「…、まさかとは思うが…

BLでも想像してやがるのか? このア」


マ、と恐らくは続くであろうその悪態は、勘に近い反射速度で焦った柩により遮られた。


柩は、慌てたように懐音の口を己の手で塞ぐと、濁流のような冷や汗を流しながらも、それでも振り返って朱音へと告げた。


「!と、友達! そう友達…というか親友みたいなもんだ!」

「へぇ…」


朱音が意外さに目を丸くして納得するも、懐音のこめかみはぴきりと引きつる。

そのまま懐音は、自らの口に当てられたその手を、強く顔を背けることで振り払うと、じろりと柩にその灰の瞳を向けた。


「誰が親友だ。いつか口が腐るぞ」

「そう怒るなよ。あながち間違ってもいないだろう?」


柩は何とか懐音をなだめると、ふと、朱音へと向き直った。

…予測はしていたものの、朱音は極めて胡散臭そうにこちらを見つめている。

その目などは既に半眼になり、もはや関わる必要なしと判決を下しているのは明白だった。


──柩はこれまた慌ててその場を取り繕った。


「!ま、まあまあ。朱音…ちゃんとか言ったか、俺たちが怪しく見えるのは仕方がないことだが──」

「…仕方がないって自覚があるなら、早く事情を説明してくれると有難いんだけど」


半眼のままの朱音の指摘は容赦がない。

これを聞いた柩は、そのもっともな物言いに、ぐっと言葉に詰まって黙り込んだ。


それを横目で見た懐音からも余計な一言がかかる。


「そうだな。元はと言えば、お前が俺にすら、ろくに事情を説明しないからだ」

「…はいはい、俺が悪うございました…」


柩はがっくりと肩を落とし、そのまま皆にソファーへと座るように促した。


位置としては、懐音の右隣に朱音、その向かいに柩だ。

自分を含めた三人がきっちり腰を落ち着けたのを見計らって、柩は軽く息をつき、再び口を開いた。


「えーと、まず…朱音ちゃんの方に言っておかないといけないことが…」

「あのさ、柩」


朱音が何を思ったか、柩の言葉を遮った。


「あたしの方ばかり呼び捨てしていいっていうのもおかしいじゃない。あたしのことも、呼び捨てで構わないよ」


そう言って朱音は、まだまだ半眼なままの瞳を、左隣の懐音に走らせる。


「あんたもね」

「…、ホンット可愛さの欠片もねぇ女だよな、お前」

「あら、そちらこそ。…黙っていれば文句無しに格好いいのに、口を開けばぶち壊しって人も珍しいんじゃない?」

「…、こいつ…」


大概頭にきて、懐音は殺気立った瞳を朱音に向ける。

その向かいで柩が大きな溜め息をついた。


「…本当に聞く気があるのか? お前たち…」

「お前が早く話さないから、この女がつけあがるんだろう。

こいつはやはり、あの時にさっさと殺しておくべきだったな」


さらりと、懐音がとんでもないことを口にすると、さすがに朱音の顔は青ざめた。

それによってようやく黙ったらしい朱音の様子から目を離し、懐音は次いで、その視線によって柩を促した。


やはりこいつには敵わない、と思わざるを得ない内心の感心を押し隠して、柩は再度、口を開いた。


「…、朱音の方は分かっているだろうが…

懐音、お前は上条氷皇を知っているか?」

「…上条…氷皇? …ああ、あいつか。

上条グループの要とか後継だとか、随分と大層なことを言われてる、あのガキのことだろう?」


他人のことを話すにしても、相変わらずそっけなくも口の悪い懐音に、柩は苦笑いを浮かべずにはいられなかった。


「で、そいつがどうした?」


野郎のことには興味がない、と言わんばかりに、懐音がひたすらそっ気ないままに先を促す。

すると柩は、いつになく真剣な表情になってそれを抑え込んだ。


「懐音、相手が男で気乗りしないのは分かるが、この件に関してだけは、そんなことを言っている場合じゃなくてな──」

「お前の言い方が回りくどいからだろう」


懐音が憤然として呟く。


「お前は、そいつがどうだから、どうして欲しいと言うんだ?」

「だからそれは順を追って話すと言…

って、無駄か…全くこいつは」


柩は、苦労の様がありありと分かるであろう、今までで一番大きい溜め息をつくと、出来るだけ核心に触れた内容に沿うようにして、話し始めた。


「“上条氷皇”…あいつはどうも、人間が踏み込んではならない領域にまで、足を踏み入れているらしい」

「…何…!?」


途端に、それまで興味無さそうに聞いていた懐音の態度が一変した。

気だるげになりかけていた体を起こし、その瞳は先程から引き続いて、強い殺気を帯びた、厳しいものへと変化している。


「どういうことだ!? 柩!」

「幾ら天才と言えど、あの若さで数々の成功…おかしいとは思わなかったか?

上条氷皇の功績の裏には、どうも魔が絡んでいるらしいぞ」

「…道理でガキにしちゃ、やる事なす事出来すぎている訳だ。

それで、柩。その裏は取れたのか?」


鋭く目を細め、懐音は柩に問いただす。

すると柩は、まだだ、と首を横に振った。


「“らしい”、と言っただろう。詳しいことは明確には分かってはいない。だが…」


そこで言葉を切り、柩は朱音に目を走らせた。

怪訝そうな表情で首を傾げる朱音とは裏腹に、懐音の表情は極端に不機嫌になる。


「…まさかお前、この女を餌に、上条氷皇に探りを入れるつもりじゃないだろうな」

「だからお前に接触を試みさせた。…分からなかったか?」


柩は平然と答えて笑う。

瞬間、懐音の表情が、これ以上なく不機嫌なものへと変化した。


「説明不足にも程があるこの状況で、どうやってそれを理解出来たというんだ、このエセが。

挙げ句にこの女を餌にだと? …ふん、冗談じゃ──」

「お前の父親の命令でもか?」

「!」


父親、という言葉を聞いて、懐音の顔色が目に見えて変わる。

が、それも本当に刹那のことで、懐音はすぐに落ち着きを取り戻すと、いつものように毒づいた。


「…あのクソ親父、どこまで…!」

「仕方がないだろう。向こうもそんな簡単な立場に居る訳じゃないんだからな」


「…あ、あのー…」


躊躇いがちに朱音が口を挟んだ。

やり取りを遮られた懐音は、当然の如く、じろりと朱音を見やる。


「何だ」

「…あの、話が全く見えないんだけど…

魔とか懐音のお父さんがどうのこうのって、一体、何の話?」

「お前には関係ないだろう」


まさに間髪入れず即答し、子どものように外方を向いた懐音に、爆発しそうになる朱音を再び柩がなだめる。


「…懐音、それはないだろう。上条氷皇に接触する為には、その幼馴染みであるこの子の協力が必要不可欠なんだ。

それはお前にも分かっているはずだろう。そう邪険にするな」

「……」


眉根を寄せたまま舌打ちをした懐音は、それでもその態度を先程のものよりは確実に緩和させた。

すると、こんな懐音の反応に慣れ、また扱いをも充分に理解しているらしい柩は、この時とばかりに朱音に事情を説明しようと試みた。

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