第80話「最大の幸せと忍び寄る影」

『――ねこちゃん♪ ねこちゃん♪』


 寝起きに泣き喚いていたエマちゃんは、今俺の腕の中でとてもご機嫌となっている。

 理由は、ユーフォーキャッチャーで手にいれた猫のぬいぐるみをプレゼントしたからだ。

 シャルの狙い通りエマちゃんは凄く気に入ってくれて、俺に背中を預けながらずっとぬいぐるみで遊んでいる。

 ご機嫌なエマちゃんは本当にかわいくて見ているだけで頬が緩みそうになった。


 ――目の前の彼女がいなければ……。


 俺はチラッと視線を上げてみる。

 するとそこには、寂しそうに俺の顔を見つめるシャーロットさんがいた。

 

 いつもならエマちゃんの事を温かい笑みを浮かべながら見つめているのだが、多分付き合ったばかりだから甘えたいのだろう。

 俺だって出来れぱシャーロットさんとイチャつきたかったが、さすがに幼いエマちゃんを邪魔者扱い。

 でもだからといってシャーロットさんを放置していい理由にはならないので、凄い罪悪感が込み上げていた。


 エマちゃんは昨日の事を根に持っているようでシャーロットさんが近付いてくると怒るし、シャーロットさんはシャーロットさんで昨日の事を気にしてかエマちゃんに強く言えない様子。

 気を付けてあげないと、このままだとシャーロットさんがパンクしてしまいそうだ。


 うん、やっぱり早めに手を打っておいたほうがいいだろう。


『エマちゃん、公園に遊びに行こうか?』


 エマちゃんを退屈させない、尚且つシャーロットさんの相手も出来ると思い、俺は二人を公園に連れて行く事にした。

 周りの目は気になるところだが、もう付き合っている事をバラしてもいいのだから問題ないだろう。


『こうえん……! いく……!』


 エマちゃんも外で遊びたかったのか、とても嬉しそうに頷いてくれた。

 後はシャーロットさんだが――。


『私、お留守番していますね……』


 シャーロットさんは悲しそうな表情で視線を俺たちから逸らし、一人だけ残る事を選んだ。


 あぁ、そうなるのか。

 確かにエマちゃんがこの様子だと付いてくると言いづらいかもしれない。


 仕方ないな……そうなると少し強引だけど、ここでこちらの問題をどうにかしよう。


『エマちゃん、シャーロットさんも一緒に来ていいよね?』


 俺は優しく頭を撫でながら、なるべく優しい声を出してエマちゃんに同意を求める。

 この子がオーケーしてくれたらシャーロットさんはもう気にせずに済むはずだ。

 しかし――。


『やっ……!』


 エマちゃんは拒否してしまった。

 猫のぬいぐるみで上機嫌だったから少し期待したけれど、やはりそれとこれとは話が別らしい。


『うぅ……』


 その様子を見てシャーロットさんは若干涙を浮かべる。

 昨日大分甘やかしてあげたのだけど、それで傷が癒えるかというと違うらしい。

 エマちゃんに嫌がられているこの状況はかなり辛そうだ。


『ね、エマちゃん。そういう仲間外れはよくないよ?』

『ロッティーがやった……!』


 俺の言葉を聞いたエマちゃんは頬を膨らませながらシャーロットさんを指差す。


 どうやら、シャーロットさんに仲間外れにされたから自分も仕返しでしているつもりらしい。

 やられたらやり返せの精神は個人的には嫌いじゃないけれど、それが正しいとは思わない。

 そんな事をしていれば溝が深まるばかりで何も解決しないからな。


『ごめんね、昨日遊びに連れて行けなくて。でもね、エマちゃんにいじわるをしたくてそうしたわけじゃないんだよ?』

『むぅ……!』


 どうやら俺の言葉は気に入らなかったようで、エマちゃんは頬を膨らませたまま俺の手をペチペチと叩いてきた。

 本気で叩いてはいないけれど、これは抗議のつもりらしい。

 俺はそんなかわいい幼女の頭を優しく撫でながら笑顔を返す。


『シャーロットさんもいつもエマちゃんと一緒にいるわけにはいかないんだよ。わかってくれないかな?』


 きっと、普通の幼い子にならこんなことを言っても通じないだろう。

 だけどエマちゃんはこう見えてとても賢い。

 そして、本当は優しくていい子だ。

 だから俺はあえてこの言い方をした。


『…………』


 俺の言葉を聞いたエマちゃんは黙りこんでジッと俺の顔を見つめてくる。

 その視線から俺のことを観察しているのがわかった。


『それにこの猫ちゃん、シャーロットさんが選んでくれたんだよ?』

『ロッティーが……?』

『そうだよ、エマちゃんはこの子がいいんじゃないかなってね』

『…………』


 エマちゃんは視線を猫のぬいぐるみへと向ける。

 そしてぬいぐるみと少しだけ見つめ合った後は、今度はシャーロットさんの顔を見つめ始めた。

 やがて、俺の膝の上から降りてテクテクとシャーロットさんに向かって歩いて行く。


『エマ……?』

『んっ』


 シャーロットさんの前にまで行ったエマちゃんはそのまま頭を差し出した。

 多分これは――。


『撫でていいの?』

『んっ』

『ありがとう……』


 エマちゃんの許しを得たシャーロットさんは頭を優しく――大切なものを扱うかのように丁寧に撫で始める。

 そうすると、エマちゃんは体の向きを変えてペタンッとシャーロットさんのふとももの上へと座ってしまった。

 そしてそのまま体重をシャーロットさんへとかける。


『エマ……』


 シャーロットさんはエマちゃんのことを見つめながら少しだけ涙を流した。

 安心して出た涙なのか、それともエマちゃんの行動に対する感動の涙なのかはわからない。

 一つわかるのは、先程まで彼女が浮かべていた涙とは別の意味を持つという事だろう。


 エマちゃんがシャーロットさんに頭を差し出したのは、頭を撫でれば昨日の事は水に流すという意味だった。

 ちゃんと仲直りの方法を知っているなんてエマちゃんはやっぱり賢い子だ。


 俺は胸に不思議な温かさを感じながら、目の前で幸せそうにエマちゃんを抱っこするシャーロットさんを眺めるのだった。



          ◆



「――それでは、準備ができましたら呼んでください」


 一旦俺がシャワーを浴びたりするということで、エマちゃんを抱っこしたシャーロットさんが俺の部屋から出て行こうとしていた。

 晴れやかな笑顔を見るに、もう心配する事はなさそうだ。


「うん、またすぐに連絡するよ」

「はい、お願い致します。この子、早く青柳君と遊びたくて仕方がないと思いますので」


 そう言うシャーロットさんは、腕の中で寝ているエマちゃんに視線を落とした。

 あの後エマちゃんはシャーロットさんに甘え始めたのだけど、睡眠が十分じゃなかったのか少ししてウトウトとし始めたのだ。

 そしてシャーロットさんと二人で黙って見守っていると、エマちゃんはそのまま眠ってしまった。

 だから今のうちに俺はシャワーを浴びたりする事にしたわけだ。


「じゃあ、また後でね」

「…………」

「シャーロットさん?」


 もうこのまま自分の部屋に戻ると思ったのに、なぜかシャーロットさんは動こうとしない。

 それどころか、顔赤く染めて潤んだ瞳でジッと俺の顔を見つめ始めた。


 まさか、これは――!


「えっと、後でまた二人の今後についてお話させて頂きたいです……。そ、その、恥ずかしいお話でもあるので、できれば二人きりの時に……」


 ……うん、そうだよな。

 何を期待しているんだ、俺は……。


「あ、青柳君……?」

「あっ、あぁ、ごめん。うん、そうだね。ちゃんと後でまた二人だけで話そう」


 馬鹿な期待をしてしまった自分に軽蔑しているとシャーロットさんが戸惑ってしまったので、俺は慌てて笑顔を作って取り繕った。


「ありがとうございます……! で、では、戻りますね」

「うん、また後で」


 今度こそ彼女は帰るだろう。

 そう思っていたら、なぜか彼女は足を止めてしまった。

 そして――。


「あの、大好きです、明人・・君……!」


 俺のほうを振り返ったと思ったら、顔を真っ赤に染めたはにかんだ笑顔でそう言ってきた。


「――っ!」

「そ、それではまた後で……!」


 そのままシャーロットさんは恥ずかしそうに部屋を出て行ってしまった。

 俺は自分の下の名前を呼ばれ、そして言われた言葉の衝撃からただ呆然と立ち尽くしてしまう。


 そしてやっと我に返ると、そのまま床へとへたり込んでしまった。


「そ、それは反則だよ、シャーロットさん……」


 頭に過るのは先程のシャーロットさんの顔と言葉。

 下手をすると数日は俺の頭から離れそうになかった。


「あぁ……どうしよう……俺、間違いなく今が人生で一番幸せな時だ……」


 かわいくて仕方がない彼女。


 一緒にいて幸せな彼女。


 これからもずっと一緒にいたいと思える彼女。


 そんな子に巡り会えた事に俺は感謝しかなかった。

 正直、今までの不幸を全て精算しても余裕でお釣りがくると思えるほどだ。


 ――――――しかし、そんな幸せを噛みしめられたのも束の間だった。


 それは、突如鳴ったインターホンから始まる。


 ――ピンッポーン!


「あれ? シャーロットさん何か忘れたのかな?」


 シャーロットさんが出て数分でインターホンが鳴ったため、俺は彼女が戻ってきたのだと思いドアを開けた。

 だけど、ドアを開けた先に立っていたのはシャーロットさんではなく、予想外すぎる人物だった。


「なん、で、あ、あなたが、ここに……?」


 そう尋ねずにはいられなかった。

 嘘だと思いたかった。


 なんせ、この人が俺の元に来たって事は――。


「お久しぶりです、明人様。安心してください、いい御話・・・・を持ってきましたので」


 そう言って微笑みかけてくるのは、一般家庭に似つかわしくない服装に身を包む、俺より二つ歳上のお姉さん――草薙くさなぎ有紗ありささんだった。

 彼女は俺の親権を持つ、姫柊ひめらぎ家に仕えるメイドさんだ。

 

 正直言って、この時の俺には彼女の微笑みが悪魔の微笑みに見えた。

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