第109話「許婚ってどういうことですか?」

「その、二年前はすみません。八つ当たりであなたを傷付けてしまって」


 俺は疑問を抱きながらも、今まで言えなかった言葉を彼女に伝える。

 ずっと言えなかったはずなのに、今すんなりと言えたのは俺の中で何かが変わったのかもしれない。

 そんなふうに思っていると、電話越しから優しい笑い声が聞こえてきた。


《ふふ……まだ気にしていたのですね。大丈夫ですよ、私は気にしていませんから》


 気にしていない。

 そう言われて少しホッとしてしまう。


 ――だけど、俺が八つ当たりした直後の彼女の表情は今でも覚えている。

 普段笑顔を絶やさなかった人が、血の気が引いたように青ざめて泣き崩れたのだから、どれだけ傷付けてしまったのかは馬鹿でもわかる。

 気にしていないなんていうのは、俺が気にしないようにするための嘘だ。


「誤魔化さず、本当のことを言ってくれたほうが有り難いです。本音でぶつかって、俺はもう一度あなたとやり直したい」


 俺がそう言うと、傍で見つめてきていたシャーロットさんの表情が強張る。

 だから俺は慌てて首を左右に振り、花音さんからの返事を待つ間シャーロットさんの頭を撫でて誤解だということを伝えた。


《明人はもう少し言動に気を付けたほうがいいと思いますよ?》


 どうやら、こちらの状況は見えなくても花音さんにはわかるようだ。

 結構冷たい声で怒られてしまった。


「すみません……」

《まぁいいでしょう。お話を戻しますが、本音を言えば確かに私は傷つきました》


 苦言はここまでにしてくれたようで、俺はホッと安堵の息を吐く。

 そして、花音さんの心から逃げず向き合う決意を固めた。


「はい、わかっています」

《ですが、あなたが思っているほどではありませんよ》


「え?」

《いえ、少し違いますね。私はあなたの言葉で傷付きはしましたが、それであなたを責めようと思ったことがないのです》

「それは……」


 花音さんがそういう人だからじゃないのか、という言葉を俺は飲みこんだ。

 人柄を決めつけたようなことを言われるのは花音さんは好きじゃない。


 ただ、この人は優しい人だから絶対に他人のせいにしないところがある。

 だから今回も俺を責めていないんじゃないかと思った。


《明人が私を傷つけたのは確かですが、その前に私があなたを傷つけてしまったんです。ですからあれは、当然の報いですよ》

「いや、そういう話では……。それに、花音さんが俺に何かしたというわけでもないですし……」

《うかれたせいでお父様の思惑を見抜けずにまんまと嵌められたのですから、同じですよ》


 うかれた……?

 どういうことだろう?


《ですから、私のほうこそごめんなさい。明人から大切なものを奪ってしまって》

「そ、そんな、謝らないでくださいよ! 俺が謝るために切り出した話なんですし!」

《ふふ、ではこの話はここまでにしましょう》


 あっ、やられた……。


 花音さんの笑い声を聞き、俺はまんまと花音さんに乗せられてしまったことに気が付く。

 これでもう俺から花音さんに謝ることはできなくなった。

 もしまだ話を続けて謝ろうとすれば、彼女もまた謝ろうとしてくるだろう。

 ここで終わらせなければイタチごっこになるぞ、と暗に言われているのだ。


「わかりました……。では、本題なのですが――」


 これ以上話を続けるのは不毛。

 そう判断した俺は、花音さんが怒っていないこともあって本題に入ることにした。

 しかし――。


《そのお話は、直接致しましょうか》


 花音さんの思ぬ一言で、切られてしまう。


「直接、ですか……?」

《大切なお話ですからね。私達の家に来て頂けますか?》

「えっ、今からですか?」

《それはお任せします。ただ、あなたを待ち焦がれている子もいますよ、とだけはお伝えしますね》


 待ち焦がれている子……?

 子供扱いしたということは、花音さんより年下だろうけど誰だろう?

 まさか、くだんの許婚、なのか……?


「やっぱりこの件、花音さんも関わっているんですか……?」

《さて、なんのことでしょうか? 私が今知りたいのは、明人がこちらに来るのかどうかです》

「……行きます」

《わかりました。あっ、そうですね――一人でこられるかどうかは、明人が判断してください》


 一人で来るかどうか――それは、シャーロットさんを連れて行くかどうか、ということだろう。

 また、意地の悪い言い方をしてきたものだ……。


 俺はシャーロットさんへと視線を移す。

 本当なら家のごたごたに彼女を巻き込みたくないし、許婚がいるかもしれないのであれば余計に彼女を連れて行きたくはない。

 いらない心配をかけたくないのだ。


 しかし――。


「シャーロットさん、一緒に来てくれるかな?」

「――っ!? は、はい……!」


 俺が誘うと、シャーロットさんは驚いたように目を開いた後、慌てて頷いた。

 もしかしなくても、置いて行かれると思っていたのだろう。

 今までの俺ならまず間違いなくそうしたしな。


 だけど、彼女がそれを望んでいないことを先程聞いた。

 だから、これからはもう自分一人で抱え込まずに、シャーロットさんと一緒に乗り越えていこうと思ったんだ。


「ありがとう、シャーロットさん」

「いえ、私のほうこそ……!」


 パァッと明るい表情になったシャーロットさんは、とてもご機嫌そうだ。

 これだけで俺は答えを間違っていないと自信を持って言える。


《決まったようですね、お待ちしておりますよ》

「はい、わかりました」

《それでは一度、シャーロットさんに変わって頂けますか?》


 どうやら電話を切る前にシャーロットさんに挨拶をしたいようだ。

 このスマホの持ち主はシャーロットさんのため、俺は特に気にせず彼女へと渡す。


 すると、花音さんに何かを言われたシャーロットさんは申し訳なさそうに俺から離れて花音さんと話し始めた。

 そして――その表情は、みるみるうちに暗くなる。


 いや、あの人何を言った……!?


「――あの、明人君……」


 シャーロットさんは電話を終えると、気落ちしたように声をかけてきた。


「い、いったい、何を言われたの……?」

「許婚って、どういうことですか……?」

「…………」


 俺は、シャーロットさんから言われた言葉に思わず黙り込んでしまう。


 そういうことですか、花音さん……。

 屋敷に着くまでに俺たちの中で話を付けろ、ってことですね……。

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