第9話 ダンボール10箱との闘い

ガス屋が帰り、僕等は再び酒を飲みながら宅急便を待つ。

僕がチビチビとオリオンを啜っていると「お腹空いたね」と嫁が言う。

朝から何も食べていない事を僕は思い出す。

さっきスーパーへ買い物に行ったときに何か買ってくれば良かったと思いながら、僕は何処に食べに行きたいか嫁に聞いてみる。

嫁も僕と同じく携帯で検索をする。「ここ美味しそう」等と色々話すが僕と同じで場所が分からない。まだ沖縄の地域に慣れていない僕等は飲食店の地域に「古波蔵」と書いてあっても「古波蔵」が何処の場所なのかが分からない。Googleマップで探せば分かるとは思うが、初日からそんなに飲食店を探して町内をグルグル周るほど僕等は野暮じゃない。

結局、僕等はタクシーの道のりにあった近所の飲食店へ歩いて行くことにする。


僕等はビールを飲み終えると、沖縄でやりたい事やどういう生活がしたいかを色々話しあう。

沖縄に移住することが決まってから何回も話しあったことだけれど、やっぱりこういう話は未来があって楽しいと僕は思う。

僕はあまり個人的な理想や希望が沸かない性格だが、嫁は次々に色々な生活について理想を考えついては僕に楽しそうに話す。

「毎朝、海で泳いで砂浜で少しランニングしてから仕事へ行く様な生活がしたい」

「仕事帰りに夕陽を見ながらビールを飲んで一日の出来事を話し合いたいの」

「休日の朝は海岸を散歩して、ビーチでのんびりブランチをしたい」などなど

引っ越した先が沖縄なので、やはり海に関することが大体多い。僕も嫁も海は大好きだし、元々沖縄に移住して来た理由の中にも海がメインの一つであると言える。 何といっても沖縄に移住して来て海と関わらない生活はもったいな過ぎる。

僕はうなずいたり相槌を討ちながら嫁の話を聞く。話を聞きながら嫁のこの感覚が日常生活の中にスッポリと収まってしまわない事を少し願う。

嫁の希望をかなえてあげたいと思ったし、そんな生活が出来たらきっと二人で楽しい生活が出来るだろうと僕は思っている。

しかし、そんな憧れの日々が日常生活の一コマに陥ってしまうとき、感動やときめきは無くなり退屈な日常が日々に訪れる。

目が覚めた朝に新鮮な空気を吸っていたい。TVドラマと違いドラマティックな出来事は日常生活にはほとんど無い。

日々の生活の小さな部分に新しい感覚を当てて行き、平凡に陥りそうな日々を輝く明日へと進めていく。


”小さな僕等の大きな毎日”


僕等の沖縄希望話が一段落着いたところでマンションのインターホンが鳴る。

僕が部屋のモニターを見ると鼻の穴が見えそうなほどドアップな宅急便のオジサンの顔がモニターに写っている。

返事をして僕はオートロックの鍵を開ける。

少しすると部屋のチャイムが鳴り僕は玄関の外に出る。

気の良さそうな赤と緑の制服を着た年配のオジサンが立っていて、明るい声で会社名を僕に言う。

「今からお荷物持ってきますね。ちょっと量が多くて重いんで何回か運ぶことになると思いますけどよろしくお願いします」

そう言い終えると宅急便のオジサンは速足で階段を駆け降りる。

僕等の部屋はエレベーターの無いマンションの3階。

沖縄の買い物事情が全く分からなかった僕等は家具付きの部屋を今回は新居に選んだ。

それでも僕等の荷物はダンボール10箱。それも詰めに詰めたダンボールなので1個々が相当重いと思う。

僕は玄関のドアを開けオジサンから荷物を受け取ろうと待つ。

しばらくすると下の階から荒い鼻息と気合いを込めた呼吸音が聞こえてきて、宅急便のオジサンが1箱ダンボールを運んでくる。

ダンボールを肩に担ぎ足元が少しおぼつかない様子に見える。

僕の前までダンボールを運んでくると、重量挙げの選手がバーベルを下ろす時の様なうめき声を上げてダンボールを床に下ろす。

1箱でも相当重いのか、呼吸は荒く顔が歪み額には大粒の汗が光っている。

「大丈夫ですか?」僕は聞く。

「大丈夫ですよ、少しばかり重いんで少し時間かかりますけどすいませんね」

肩で息をしながら声にならない声でオジサンは答えるとまた下へ降りていく。

2箱目を運んでくるオジサンは顔を真っ赤にしながら頬を膨らまし、ズボンの中に締まっていたポロシャツははだけてポロシャツを破かんかと言うほどに腕が膨張している。

僕の前にダンボールを下ろすと膝に手を付き下を向いてオジサンは呼吸を整える。

汗が床に滴り落ち、オジサンの荒い呼吸音と外で降り続ける雨音の残響がマンションの廊下に響く。しばらく下を向いて膝に手を置いたまま動かないオジサンの浮いては沈む背中を見ながら僕はこれは無理だなと思う。

遠い地へやってきて目の前で名前も知らぬオジサンが疲れ果てている姿を見るのは何となくいたたまれない。

オジサンが3度下の階へ降りていく。僕は汗で濡れたオジサンの背中姿を見ながら「手伝うぞ!」と嫁に言うと1階へ降りていく。

降りてきた僕にビックリしたような顔のオジサンに「エントランスまで荷物運んでもらえますか?」と僕は言う。

僕の言葉に少し安堵したようなオジサンは心持ビシッとした感じになると、ダンボールを取りに車へ向かう。エントランスで僕はオジサンからダンボールを受け取る。持ち上げるダンボールは単純に重い。腰に力を入れ階段に躓かないよう足元を見ながらゆっくりと僕は3階の家の玄関までダンボールを運ぶ。中で雑品が動くようなガシャガシャと言う音が聞こえる。

嫁は玄関で僕がダンボールを運んでくるのを待っている。僕が一息付きながら玄関にダンボールを下ろすと嫁が部屋の奥にダンボールを引きずり込む。

僕は再び下の階へと降りる。エントランスではオジサンがダンボールを運び込んでいる。

「結構重いですね」僕は額の汗を吹きながらオジサンへ言う。

「そうですね。しかしよくこんなに荷物詰めましたね」オジサンは余裕が出てきたのか笑顔を見せる。

僕も笑顔を見せ、お互いまた荷物運びに入る。

お互いがお互いに共通の事項や時間を共有する。効率は悪く無駄な労力に終わる事も多い。だけれど立場や役割が違えどその間には見えない細い糸での繋がりが確実に生まれる。


僕が10個目のダンボールを部屋に運び終えると「終わったぁ~」と言う3人の声がマンションに響く。3人とも海で泳いできた後のように汗を滴り流し汗だくでいる。

オジサンは背中で呼吸をし膝を左手で支えながら胸のポケットから伝票を取り出す。

伝票は汗でグシャグシャになっている。僕は床にしゃがみ込んだまま伝票を受け取り嫁に渡す。伝票にサインをする嫁の化粧が汗で少し剥げている。

嫁がオジサンに伝票を渡すと「ありがとうございました!!」とオジサンは息も落ち着かいまま声を張り上げて僕等に礼を言う。

「こちらこそありがとうございました」

僕は立ち上がり僕等も頭を下げる。

床には3人の汗の染みが広がっている。

体を起こしたオジサンは時計を見るとヤバっとした顔をして僕等にもう一度頭を下げるとクールダウンする様にゆっくり階段を降りていく。

「疲れたな」僕等は玄関のドアを閉め部屋へ入る。

嫁はタオルで汗を拭き、僕はベランダへ出てタバコを一服する。外に流れる激しい雨音の中に疲れを溜め込んだ宅急便の車が走り去る音が聞こえる。


久々の肉体労働はこれから行く居酒屋でのビールの美味しさが倍になる楽しみを覚えさせ、明日の筋肉痛が決定的である事をを僕に想像させる。

心地よい体の疲れを感じながら何か静かな音楽が聞きたいと思う。

僕は部屋に入り”イパネマの娘”をかける。

名前も知らない女性ボーカルと静かなサックスの音が、高ぶっている僕の神経を落ち着けさせてくれる。

あの宅急便のオジサンは、もう次の家についてまた重い荷物を運んでいるのだろう。

この事があったからかどうかは不明だが、沖縄では僕等の苗字は珍しい苗字であり宅急便のオジサンにどうやら名前を覚えられたようだ。

そして、この宅急便の会社の宅配の人達は何故か皆僕等にいつも愛想よくしてくれる。

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