに火をつけると、口をつけることもないままに煙をくゆらせ、先を続けた。
「経緯はどうあれ、氷皇…
今のお前は…そうだな、分かりやすく言えば、限りなく人間に近い体と容姿を持った、精霊のような存在だ。
生き返らせるのに、俺の血と髪、それと桜を使ったからな」
「…あなたの…血と髪を?」
氷皇… 否、緋桜は、驚きに大きく目を見開いた。
「そうだ。だから今のお前は、俺の…」
言いかけた懐音は、そこまで話すと、何故か言葉を切り、頭を押さえた。
「…駄目だな。野郎が相手じゃ、わざわざ教える気にもなれん。
柩、お前はそういうのは得意だろう。こいつに今の自分の現状を教えてやれ」
「…、自分で説明するのが面倒なんだと、素直に白状したらどうだ」
ぼそりと呟いた柩が目を据わらせる。
それに懐音の睨みが来る前に、それでも柩は、緋桜に向かって律儀に説明を始めた。
「緋桜…よく聞いてくれ。今のお前は、ここにいる懐音が先程言った通り、懐音の血と髪、それと桜を媒体として構成されている。
で、これが何を指すかというとだ…
“緋桜”、今のお前は…現実として懐音の使い魔であり、また、懐音の子供とも呼べるべき存在となったということだ」
「…はぁ!?」
これに素っ頓狂な声をあげたのは、言うまでもなく朱音だった。
次の瞬間、遠慮も容赦もなく、両手で懐音の胸ぐらを掴んで引き寄せた朱音は、懐音の端正なその顔が目の前に寄せられたのにも全く構わず…
“噛みついた”。
「ちょっと、どーゆーことなのよ懐音っ!
何で氷皇が、貴方の、こ、こ、こ…!」
どうやらその後に、“子供なの!?”と言いたいらしい朱音は、自身の相当の動揺にテンパっているらしく、後が続かない。
それに当然のように、胸ぐらを掴まれたままの懐音が、顔をしかめて問いかけた。
「…ニワトリか? お前」
「っ!」
その軽率な一言によって、瞬間的にテンパりよりも怒りが上回った朱音は、同時に動きを止めていたらしい体を、自らの意志で動かし…
次には懐音を見据えたまま、その
「!」
不意打ちできたそれに、懐音が思わず、顔を痛みに歪めて朱音を睨むも、その当の朱音はまるでお構いなし。
次には懐音の胸ぐらを掴んでいた手を両方とも離し、朱音は瞬時に左手を腰に当て、余った右手でびしりと懐音を指差した。
「懐音! あんたはフェミニストという言葉をいい加減に覚えなさいよ!
人一倍気難しいあんたが、せっかく氷皇を助けてくれたことに、こっちは珍しく感謝してたってのに!
今のでぶち壊しどころか、あんたに対してすっかり貸しが出来たわ!」
「!…何だと…、このクソアマっ!」
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