第81話「いい御話」

「――どうぞ……」

「これはこれは、わざわざありがとうございます」


 部屋にあげてお茶を出すと、有紗さんは笑顔でお礼を言ってきた。

 何を考えているのかわからない、貼り付けられた仮面のような笑顔が怖い。


「そんなに警戒しないでください。一応、幼馴染みでしょう?」


 態度から俺が警戒している事を察したらしく、有紗さんは悲しそうな笑みを浮かべて言ってきた。


 ……無茶を言うな。

 あんたは警戒しないといけない人間トップ3に入るんだよ……。


 俺は口には出さず心の中でだけそう呟く。


 この表情だって作り物で、心の中では百パーセント悲しんでなどいない。

 この人は美人で一見優しそうに見えるけれど、実際は超がつくほどの腹黒だからな。

 それなのに警戒をするなというほうが無茶な話だろう。


 先程もお茶を用意しようとする俺に対して自分がやると言い出したのだが、この人に任せると何を入れられるかわかったものじゃないから断ったくらいだ。

 事情によっては平気で睡眠薬を盛ってくることもありえる。


 ……いや、実際に過去何度か盛られたことがあるしな。


「どうしてあなたがここに? 高校三年間は、あなた方は俺に関わらないのではなかったのですか?」


 俺は警戒心を解かず、あえて有紗さんの言葉を無視して気になる事を尋ねる。

 すると――。


「あら、わたくしの言葉は無視ですか。たった二年ほど会わない間に随分と生意気――いえ、たくましくなられたのですね。しかしこれは、少々躾――いえ、教育の仕直しが必要でしょうか?」


 クスッと笑った後、何も知らない人からはとても素敵に見える笑顔で有紗さんは微笑んだ。

 だけど開かれた目は笑っていない。

 それだけでこの人の腹黒さはわかるだろう。


 何より、わざと言い間違えて相手の恐怖を煽るところなんて相変わらずのいやらしさだ。


「…………」

「あらあら、私の事を睨むのですか。本当にたくましくなられたようで――お嬢様・・・と一緒に弟のように可愛がってきました私としては、嬉しい限りですね」


 可愛がられた意味としてはそのお嬢様とこの人では全然違うのだが、あえてツッコまないでおこう。

 今も目が笑っていない笑顔を俺に向けてきているし、気を抜いたらそのまま空気を支配されかねない。


「それで、どうしてここに?」


 俺は有紗さんの戯言とは取り合わず、もう一度同じ質問をする。

 この人相手には取り合わない事が肝心。

 それを長い付き合いの俺は知っている。


「ふふ、事情がお変わりになった、とだけ先に申し上げさせて頂きます」

「事情……?」


 なんだろう、凄く嫌な予感がする。

 何より、この人の現れたタイミングが無視できない。


「それよりも、随分とかわいらしい彼女さんですね?」

「…………」


 やはり、俺とシャーロットさんが付き合い始めた事も把握済みか。

 彼女が帰ってすぐに現れたのも意図的にタイミングを狙ったのだと思ったほうがいい。

 おそらく、俺の動揺を誘う狙いなのだろう。


「折角ですからお話させて頂きましょうか?」

「彼女に手を出すのであれば、いくらあなたでも許しませんよ?」


 俺はジッと有紗さんを睨む。

 こちらのゴタゴタにシャーロットさんを巻き込むわけにはいかない。

 少なくともこの人が関わろうとするのであれば、俺はそれを全力で阻止する。


 まぁしかし――。


「ふふ、何を勘違いされているのかはわかりませんが、私はただお話をしたいだけですよ? まぁですが、明人様がそうおっしゃるのならやめておきましょう」


 有紗さんは俺の言葉を聞いてニコッと笑みを浮かべた。

 元から話しかけるつもりはなかったくせによく言うものだ。


 この人はいつもこうで、相手の神経を逆撫でする事をわざと言うだけで行動に移す事はそう多くない。

 むしろ、必要がなければ行動を起こさない人と言ってもいいだろう。

 逆に言えば、この人が行動をしているという事は必要な事であり、避けられないという事なのだが。


 まぁ少なくとも、今この人がシャーロットさんに関わりに行く事はないと安心できる。


 ただ、先程の発言で俺は有紗さんの機嫌を損ねてしまったのだろう。

 彼女はゆっくりと立ち上がって俺の耳元に顔を寄せてきた。

 そして、ソッと左手で俺の右頬を撫でてくる。


「ただ――何も力を持たない人間が、強い言葉を使う事はおすすめしませんね。駄犬が吠えているようにしか聞こえませんよ?」


 それは、顔に似合わずとても冷たい声。

 この人は俺の事を《明人様》と呼んだり話す際に丁寧な言葉遣いをしたりはするが、その実俺の事をかなり見下しているのだ。


「忘れていませんよね、あなたの立場。彼女を作るなど許されると思っているのですか?」


 もう有紗さんは猫を被っていない。

 俺の頬から顎にかけて手を滑らせながらとても冷たい目で至近距離から俺の目を見つめてきている。


「別に、作ったら駄目だという縛り・・はなかったはずですが?」

「えぇ、そうですね。高校の三年間は好きにしていい、それが旦那様の言いつけです」

「では、なぜ俺は今責められているのですか?」


「ふふ、本当はわかっているのでしょう? 多くの人間を不幸にしたあなたが、自分一人幸せになる事を許されると思っていらっしゃるのですか?」

「…………」


 有紗さんの言葉に俺は思わず口を閉ざす。

 すると彼女はとても満足そうに頬を緩ませた。

 先程とは違い、心から喜んでいる本当の笑顔だ。


「何やら自己犠牲の精神で周りを幸せにしようとしているようですが、あなたがこれからどれだけ周りに尽くそうと、過去におこなった過ちは決して消え去らない」

「しかし、あれは――」


「そう、あなたのせいではないです。ですが、あなたという存在が周りを不幸にした。あなたが選ぶ道を誤ってしまったからこそ、更に周りを不幸にした。そしてあなたは、最後に矛を向ける相手を間違えてしまい、あなたを守っていた方さえも不幸にしてしまった。私のお話している事、何か間違っておりますでしょうか?」

「…………」


 間違って、いない……。

 俺がいなければあんな事・・・・は起きなかったし、俺が皆と向き合う事を恐れたから更に取り返しのつかない事が起きた。

 そして最後に俺は、当時一番大切だった人を傷つけてしまった。

 それらはどれだけ俺が言葉を紡ごうとも動かない事実だ。


「言い返す言葉もありませんか?」

「…………あなたは、だから俺の元に……? 彼女と別れろと言いに来たのですか……?」


 俺は全身から吹き出す汗を感じながら、乾いた喉からなんとか言葉を出す。

 しかし、そんな俺に対して彼女はなぜか微笑みかけてきた。


「いいえ、こんな事のためにわざわざ足を運ぶほど私も暇ではございませんので」

「では、何をしに来たのですか……?」

「ふふ、どうやらもう頭がきちんと回っていないようですね。最初に申し上げましたでしょう? いい御話を持ってきました、と」


 有紗さんはそう言ってまた俺の頬を撫で始める。

 撫でられるたびに悪寒が走るが、俺はグッと我慢をして口を開いた。


「あなたが来た時から何か厄介事を持ってきたとは思っていましたが、言うに事を欠いていい話ですか? そんなわけないでしょ、あなた方は俺を利用する道具としてしか見ていないんですから」

「いえいえ、そんな事はありませんよ。ちゃんといい御話です。なんせ――縁談を、持ってきたのですから」

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