15

朱音は驚いて懐音を見る。その傍らでは、柩が同様に魔力らしいものを使うことで、周囲に飛んだ血や、その痕跡を全て消し去っていた。


…そんな中。

闇に堕ちた外見を維持したままの氷皇の体が、それとは真逆な程に神聖な、眩い緋色の光に包まれる。


「──!」


天空に浮かぶ太陽を直視したかのような、そのあまりの眩しさに、朱音は瞬間、耐えきれずに目を閉じた。


どんなことがあっても、氷皇を直視していられない自分の不甲斐なさに情けなくなったが、その眩しさが尋常ではないだけに、朱音の網膜には、いつまでもその特有の眩しさが焼き付いていた。


…しかし、“目を閉じた”…

それ故に、今、自分の目の前で、そして氷皇に何が起こっているのか…

その全てが、まるで分からない。

…だけど。



自分は懐音に全てを託した。そして懐音は頼もしくも頷いた…

ならば今の自分に出来ることは、自分が告げた通り、懐音を信用し、信頼することのみだ。

朱音は神にも縋る思いで、氷皇が助かるようにと必死に祈りを込めた。



…ややしばらくして。

失われた視覚に代わって、聴覚が捉えたもの。



それは、明らかに何かが動いた時に起きる、わずかな衣擦れの音だった。


「…?」


自分や懐音たちではない、明らかな第三者と思われる者の動き…

すなわち、その場の異変に気付いた朱音は、それでも先程の眩しさが今だ尾を引いているのか、恐る恐る片目を開いた。


その瞳は本能的にか、すぐに氷皇の居た場所にいる者の姿を認識する。



「! …氷皇…?」



氷皇の名を呼んだその刹那、不意に何かに迫られるような衝動に駆られた朱音は、慌ててもう片方の目も開く。



一見しただけで、氷皇の姿が変わったらしいことは、すぐに分かった。

…先程まで見られた、あの、魔に侵食されたことを示唆する、禍々しい漆黒の双翼…

そして、かつての氷皇の持つ黒髪黒眼の様相は影もなく、その体はいつの間にか、美しい緋髪緋眼へと変化を遂げていた。



…氷皇らしきその人物は、静かにその場に横たわったまま、無表情に天を見上げている。

つと、その手がわずかに動いた。


氷皇が着ていたものと全く同じ服を着ているその人物が動いたことで、また、ほんの微かながら衣擦れの音がする。



「…、あなた…、“氷皇”?」



朱音は、今の己が一番訊きたい質問を、まるで自問するように問う。


確かに髪と目の色は違う。氷皇の髪と目は、昔から美しい漆黒で、このように鮮やかな緋の色はしていない…!


しかしその面立ちでいうなら、彼は間違いなく氷皇本人だ。

昔から今まで、ずっと見ていた幼なじみ。

絶対に間違えるはずはない。


すると氷皇は、朱音の方を向くこともなく、ただぼんやりと天井を見ながら呟いた。


「…俺は…氷皇なんかじゃない…

不相応に色々な物を求めて、それが元で堕落した…

ただの人間の…成れの果てだよ…」


「! 氷皇…っ!」


朱音が悲しさに、悔しさに…切なげに顔を歪ませる。

それでも氷皇は、朱音の方に向き直ることはなかった。


「…何故、俺を助けた?

…俺は…こんなに浅ましいのに。

どんなに望んでも、もう…二度と這い上がれはしないのに…!」





「這い上がれない? …なら、堕ちたままでいろ」





次の瞬間、懐音の冷酷な言葉が飛んだ。

それに、事の成り行きを傍らで窺っていた柩は、ぎょっとしたように懐音を見る。


「!おい、懐音っ…」


行き過ぎた懐音の言動を制しようと、柩が表立って動こうとするも、それは既に無駄で。

懐音は柩の動きを視線のみで抑えると、次いで剣呑な瞳を氷皇に向け、言葉も厳しく先を続けた。


「いいか? よく聞け、上条氷皇」


その口調は明らかに苛立っていて。

そしてその中にも、かなりの軽蔑と呆れが含まれている。

そんな口調に、初めて意外そうにこちらに顔を向けた氷皇の、変化した緋の瞳をまともに正面から捉えて、懐音は先を続けた。


「お前は確かにサガに利用され、魔に身を堕とした。…だがな、死んだだけでお前のしたことが消えるとでも…償えるとでも思うか?

お前は死ぬことで逃げようとしているだけだ。自分のしたことや相手を傷つけたことに対して、一切の責任も取らずにな」


「……」


図星を突かれたか、氷皇は居たたまれずに目を伏せる。

その緋の瞳が、悲しみに彩られた。


それを目にした朱音は、傷ついた氷皇に更に追い討ちをかけるように責める懐音を止めようと、言葉を発しようとした。

…が、その前に先手を取られ、柩にそれを制される。


たまらずに朱音は、その焦りの矛先を柩へと向けた。


「柩! 何で止めるの!?

氷皇はまだ、生き返ったばかりだっていうのに…いくら何でも酷すぎるわよ!」

「…本当に酷いのは、懐音でも、その懐音の言葉でもない。

人間が時折見せる、不必要なまでの優しさだ」

「!? 何それ…どういうこと!?」


興奮気味な朱音は語尾が荒い。

柩は軽く息をつくことで、それをわずかに緩和させると、朱音に視線を落としながら呟いた。


「…俺も、あまりにも懐音の言動が度が過ぎるなら止めるつもりでいた。

でもな、よく考えてみろ朱音。…確かに言葉自体はきついかも知れないが、今の懐音の言ったことの中に、何か間違いはあったか?」

「!」


柩に諭された朱音は、この時、初めて懐音の気持ちが分かった。

その気持ちを増幅させるかのように、柩が先を続ける。


「…懐音には、一度は死んだ者…

氷皇を理に反して生き返らせたという、重い責任がある。

人間である朱音は知らないかも知れないが、その人間の生死を、個人の気まぐれで決めることは、俺たちの世界では…到底許されない重罪だ」


「……」


朱音は申し訳なさに目を伏せる。

…それしか出来なくて。



…そうだ。

人を生き返らせるなんて、元々が簡単なものではなかったはずだ。

だが、それを懐音は些かの躊躇いもなく行った。

恐らくは…不甲斐ない自分たちを、見るに見かねて。

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