「──この…腐れ死神っ!」


ばしっ! と、扉を蹴破らんばかりの勢いで蹴飛ばし、朱音を引きずるようにして自分の館にある部屋に戻った懐音は、苛々とした様子で室内に目をやった。


柩はというと、懐音が出ていった時と全く変わらぬ態度で、体が沈みそうなまでにふかふかとしたソファーに座ったまま、悠然と煙草をふかしていたが、懐音がいつになく苛立っているのを見て、やれやれとくわえ煙草でそこから立ち上がった。


「…お前…、標的を連れて来てどうするつもりなんだ?」


半ば溜め息混じりに、軽く頭を掻く。

しかし懐音には、そんな柩の態度に、どうも裏があるような気がしてならない。


「その前に聞いていいか?」

「…何だ」


柩は平然とした様子を崩さない。

それに懐音は、その容姿には似つかわしくなく牙をむいた。


「こいつは本当に標的なのか? …むしろ逆のような気がするんだが」

「へぇ、なかなか鋭くなったじゃないか」

「!やっぱりか…この野郎」


懐音の口元が不自然に弛み、同時にこめかみに、ぴしりと血管が浮かぶ。


「こいつは標的じゃなくて、むしろガードしなけりゃならない側…

つまり、お前の依頼は真逆だったって事だろう?」

「…、そりゃそうだけど…」


柩が煙草を口から離し、指の間に挟めたまま話す。


「…実質殺さなかったんだし、それはもういいだろう?」

「馬鹿、殺してからじゃ遅いだろうが…

だからお前はエセだと言うんだ」


目を閉じ、忌々しげに頭を押さえるように髪に指を埋める懐音と柩のやり取りを、朱音はしばらくの間は、状況も分からない事から、呆気にとられて見ていた。

が、やがてはっと気が付いたのか、すかさず懐音相手に噛みつく。


「!な、何で殺すの殺さないのって…何の話!? 大体、それよりも何よりも…ここ、何処よ!?」

「…うっせぇな、このヒステリー女が」


懐音が半眼になって、ぼそりと呟く。

しかし厄介な事には、それが朱音の耳に入ったのか、朱音は見た目も歳上な懐音に、遠慮も無しに食ってかかった。


「誰がヒステリーよ! 失礼なっ」

「お前以外に誰が居るんだよ」


懐音は髪に埋めていた手を下ろすと、その手をそのまま近くのテーブルの上にあった煙草へと伸ばした。

見た目も高価そうな箱の中から、器用に片手で一本だけ取り出す。


しかし、もう片方の手は、朱音を抑えるために塞がっている。

…懐音は朱音に目を走らせた。


「逃げるなよ」

「…言われなくても。言われっ放しで逃げる気なんか更々ないわよ」

「…は。気の強ぇ女…!」


懐音はさも楽しげに笑うと、朱音を捕えていた手を弛めた。

振りきるように、朱音が手を振りほどく。


「…さぁて、聞かせて貰おうか?」


鬼畜気味に柩に笑いかける懐音の双眸は、口元と反比例して、決して笑ってはいなかった。

それに何か言いようのない、ぞっとしたものを抱えながらも、柩は辿々しく口を開く。


「!…あ、ああ…、じゃあついでだから、その子にも一緒に聞いて貰うか」

「ついで? …この状況で、“ついで”なわけ?」


朱音はやはり釈然としない。

だが。


「まあいいわ。そこの人拐いの事についても、色々と聞きたいしね」

「…、このクソアマ…」


綺麗な顔立ちに反して、それからすれば凡そ出て来ないであろう言葉が、ぽんぽん出てくる。


…綺麗な薔薇には棘がある、ではないが…

言うまでもなく懐音は口が悪い。


一瞬にして凍てつきかけたその空気を、なだめるという形で緩和させたのは、言うまでもなく柩だった。


「まあまあ二人とも。…懐音、この子がそう言うのも無理はない。だが、現状は教えてやらないとな」

「…あのさ、その前に軽く自己紹介してくれない?」

「…あ?」


いきなりの朱音の提案に、懐音の顔が思いきり引きつる。

それにはまるで構わず、朱音は柩に、上目遣いで訴えた。


「仕方ないな」


確かに一理ある上、根負けしたことから、柩が灰皿に煙草を押しつける。

対して、その傍らで義理にも近い様子で煙草をふかしていた懐音は、落ちかけていた灰を灰皿へと落とした。


「ハメた罰だ。…自己紹介はお前がやれ、柩」

「…、いちいち根に持つからタチが悪いんだよな、こいつ…」


やれやれと肩を落として、深く息をついた柩は、つと顔をあげ、朱音の方に向き直った。


「…まぁ、さっきから会話に出ているから分かるだろうが…

俺の名は、ひつぎ

「柩さん? …名字は?」


何の気なしに朱音が尋ねると、柩はそれを予測していたかのように、すぐに答えた。


「そんなものは無い」

「え? …名字がないの?」


朱音はほんの一瞬、きょとんとした顔になったが、やがて疑問は残るものの然したる問題ではないと判断したらしく、ついと懐音の方を向いた。


懐音は相変わらず、ぴりぴりとした態度を保ったまま、再び煙草をくわえる。

それにぴしりとこめかみを引きつらせた朱音は、懐音がくわえている煙草を瞬時に取り上げ、問答無用で灰皿に押しつけた。


…これにはさすがに、懐音がキレる。


「…今、何をした…?」


口調は穏やかだが、その声質は半端じゃなく低い。


「さ…、さっき足を踏んだ事は謝るけど、今のは謝らないからね!」

「!何だと、このアマっ…!」


懐音が怒りに目を細める。

それに首を亀のようにすぼめた朱音は、すぐさま柩の陰に隠れた。


「…、全く…」


柩が、びくびくしたままの朱音を見やりながら息をつく。

次いでその瞳が、ちらりと懐音に向けられた。


「…懐音、分かるだろう。最初にきちんと名乗らなかった、お前も悪いんだよ」

「……」


懐音は渋い表情で黙り込む。

心なしか、その瞳に含まれた怒りが少し緩和された。


柩はやんわりとした口調で先を続ける。


「…自分で名乗れよ、懐音」

「……」


懐音はそれでも、しばらくの間、沈黙を保っていたが、やがて根負けしたのか、渋々口を開いた。


「…、“懐音=デュランダル”…」

「“カイネ”?」

「…俺の名だ」


懐音が答えると、朱音はようやく安心したのか、柩の陰から姿を見せた。


「分かった。それで、えーと…懐音さんと柩さ…   え? 何?」


朱音は途中で言葉を止めた。

…何故か、懐音が軽く手を挙げて遮ったからだ。


「俺と柩のことは呼び捨てでいい」

「…、口が悪い割には、意外に寛大なのね…」


思わず本音を口にして、瞬時に懐音に睨まれた朱音は、また逆襲が来る前にぱくりと口を塞ぐ。


「…、まあいい。それで? 他には何が訊きたい?」


さらさらとした銀白色の美しい髪を、さも煩げに、そして無造作に流す懐音に、思わず朱音はどきりとした。

が、それで顔などを赤くしようものなら、それこそ懐音に冷やかされるのが目に見えているので、努めて平静を装って尋ねる。


「じゃあ、あの…、二人は一体、どういう関係なの?」

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