第82話「作られた道」

「縁談、だと……?」


 言われた言葉が予想外過ぎた俺は、思わずその言葉を口にしてしまう。


「はい、お相手は姫柊財閥の取引先で、明人様と同い年のご令嬢です」

「正気ですか? 彼女がいる俺がそんな話を許すとでも?」

「ふふ、あなたに選択権などあるとお思いですか? これは旦那様の指示ですよ?」


 有紗さんはそう言いながら手を俺の頬から滑らせて今度は首元に当ててきた。

 首を絞める、というわけではなく、まるで脈を図っているかのような位置だ。


「確かに、姫柊家の一員なら主の意向は絶対。しかし、俺はまだ完全には姫柊家の一員ではない、そうですよね?」


 俺の親権を姫柊家が持っているとはいえ、俺は姫柊家の一員として認められているわけではない。

 だからこそ有紗さんも自分が仕えている家の人間のはずなのに、俺にこれほど嫌な事をする事ができるのだ。


「まさか、辞退されるおつもりで?」

「はい、こんな馬鹿げた事にはもう付き合いきれません。彼女を失うくらいなら、俺は姫柊家の一員になれなくて問題ないです」

「愚かな……一時の感情に任せて、裕福で栄えある未来を捨てる、と?」


「彼女に対する気持ちは一時の感情ではないです。例えどれだけ裕福な暮らしが今後待っていようと、あの子を失うのであれば俺は絶対に後悔します」


「……なるほど、意思は固いようですね。全く、何処までも救いようのない人間ですね、あなたは」


 まるで呆れたというかのように有紗さんは溜息を吐く。

 実際に呆れているのだろう。


「好きに罵ってください。ですが、俺は絶対にその縁談は受けません。姫柊社長にもそう伝えてください」

「わかりました」


 有紗さんのその言葉と共に手が首元から離される。

 しかし――。 


「という事は、あなたはまたお嬢様をお傷つけになられるのですね?」

「――っ!」


 彼女は諦めた、と思った瞬間、とても冷たい声が俺の胸を貫いた。


 全身から殺気とも呼べるような負のオーラを放ちながら有紗さんは俺の顔を睨んでくる。

 人一人くらいなら殺っていそうな顔だ。


「あなたのために幼い頃から尽くしてき、あなたに傷つけられてもなおあなたの事を大切に想っているお嬢様を、またあなたはお傷つけになるのですね? しかも今度は、裏切りという形で」

「それは……」


 痛い所を突かれた俺は、うまく言葉が出てこない。


 裏切り、といえば裏切りになってしまうのだろう。

 俺を姫柊家に入れようと手を回してくれたのは、有紗さんが言うそのお嬢様だ。

 彼女は憧れだったお姉さんと入れ替わるようにして俺の前に現れた。

 そして、俺の事を急に弟にするとか意味わからない事を言い出したかと思ったら、本当に弟のように色々と面倒を見てくれたのだ。


 俺はそんな人を過去に酷く傷つけてしまった。

 全てお前のせいだ、と八つ当たりでしかない酷い事を言ってしまったのだ。

 それなのにあの人は俺に対して謝るだけで、俺に対して文句は一切言わなかった。

 本当に優しくていい人で、多分シャーロットさんに勝るとも劣らないくらいの善人だろう。


 そんな人を傷付けてしまった俺は、今でもその時の償いが出来ていない。

 それなのにまた傷付けるなんてそんな事許されるはずがなかった。


「…………それと、この縁談は相手側から持ちかけられた物です」


 有紗さんは少しだけ俺の顔をジッと見つめてきた後、なぜか表情を笑顔に戻し優しい声で予想外の事を言ってきた。

 俺は先程の会話からあの人の顔が脳裏にチラつきながらも、有紗さんの言葉に反応する。


「えっ……? しかし、それは……」

「はい、なぜ公開をしていないあなたの存在を相手方が知っていたのか、という疑問が出てきます。しかし、実を言いますと相手は姫柊財閥よりも格上なので、何かしらの情報を手に入れるのは難しくなかったのかもしれません」


 だから姫柊財閥が隠している俺の事を知る事ができた?

 そんな事ありえないと思うが……。


 いや、そもそも――。


「姫柊財閥よりも格上って……そんなの日本ではほんの一握りに限られていますよね? なんでそんなところから縁談が……」

「狙いは吸収かもしれません。ですので、話自体は結構前から持ちかけられていたのですが、旦那様も慎重になられて中々首を縦にお振りにならなかったのです。しかし、おそらく本日で話はまとまります」


 この人が言い切ったという事は、本当にまとまるのだろう。

 性格にかなりの難がある人だが、それを差し引いてあまりあるほどに優秀な人だ。

 この辺の嗅覚は優秀な経営者たちよりも優れていると聞いた事がある。


 そしておそらく、その確証に至る何かを知っているのだろう。


「吸収ではなく、お互いのための政略結婚だという裏が取れましたか?」

「まぁ、そんなところですね」

「だけど、どうして俺なんかが……血縁ではないのだから、普通は避けるはずでしょ……?」


 血縁でなければ容赦なく捨てられるし、言い方は悪いが人質にもならない。

 あっさり裏切られる可能性を有するというのにどうしてわざわざ俺を指名してきたのか。


「それは、相手方の子供が二人とも女性だからです」


 なるほど、それは確かに女性であるあの人・・・ではなく、俺が選ばれるわけだ。

 しかし、そうまでして姫柊家と政略結婚をしたいのか?

 金持ちの世界は全く知らないからその辺の事情がどうも疎い。


 ただ、一つだけわかる事もある。


「つまり、俺しか受ける相手はおらず、それを断るという事は両家から目をつけられるわけですか……」

「さすがのあなたでもこの辺は理解できますか。おそらくですが、この話を破談にしようものならあなたの未来を潰しにかかるでしょうね。少なくとも、旦那様は」

「……あの男ならやりかねませんね」


 姫柊家の現当主、姫柊社長は非常に姑息な男だ。

 正義なんて言葉は笑い飛ばし、自身の利益になる事であれば法律スレスレの事だって平気でやる。


 この男の手によって、中学時代に俺の人生は壊された。

 だから今回も相手がそれほど大きなところであれば、破談にした事を絶対に根に持って俺に絶望を味あわせにくるだろうな。


「そういう事です。そして、実はもう一つ情報があります」

「……聞きたくないですが、聞きます」


「はい、聞いておかれたほうがよろしいかと。明人様の彼女であられるシャーロット・ベネットさんですが、彼女のお母様は今海外の会社から日本の支部に派遣され、最高責任者という立場におられます。そして、その会社が抱えるプロジェクトの取引先が、姫柊財閥が経営する会社の一つとなります。おそらくプロジェクトの規模的にこのプロジェクトが潰れてしまうと多大な損害が出てしまい、責任を取らないといけない状況になられるかと」


「……どこまで汚いんだよ、お前らは……」


 俺は思わず悪態をついてしまう。


 つまり、この話を蹴れば俺だけでなくシャーロットさんの家族にまで手を出すというわけだ。

 多大な損害が出るのであれば普通はやらないと思うが、あの男なら自分たちだけには損がないように持っていってからあっさりと手の平返しをするだろう。


 俺にとって何が一番効くかをわかった上で手を回している。

 本当に、こいつらは俺からどれだけの物を奪えば気が済むんだ。


「一応まだ時間はありますので、どちらの道をお選びになるのかよく考えておいてください。今日はそれをお伝えに参りました」


 有紗さんは本当にその用事で来たようで、その後はさっさと部屋を出ていってしまった。

 彼女が部屋から出ていった事を確認した俺は、壁に持たれてズルズルと体勢を崩す。


「なんで、こんな事になるんだよ……」


 誰に話すわけでもなく、思わず出てしまった独り言。

 シャーロットさんと結ばれたばかりだというのにこんなのありかと大声で文句を言いたい。


 どちらの道を選ぶかなんて、そんなの決まってるじゃないか。

 俺のせいであの子を不幸にする事なんて絶対にできない。

 それだけはなんとしても避けないといけない事なんだ。


 ただ、一つ幸いだったのは俺とシャーロットさんの関係をまだみんなに打ち明ける前だったという事。

 俺とシャーロットさんが付き合い始めたという事を知るのは、俺たちのみ。

 これなら彼女の交友関係などにほぼ影響を与えずにやり直せるだろう。


『――ごめん、今日は遊べなくなった。本当にごめん』


 俺はシャーロットさんにそれだけ送り、なんだか全身の力が抜けて立つ事が出来なくなってしまった。

 そして、徹夜をしていたせいか――それとも、気を張っていたのが影響したのかはわからないが、急激な眠気に襲われてしまう。


 もう動きたくなかった俺は、そのまま玄関の前で眠りについてしまうのだった。

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