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《──申し訳ございませんが、氷皇様は、アポイントメントのないお客様とはお会いになりません》
広大という言葉では到底足りない程に広すぎる上条家の入り口前で、侵入者を感知するセンサーに引っかかった挙げ句に、マイクによって内部の人間に、単調にそう告げられた朱音には、ちょっとした怒りが沸き上がっていた。
…あの後。
感情の高ぶった朱音は、懐音と柩が告げた全ての事象を否定するために、懐音たちからすれば、“まんまと”といった形で、上条氷皇の家に乗り込み、彼への接触を試みていた。
ただひとつ、二人の誤算だったのは、供というよりも、半ば引きずるような形でここまで連れて来られたことだ。
勿論、今のやり取りからも分かる通り、現段階で、朱音は氷皇にアポイントメントは取り次いでいない。
結果、それまでの会話と経過によって、まともに煙草すら吸えていない懐音は、その苛々も手伝って、不機嫌な状態を隠そうともせずに、朱音に話しかけた。
「…お前、計画性無さすぎ。相手はいいとこのお坊っちゃんだろう?
幾ら幼馴染みにだって、そうそう時間を割くか」
「!う"っ…、た、確かに計画性が無かったことは認めるけど…
そもそも、懐音があんなこと言って脅かすから悪いんじゃない!」
朱音の噛みつきに、今までの行程をなぞるかのように、懐音は当然、目くじらを立てる。
その険悪な空気に、このままでは先の二の舞になると的確に判断した柩は、溜め息混じりに二人の間に割って入った。
「…いい加減にしろ、二人共。今はそんな言い合いをしている場合じゃないだろう?」
「こいつが突っかかって来るから悪い」
懐音は腕を組んで、至極さらりと吐き捨てる。
そこには明らかに朱音より歳上であるといった余裕があったが、ふと、何かに気付いたのか、懐音はその灰の瞳を鋭くした。
「おい朱音、上条が手を出している事業の中で、現在、一番力を入れていると思われるものは何だ?」
「え? …え、え、えーっと…」
不意に会話が真面目なものに戻り、朱音は毒気を抜かれたように考えを巡らせた。
「…確か…音楽とか、ファッション…それもモデル業界みたいな…
って、ちょっと待ってよ?」
そこまで答えて、朱音にはピンと来た。
そのまま再度、わざと先程のセンサーに触れる。
「!な…にしてやがるんだこの馬鹿」
あきれ返る懐音の文句もどこ吹く風で、朱音は再び注意を促すために、マイクのスイッチを入れたらしい、上条邸内の人間の先手をとって訴える。
「!あ、あのっ…すいません、氷皇と約束していないのは謝ります! でも、氷皇が以前から探していたモデルに、うってつけの二人を見付けたので…」
「──なに?」
まさか、と思った懐音の襟首を容赦なく掴んで引き寄せた朱音は、恐らくは件の受け答えをしている人間が、邸内からカメラでこちらをがっちりと監視しているであろうことも踏まえて、唐突に懐音を後ろから突き押す形で矢面に立たせる。
「ほら、見て下さい! …こんな現役モデル顔負けの人材、滅多にいないと思いませんか!?
それに、この他にも…もう一人」
朱音は言いながら柩に視線を走らせる。
これにはさすがに柩の体から、言いようのない冷や汗が流れた。
「な!? …じょ、冗談じゃない! 何故、俺が人間などと── …っ!」
朱音によって秒殺される勢いで、瞬時に口を塞がれた柩は、もはや文字通り、ぐうの音も出ない。
そうして双方の動きを封じておいて、朱音は、多分自分でもこれ以上はあり得ないと思える程の、極上の微笑み…
いわゆる、作り笑いを浮かべた。
「ど、どうですか? ちょっと口が悪いことを除けば、見た目はこの通りですし…
滅多にない掘り出し物で、いい物件だと思うんですけど」
「…殺す、このクソアマ…」
どこの怪しげなセールスもどきだと思いながらも、きっちりと物件呼ばわりされた懐音のこめかみには、これ以上ないと思われる、盛大な怒りマークがぴきりと貼りつく。
しかし。
そんな作戦とも言えぬような浅知恵は、意外にも功を成し、先程までつんけんしていた内部の人間の口調が、突然、馬鹿丁寧になった。
《──分かりました。では、氷皇様にその旨をお伝え致しますので、恐れ入りますが、その場で少々お待ち頂けますか?》
「!あっ…、はい! 分かりました! よろしくお願いします!」
「…、言ってみるもんだな」
まだ朱音に背後から突き押されたままの懐音が呟く。
が、ふと我に返ると、その手を軽く振り払いながら、その事実そのものを隠蔽するかのように、ぎっちりと目を据わらせた。
「今の交渉自体は、俺の考えに限りなく近いが…
まさか柩ばかりでなく、俺まで引き合いに出すとはな」
「おい…ちょっと待て懐音」
今の癖のある物言いに引っかかった柩が、思わず半眼になる。
「お前、まさか俺を…」
「あわよくば、そのまま売っ払うつもりだったが…それがどうした?」
懐音が平然としたまま、とんでもないことを告げる。
瞬間、柩は目眩をおこして頭を抱え込んだ。
「…そろそろ友人付き合い、まじめに考え直すか」
「…は。どう転ぼうが、お前と俺は腐れ縁だ。否が応にも顔は突き合わせる」
懐音はそう呟きながら、徐に上条邸の方へと歩み始める。
今度はセンサーが切られているのか、内部からの干渉は見受けられない。
すると、その懐音のちょうど正面に、スーツ姿の優男が姿を見せた。
瞬時、懐音は警戒するように目を細める。
まるでそれを知った上で、それでも尚且つ緩和するかの如く、男がゆっくりとその行く先を手で促した。
「どうぞこちらへ。…残念ながら、氷皇様は手が離せませんので、僭越ながら私がお話を伺わさせていただきます」
「…分かった」
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