第94話「僕もそこまで最低じゃないさ」
「――悪いな、それでもやはり俺は戻れないよ」
やはり、明人君は誘いを断ってしまいました。
彼は自分の事になると意外と頑固な御方ですからね。
皆さんのために悪役を買われる事に関して私がお話させて頂いた時も、困ったように笑みを浮かべるだけで考えを改めてもらえる事はできませんでした。
彼はそういう意思がお固い御方なのです。
おそらく、彼の決意を変えるには彼が傷付く事になるようなやり方でないと納得されないのでしょう。
これが私たちのような他人の事になればあっさりと考えを改めて動いてくださいますのに、本当に困った御方です。
しかし――どうやら、今回に限っては私が思っていた理由とは違ったようでした。
「君はどれだけ過去に縛られれば――!」
「悪い、理玖……今回は違うよ」
「えっ……?」
明人君の回答を聞いてまた怒り始めた彼――理玖さんに対し、明人君は困ったような笑みを浮かべられました。
先程の力がない笑顔ではなく、少しだけ申し訳なさを滲ませながら頬を指でかいておられます。
そしてその瞳からは、なぜか強い意思が感じ取れました。
そのため、先程までの笑顔とは全く違う意味を持っている事がわかります。
「確かにお前の言う通り、サッカーをやめた今の状況はなんの償いにもなっていないのかもしれない」
「それがわかってるのなら、なぜ君はまだ同じ事を続けようとするんだ……?」
「何よりも優先しないといけない事が、今の俺にはあるからだよ」
そうおっしゃられた明人君の顔は、今までとは違い本当に優しい笑顔でした。
吹っ切れた、そういうふうに見えます。
「それはいったい……?」
「彼女の事だよ。今の俺にとっては、彼女が何よりも大切なんだ」
「「――っ!」」
その言葉を聞いた瞬間、私と理玖さんは思わず息を呑んでしまいます。
そして私は、先程までよりも前のめりになって明人君の言葉に耳を傾けました。
「サッカーをやるとなると、今以上に彼女に時間を割けなくなる。それどころか、下手をすると会う事さえままならなくなるはずだ。理玖が提案しようとしている事はそういう事だろ?」
明人君は優しい笑みを浮かべたまま理玖さんにお尋ねされます。
その質問に対して理玖さんはバツが悪そうに目を逸らしてしまわれました。
「あぁ……まぁ、そうなるかもしれないね。僕が君に紹介できるチームは広島のユースチームだ。僕自身が監督たちと面識がある事と、今僕が所属しているチームの監督が君の事を高く評価しているからね。君が感覚を取り戻して結果を出しさえすれば、すぐにでも僕と同じチームでやれるはずだ」
理玖さんと同じチームという事は、つまりプロになれるという事なのでしょう。
普通ならそう簡単に話は進まないはずですが、明人君が持つ過去の実績と、現在プロチームの監督さんが明人君を高く評価している、というのが関わるのでしょうか。
明人君が広島に……私としては、彼が望まれるのであれば例え離れ離れになろうと応援したいです。
新幹線に乗れば毎日会える範囲ではございますので、深刻なほどに問題というわけではございません。
ただ……朝から晩まで一緒にいる事は不可能になります。
……明人君、卒業まで待ってくれませんでしょうか……。
そうすれば、私も一緒に付いて行く事ができますのに。
――そんなよくない事を考えてしまう私ですが、心の中では明人君がプロの道を選ぶつもりがなさそうなので安堵しておりました。
私の事が何よりも大切と言って頂けて、お胸がとても熱くなっております。
「正直、今俺が置かれてる状況としては将来に繋がるこの誘いは凄く有り難い」
明人君は、今度は困ったような笑みを浮かべてそうおっしゃられました。
やはり、彼は今何か困った状況にあるようです。
いったい何を抱えていらっしゃるのか、私はまた気になる事が増えてしまいました。
「だけどな、あの子と離れる事になるのなら俺はその道を選べない」
「君、本当にどうしたんだ? 完全に彼女の事で頭がいっぱいになってるじゃないか」
「そんなにおかしい事か?」
「いや、どうだろう……僕彼女が出来た事ないし……。ただ、普通プロになれる可能性があるのに、彼女と一緒にいたいからって断る人間はほとんどいないと思うんだけど……」
プロへの道よりも私を選んでくださった明人君に対し、理玖さんは凄く戸惑った表情で首を傾げます。
明人君の答えがよほど意外だったようです。
「……まぁ、それだけ彼女の事が好きだって事だよ」
そして、明人君は少し照れたように首に右手を回し、顔を逸らしながらそうおっしゃられました。
その姿を見た私といえば、明人君のかわいさと、言われた言葉の嬉しさに悶えるのを必死に我慢していました。
この空間にいるのが私一人でだけであれば本当に悶えまくっていたと思います。
明人君、相変わらず不意打ちはずるいのです……。
「だけど、そうなると君は償いを放棄するっていうのかい?」
「いや、償いは別の形でするよ。ただ、彼女と離れる道は選べない。例えそれでどれだけの人から非難されようと、今の俺にとっては彼女が一番優先なんだ」
「いったいこの二年間に何があったんだ? 君はそんな事を言う奴でも、考える奴でもなかっただろ?」
「変わったとするならこの二年間というよりも、ここ数日――だな。詳しくは言えないけど」
「…………」
ここ数日……私と、お付き合いしてくださるようになったからでしょうか?
私が彼に何かをしてあげられた事はないと思いますが……。
「最低だと罵ってくれてかまわないぞ?」
「…………」
理玖さんは明人君の事を黙って見つめるだけで何もおっしゃいません。
そのため、明人君も黙ってしまい彼の言葉を待つ事にしたようです。
そして――。
「――ぷっ……」
「理玖……?」
「ぷはは! あははは!」
「お、おい、どうしたんだ? 頭おかしくなったのか?」
理玖さんはなぜか急に笑い出し、それを見た明人君が心配そうに声をかけられました。
明人君、友達を心配する言葉にしては酷すぎると思うのです。
そうお伝えしたくなりましたが、私も彼が急に笑い始めた事に対しては戸惑いしかありませんでした。
「いや、ね……まさかあの明人がこんな恋愛馬鹿になるとは思わなかったからさ、思わず笑ってしまったんだよ」
「……俺、お前の事本当に嫌いだ」
笑われた事が気に障ったようで、明人君はしかめっ面をしながら彼の事を嫌いと言ってしまわれました。
薄々と感じていましたが、明人君と理玖さんは相性が悪いみたいです。
……残念ですね。
「いやいや、待ってよ。こっちは真剣に君をチームに誘ってるのに、彼女と一緒にいたいからって断られたほうの身にもなってくれよ」
「だからって笑うなよ……」
「ごめんごめん」
呆れるような怒り方をしている明人君に対し、理玖さんは吹っ切れたような笑顔で謝られました。
全然悪いとは思っていないようですね。
ですが、吹っ切れた事はよかったのでしょう。
理玖さんは晴れ晴れとした笑顔で明人君の顔を見られます。
「いや、うん。そっか、それなら仕方がないね」
「いいのか……?」
「なんでそんな疑うような目をするんだよ。意思を固めた君に何を言っても無駄だってわかってるんだ、もう余計な事を言う気はないさ。それに、どうやら君はとっくに前を向いていたらしい。だから僕から言う事はもう何もないよ」
つまり、彼の本当の目的は明人君に文句を言う事や勧誘ではなかった、という事のようですね。
やはり見た目通りお優しい御方のようでした。
「もしかして、俺が過去を引きずっていたからお前は無理矢理……?」
「そうだね、僕が憧れた男がいつまでもウジウジしてるみたいだからどうにかしてやろうって思ったんだよ。どうやら余計なお世話だったみたいだけどね」
「……その割には、随分と気持ちがこもっていたような……?」
そうですね、私も明人君に同感です。
明人君を立ち直させるための演技にしては迫真すぎた気がします。
おそらく、あれは演技ではなかったのでしょう。
「当たり前だよ、あれも全部本心だしね。だけど、君をどうにかしたかった、それが全ての根幹だよ」
「つまり、納得してくれたと思っていいんだな……?」
「あぁ、納得したよ。まぁ君をチームに戻せなかった事は残念だし、君の力が必要だった事も本当だけど――人の恋路を邪魔するほど、僕も最低じゃないさ」
そうおっしゃる理玖さんの表情は、どこか寂しそうでした。
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