第77話「熱に浮かされたような甘えん坊の彼女」

 エマちゃんはシャーロットさんが家にいないだけでなく、俺もいないという事で幼いながらに置いて行かれた事を感じ取っていたようだ。


 もう今日は夜遅いから家に帰ってからは別れようとしたのに、シャーロットさんが家の鍵を開けた途端エマちゃんが飛び出してきた。

 そして、泣きながら俺に抱きついてきたと思ったら、『ロッティーなんてだいっきらい!』の連呼。


 あまりにも騒ぐものだから俺の部屋へと移動したのだが、それからはエマちゃんが一切離れようとしない。

 そして俺の胸に顔を埋めながら『ロッティーきらい!』の連呼。

 最後は泣き疲れて寝てしまったが、多分明日も朝目を覚ましたらまた怒り狂うだろう。

 今のうちにお菓子でも大量に用意しておいたほうがいいかもしれない。


「この子が泣いて怒るという事をわかってて私はやりました。本当に最低ですよね……。ごめんなさい、青柳君。巻き込んでしまって……」

「いや、俺も同罪だからシャーロットさんのせいばかりじゃないよ。むしろ、シャーロットさんばかり怒られて申し訳ないし……」


 エマちゃんは俺に対しては怒るというよりもどちらかというと甘えてきていた。

 だから泣きやますのに力を使っただけで、被害があったのはシャーロットさんだけだ。


「この子が青柳君に怒る事は絶対にないと思います。怒るよりも、甘やかしてと言ってくるでしょうからね」


 そう冗談半分に笑いながら言うシャーロットさんだが、その笑顔には力がない。

 エマちゃんに何度も嫌いと言われていたのがよほど堪えているんだろう。


「…………」

「青柳君……?」


 俺が立ち上がると、不思議そうにシャーロットさんは見上げてくる。

 そして慌てて立とうとするのだが、俺はそれを手で制した。


「大丈夫、エマちゃんを布団に寝かせてくるだけだから。聞かれたくないこと、あるよね?」

「あっ……」


 察しがいいシャーロットさんはそれだけで俺が何を言いたいのかを理解し、バツが悪そうに黙りこんでしまう。

 この様子を見るに、本人も自覚していたという感じだろうな……。


 俺はシャーロットさんの力のない笑顔に見覚えがあった。

 それは、亜紀が時々見せる笑顔だ。


 亜紀は優しいが故に、何かあっても誰かのせいにせず自分が悪かったんだと無理矢理納得する癖がある。

 その際に見せる笑顔が、今シャーロットさんが見せた笑顔とそっくりだった。

 シャーロットさんも優しい女の子だからこそ共通する部分があるのだろう。

 幸いなのは、その際にしないといけない対処方法を俺は既に知っているということだ。


「――シャーロットさんは、よく頑張ってると思うよ」

「えっ……?」


 エマちゃんを寝かせて戻ってきた俺がかけた言葉に対し、シャーロットさんは戸惑った表情を浮かべた。

 そんな彼女に対して俺は笑顔で答える。


「まだ高校生だから本当は勉強を頑張って後は遊んでいていいはずなのに、シャーロットさんはほとんどの時間を家事とエマちゃんの子育てに使ってるよね? それがどれだけ大変なことか、近くで見ている俺はちゃんとわかってるよ」

「青柳君……」


「だけどね、幼いエマちゃんを優先しないといけない、したいという気持ちはわかるよ? でも、だからってシャーロットさんが全てを我慢しないといけないことはないんだ。だから、そんなに溜め込まないでほしい」

「あっ……」


 彼女の頭に手を伸ばして優しく撫でると、シャーロットさんは小さく声を漏らして潤んだ瞳で俺の顔を見上げてきた。

 そして、目の端に涙を溜め始める。


「でも私、お姉ちゃんですから……」

「そうだね。だけど、それは君が全てを我慢しないといけない理由にはならないよ」


 姉だからといって、妹のために全てを我慢しないといけないなんておかしい。

 片方だけに無理を強要する関係が家族だなんて俺は納得できない。


「あの子の悲しむ顔、見たくないんです……」

「だけど、それで君が悲しい顔をしてるんだったらそれは間違ってると俺は思う」


 妹の悲しむ顔を見たくないからといって、自分が悲しくなっていることになんの意味があるのだろうか?

 その事実を知った時、妹が何も思わないとは思えない。

 少なくとも、エマちゃんは大きくなってからその事を知れば悲しむだろう。

 幼さ故にわがままな子だけれど、根はちゃんと優しい子なのだからな。


 だから、エマちゃんを悲しませず、そして自分も悲しくない道を本来なら見つけるべきだ。


「青柳君……」


 いつの間にか、シャーロットさんの目に溜まっていた涙は彼女の頬を伝っていた。

 そして、《だったらどうしたらいいのですか?》と言いたげな表情でシャーロットさんは俺の目を見つめている。


 おそらく、俺が知らないだけで彼女がこれほどまでにエマちゃんに肩入れしないといけない理由があるのだろう。

 それは、シャーロットさんがただ妹想いの優しい姉だからというわけではないはずだ。


 普通に考えても高校生のシャーロットさんが家事や子育てのほとんどをしていることはおかしい事だしな……。


 ただ、そこは安易に俺が踏み込んでいい部分ではない。

 だからそこに関しては、シャーロットさんが自分から話してくれるのを待とう。


 俺が今しないといけないのは、彼女の苦しみを取ってあげることなんだから。


「シャーロットさんがどうしたいかわからないし、幼いエマちゃんのことを大切にして優先すること自体は間違っていないと思う。だけど、シャーロットさん自身の気持ちを押し殺してほしくないんだ。だから何かあるなら、遠慮なく俺を頼って欲しい」

「…………」


 シャーロットさんは涙を流している瞳でジッと俺の目を見つめてくるだけで口を開こうとはしない。

 だから俺は言葉を続けることにする。


「俺はシャーロットさんの彼氏なんだよね? だったら、彼女の負担を少なくしたい。君が友達と遊びに行きたいならその時は俺がエマちゃんの面倒を見るし、何か抱え込んでいるのなら遠慮なく俺をはけ口にしてほしいんだ」


 自分から彼氏と言うのは恥ずかしかったけれど、俺は自分が伝えたかったことをシャーロットさんに伝えた。

 彼女にどれだけ言ったところでエマちゃんを優先することは変わらないだろう。

 だから、そこを変えるのではなくて別の可能性を示した。

 後は彼女がどうしたいか、ただそれだけだ。


「…………」


 俺の言葉を聞いていたシャーロットさんは、一度俯いた後再度ジッと俺の顔を見つめてくる。

 だから笑顔を返すと、彼女はなぜか急に俺の胸へと自分の顔を埋めてきた。


「シャ、シャーロットさん……?」


 予想外の彼女の行動に俺は若干上擦った声で彼女の名前を呼ぶ。

 すると、シャーロットさんは熱がこもった潤んだ瞳で上目遣いをしてきた。


 どうしよう、かわいすぎる。


「甘えたいです……」

「えっ?」

「青柳君に、甘やかしてほしいです……」


 彼女はそれだけ言うと、また俺の胸へと顔を埋めてしまう。

 それどころか、右手で俺の体をまさぐり始めた。


 いったい何をしているのかと思うと、そのまま俺の左手と手を繋ぎ始める。

 どうやら、手を繋ぎたかったらしい。


 …………いや、うん、ちょっと待て。

 なぜこうなるんだ……?


「シャーロット、さん……?」


 俺は緊張でカラカラになってしまった喉からなんとか声を絞り出して彼女の名前を呼ぶ。

 すると、彼女は再度熱がこもった瞳で俺の顔を見上げてきた。


「青柳君が私のことを心配して気遣ってくださること……とても嬉しいです……」

「そ、そっか……」


「はい……ですから、お言葉に甘えさせて頂きたいです……。多くは望みません……。ただ、頑張ったご褒美にこうして甘やかしてもらえますと嬉しいです……。これが、私にとって最大の幸せですから……」


 まるで熱に浮かされたかのように普段とは違った様子でシャーロットさんが甘えてくる。

 想像の斜め上を行く展開に俺はどうしたらいいかわからず、ただただこちらを見上げてくるかわいい彼女の顔を見つめることしかできなかった。


 そうしていると、シャーロットさんは何か物欲しそうな表情で俺の顔を見つめてくる。

 何を求められているのか、俺には全くわからない。


「えっと、何かしてほしいことある……?」


 シャーロットさんが何を求めているのかわからなかった俺は、素直に彼女が求めていることを聞いてみる。

 すると、シャーロットさんは恥ずかしそうに俯いた後、トンッと頭を俺の胸へと預けてきた。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「お膝の上に……座らせて頂いてもよろしいでしょうか……?」


 あっ、そこはキスじゃないんだ……。


 ――と思うのと同時に、膝の上に座りたいと言い出したシャーロットさんに俺は戸惑ってしまう。


 本当に今の彼女はどうしたのだろう?

 ここ最近甘えん坊なところはあったけれど、今日はいつもと比べ物にならないくらい甘えん坊だ。


 もしかしたら知らないうちに彼女の琴線に触れてしまったのかもしれない。

 さすがにこれ以上は俺の心臓が持ちそうにないんだが……。


「だめ、でしょうか……?」


 戸惑ったせいで返事をすることができずにいると、シャーロットさんは縋るような目で俺の目を見つめてきた。


 ……うん、彼女にこんな表情をされて断れる奴がいるのなら見てみたい。

 絶対に断れないだろ、これは……。


「い、いいよ」


 結局、シャーロットさんのかわいさに負けた俺は頷くことしかできなかった。

 そして熱に浮かされたような彼女は嬉しそうに俺の膝へと座ってくるのだが――これはあれかな?

 俺の自制心を試してるのか、シャーロットさんは……?


 当然こんなことをされて我慢できるはずもなく、膝の上に座ってきたシャーロットさんを優しく抱きしめると、彼女は嬉しそうに俺へともたれかかってくるのだった。

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