第66話「あなたの事をもっと知りたいです」
「はぁ……はぁ……そろそろやめて、準備しないと……」
俺は痛む胸を右手で抑えながら、肩で息をする。
ここまで俺が疲労をしているのは朝早くから走り込みをしていたからだ。
運動部に所属をしていない俺が走り込みなんて、一見無意味に思うかもしれない。
だけど、これにもちゃんと目的があった。
約一ヶ月後、俺たちの学校では体育祭が行われる。
その体育祭で俺はリレーメンバーに抜擢されてしまったのだ。
ただそれでも、《たかが体育祭なんかのために……》と思われるだろう。
俺だって本来ならここまではしていないはずだ。
それでも俺が走り込みをしている理由――それは、シャーロットさんにかっこ悪いところを見せたくないからだ。
……いや、かっこいいところを見せたいからかもしれない。
誰だって、好きな人にはいいところを見てもらいたいものだろう。
だから俺はリレーメンバーに抜擢された次の日から走り込みをしている。
一ヵ月と考えると、トレーニングをやめてなまりきった体を叩き直すには十分すぎるくらい時間がある。
目標は中学時代のベストタイム50メートル6秒1を切る事。
そのタイムが出たのは中学二年の夏だったか。
中二にしてはかなり速いタイムだったのを今でも覚えている。
当時は彰に勝っていたくらいだしな。
しかし今は、6秒5くらいか。
中二で運動をやめたにしてはまだなまっていないほうだとは思うが……出来る事なら、6秒1を切りたい。
彰なんて高一にもかかわらず、《6秒》を切っているしな……。
さて、そろそろ準備をしないといけないし戻る……か……?
俺がベンチに畳んで置いていたトレーナーとウィンドブレーカーを手に取ると、壁に身を隠すようにしてこちらを見ている女の子と目があってしまった。
その子は長くて綺麗な銀髪をまっすぐと下に下ろしており、潤んだ瞳で俺のほうを見ている。
いったい、彼女はいつからいたんだ……?
「あっ――おはようございます、青柳君」
もう隠れても無駄だと思ったのか、シャーロットさんは何事もなかったかのように挨拶をして俺の傍に歩いてきた。
だけど頬はほんわりと赤く染まっており、何かを期待しているかのようにチラチラと俺の顔を見上げ始める。
どうしたのだろうか、と思って見つめていると、今度はモジモジとしだしてミニスカートの裾や髪の毛を弄り始めた。
もしかしてこれは、服装の感想がほしいのだろうか?
今の彼女は白色のスウェットの上に紺色のデニムジャケットを羽織っており、黒のミニスカートを履いている。
思わず見とれてしまうくらいかわいいのだが、シャーロットさん、これ寒くないのだろうか……?
今は俺の体が温もっているからむしろ熱いくらいなのだが、朝外に出た時は秋とは思えない寒さだった。
昼には温かくなるだろうけど、ミニスカートだしジャケットもなんか薄そうに見えるから、夜には寒くなるんじゃないか?
「おはよう、シャーロットさん。その服とても似合ってるね」
「あっ……はい、ありがとうございます!」
俺は寒そうだと思った事は口にせず、素直に彼女の服装を褒めた。
さすがにかわいいとまでは言えなかったが、服装を褒めてあげるとシャーロットさんはとても嬉しそうに笑ってくれる。
どうやら正解だったようだ。
まぁそれはさておき、今俺は汗をたくさんかいているためシャーロットさんに近寄りたくない。
さっさとお風呂に入って汗を流してから待ち合わせ場所で落ち合おう。
「それじゃあシャーロットさん、また後で――」
「えっ……行っちゃうのですか……?」
「…………」
◆
「――そ、それじゃあ、俺は汗流してくるから……」
「は、はい……! ごゆっくりしてください……!」
俺が声を掛けると、ガチガチに緊張したシャーロットさんがひきつった笑顔で答えてくれた。
正直俺は現時点でかなり後悔をしている。
なんせ、これからお風呂に入るというのにシャーロットさんを家に連れ込んでしまったからだ。
彼女を連れてきた理由は別れようとした際に捨てられた仔犬のような瞳で見つめられ、思わず《一緒にくる?》と声を掛けてしまったからなんだが……。
部屋が隣なんだから一旦帰るという手があるはずなのに、何やら帰りたくない理由があるらしい。
まだ外の気温は寒いみたいだし、寒空の下彼女一人を置いていくのも抵抗がある。
だから、これは仕方がない対応だったんだ。
決して何かを期待しているわけではない。
俺はどこかの誰かに心の中で言い訳をしながら、風呂場へと向かうのだった。
――風呂から上がってみると、凄くソワソワとしているシャーロットさんが目に入った。
俺の部屋に来た事や二人だけという状況は今まで何度もあったのに、頬が真っ赤に染まっている。
さすがの彼女も、二人きりの状況で相手がお風呂に入るというのは気にしてしまうようだ。
「――えっと、上がったよ」
「――っ!?」
十数分後、お風呂――というよりシャワーを浴びてきた俺が声を掛けると、シャーロットさんの体はビクッと震え、おそるおそる俺のほうを見上げてくる。
なんだかこの雰囲気、
あえて言葉にはしなかったが、俺が今思い浮かべたのは付き合っている男女がする行為だ。
シャーロットさんなんて未だに頬を真っ赤に染めて、チラチラと恥ずかしそうに俺の体を見てくるんだからそれを思い浮かべても仕方ないと思う。
俺だって、健全な男子なんだ。
「あっ……えっと……お時間まで、どうなさいますか……?」
沈黙の状況が辛かったのか、シャーロットさんのほうから口を開いてくれた。
今は朝の八時過ぎ。
電車は動いているが、ほとんどのお店はまだ開いていない。
本当は遊園地に連れていきたかったけど、彼女の服装だと外で長時間並ばせるのは避けたほうがいいだろう。
この薄着で寒空の中いれば絶対に風邪を引くからな。
だから急遽予定を変更して、倉敷のほうでショッピングデートをする事にしているため、もう少し時間を潰す必要がある。
ちなみに、遊園地の事はシャーロットさんには言っておらず、今日何処に行くかは全て俺任せとなっていた。
「とりあえず、時間までここにいよっか」
他にやる事もないし、下手に外を歩いて同級生たちに見つかるのは避けたい。
だから時間まで温かくしている俺の部屋でいるのがいいと思った。
「そ、それでしたら――青柳君の事、教えて頂けませんか……? どんなふうに暮らしてらしたのか、何をされていらっしゃったのか、私が知らないあなたの事を知りたいです。私は、青柳君の事をもっと知りたいのです」
未だに頬を赤く染めているシャーロットさんは、なぜかピトッと俺の体に自分の体をくっつけてくると、胸に手を当てて懇願するかのようにお願いをしてきた。
顔を真っ赤にし、潤んだ瞳で見つめられた俺は思わず息を呑んでしまう。
彼女の予想外の行動に俺の胸は心臓が破裂しそうなほどにうるさい。
この鼓動は彼女に聞こえてしまっているのではないだろうか?
俺はそれが心配になるが、彼女が懇願するようにお願いをしてきたので、これをいい機会だと思い自分の話をすることにする。
少し重たい空気になるかもしれないが、不味そうであればすぐにデートに切り替えればいいだろう。
――自分の過去を話す覚悟を決めた俺は、ゆっくりと目を閉じ、昔の事を思い出すのだった。
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