感情販売機

Ai_ne

感情販売機

 今日は幸せが足りない。


 毎日同じ時刻に起床し、同じ時刻に出勤し、同じ時刻にほとんど同じ内容の仕事を処理して、同じ時刻に退勤し、同じ時刻に就寝するのだ。


 そんな私に幸せが足りているはずはない。

 だから私は今日も幸せを『買う』ことにした。


 特段趣味も無い私にとって金銭の使い道はこれくらいしかない。音楽?読書?ゲームやスポーツ?


「はは」


 おっと、つい笑いが溢れてしまった。いや、つい笑いを零してしまうくらい道楽など馬鹿馬鹿しい。


 そして私は自動販売機の前に立って財布の小銭を漁る。


『イラッシャイマセ! コチラは感情販売機デス!』


 感情販売機。

 それは文字通りの機械だ。不足した感情、忘れたい気持ちを一時でも忘れさせてくれる最高の機械。私はその機械に成人を識別するIDカードをかざし、金を入れて『喜び』『幸せ』『安心』『興奮』『感動』…………など沢山のプラスの感情が並ぶその自販機で私は迷わず『幸せ』のボタンを押す。


 それと同時に出てくるのは『Joy!!』と書かれた缶ラベルの飲み物だ。私はすぐさま缶のプルタブを空けて一気に飲み干す。すると脳内に溢れ出さんとするのは『幸せ』という感情だ。俺の心の中にしまい込んでいた、雨が降った夜のような揺蕩う気持ちは刹那に晴れゆき、死んでしまいたくなるほど嫌な事は弾けるように消し飛び、この幸せの為に明日も頑張ろう……そんな気にさえさせてくれた。


「はぁ〜、毎日生きてる俺は偉いな」


 俺は感情販売機の横で呟き幸福の笑みを零す。やはり『コレ』より素晴らしい物は何処の世界を彷徨い歩いたとしても見つけられることは無いだろう。あまりの幸せに徐々に熱くなる体を手をパタパタと煽って帰路につく。 


「うおっと…………」


 その道中、ぶつかってきたのは新社会人であろう、スーツの若い男であった。


「おい、なんだお前は!」

「はぁ…………?」


 俺が過ぎ去ろうとする男に怒鳴り声を浴びせると、若い男はきょとんとした顔でシラを切る。


「何でぶつかってきたのに一言謝罪すらしないんだ!」

「はぁ……ぶつかってきたのは貴方ですよ」

「何を言っているんだ!」

「…………チッ、飲み過ぎだろジジイ」


 若い男は何かをボソリと呟いて逃げるように歩いていった。


「ふん! これだから最近の若い男は 」


 俺は家の玄関を開け、スーツを脱いでそのままベッドに着く。


 明日も仕事だ。

 頑張るしかないのだ。

 俺はそうして眠りについた。


 スマートフォンのアラームで起きたのはAM7:30。

 いつも通り健康的な朝だった。私はテレビを付けて新聞を見ながら朝食のトーストを一枚齧る。 朝の食事というのは全く味気が無い。


『春になるとこういう事件が多いですね……』


 私の耳に届いたニュースキャスターのその言葉に軽く目を向けると、その内容は不審な人物が若い女に声を掛け喧嘩となりそのまま殺害してしまうというものであった。


「感情に身を任せる人間は愚かだ」


 私はポツリと呟きテレビを消して皿をキッチンに投げ込むように置いて家を出る。時刻はAM8:30、一寸の狂いもない完璧な時間だ。そして私はいつものように仕事をこなして業務を終える。


 そして時刻PM8:30、少し残業があって1時間ほど遅れてしまったが、


「まぁ誤差だろう」


 私はそう呟いて会社を退社する。もう空は暗く、地面は人工の明かりに照らされている。辺りには沢山の娯楽の店が立ち並ぶが、私には関係の無い所だ。


 私に娯楽など必要ない。

 だがそれらの娯楽施設で楽しむ人間たちを見ていると――――。


 今日は幸せが足りない。

 私はそう思った。


 毎日同じ時刻に起床し、同じ時刻に出勤し、同じ時刻にほとんど同じ内容の仕事をして、同じ時刻に退勤して、同じ時刻に就寝するのだ。


 そんな私に幸せが足りているはずがない。

 だから今日も私は幸せを買うことにした。


「はは」


俺は今日も幸せだ。

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感情販売機 Ai_ne @Ai_ne17

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