第50話「抗えない表情」

『ここは、エマの……!』


 猫を下ろした後入れ替わるようにエマちゃんを抱っこすると、頬を膨らませているエマちゃんが抗議をしてきた。

 どうやら猫を抱っこした事に怒っている――というよりも、拗ねているようだ。

 なんてかわいい子なのだろう。


 猫相手にヤキモチを焼くエマちゃんがかわいすぎて、俺は頬が緩みそうになった。


『…………抱っこじゃなく抱きしめてもらうのはいいよね……?』

『ん? どうしたのシャーロットさん?』


 エマちゃんの頭を撫でてあやしていると、シャーロットさんが難しい表情をして何かを呟いていた。

 多分またいつもの独り言だとは思うけど、一応聞いてみた形だ。


『いえ、なんでもないです。それよりも、そろそろ他の動物のところに行きませんか? エマももう猫ちゃんはいいみたいですし』


 俺の問い掛けに対してシャーロットさんはニコッと笑った後、俺の腕の中にいるエマちゃんへと視線を移す。

 そのエマちゃんといえば、俺の胸に自分の顔を押し付けていた。

 シャーロットさんの言う通りもう猫に飽きてしまったのだろう。


 それならもうここは出たほうがいいか。

 足に擦り寄ってくる猫は名残惜しいけど、そろそろ人が集まりすぎている。


 ……まぁ人を集めているのは猫ではなく、シャーロットさんやエマちゃんなのだが。

 

 何処でどう噂になっているのかはわからないが、ここに来た客が「あ、あの子だ、あの子。うわ、本当にかわいい」とか、「わぁ、小さくてかわいい女の子ね」みたいな事を言っているのだ。

 そして視線が明らかにシャーロットさんやエマちゃんに向いている。


 基本男性客はシャーロットさん目当て、女性客はエマちゃん目当てといったところか。

 とはいえ、中には当然エマちゃん目当ての男性客もいれば、シャーロットさんを見に来た女性客もいる。


 だがな――ここは、動物園だぞ?

 

 女性客はどうかわからないけど、普通男性客が一人、または同性だけで動物園に来ると思うか?

 なくはないだろうけど、確率としてはかなり低い。

 では誰と来ているかだが――当然、彼女や奥さん、もしくは子供だ。


 そんな中シャーロットさんに目を奪われるとどうなるか――。


「――もう! 他の女の子に夢中なんて最低!」


 こんなふうに、相方を怒らせる事になる。

 いくらシャーロットさんがかわいいとはいえ、彼女と一緒に来ているなら他の女の子に目を奪われるのは駄目な事くらい、異性と付き合った経験がない俺でも分かる。

 そんな失態をすれば彼女が怒るのも当たり前だ。


 まぁ、俺には関係のない話なので口を出すつもりはないのだけど。

 

 俺は慌てて彼女を追いかける男性を横目で見ながら、何事もなかったかのように次の動物を見に行くのだった。


 猫との触れ合い広場を後にした俺たちは、シェットランドポニーなどの馬系の動物や、タイハクオウムなどの鳥系の生き物を見たりと、普段絶対に見る事が出来ない珍しい動物を見て回った。

 その中でエマちゃんが特に気に入ったのは、コモンマーモセットという手の平サイズくらいの小猿だ。

 生憎触れ合う事は出来なかったが、エマちゃんは小さくてかわいいという事で気に入ったみたいだ。


 ただ――『エマもさわる……!』と駄々をこね始めた時は困ったが……。

 動物園のルールとあればどうしようもなく、どうにかなだめて我慢させたのだが少しの間エマちゃんは拗ねてしまった。


 しかしまぁその機嫌も、次に見つけたモルモットというネズミの一種を抱かせてもらえたおかげで直りはしたが。

 ネズミの一種と聞くと負のイメージを浮かべる人も多いだろうけど、ハムスターみたいでかわいい動物だった。


 あまり動物園には興味がなかったが、こうやって珍しい動物を見て回るのは面白い。

 亜紀もよく動物園に行きたがるし、今度ここの動物園に連れてきてやれば喜ぶかもしれないな。


『シャーロットさん、楽しいかな?』


 俺は隣を歩く銀髪美少女に声を掛けてみる。

 もう抱き着いてきている事に触れるつもりはない。

 彼女がそれで周りの視線を気にせずに済むんだったら、もういいんだ。

 周りの男がどれだけ嫉妬の視線を向けてこようが実害を受けるわけでもないしな。

 

『はい、とても楽しいです……。まるで夢みたいです……』

『はは、大袈裟だね』

『…………おそらく、誤解されていますね……』


 動物園に来ただけで夢みたいと大袈裟な事を言うシャーロットさんにツッコミを入れると、なぜか顔を背けられてしまった。

 機嫌を損ねた――という事はないとは思うけど、いったいどうしたのだろうか?

 なんだか拗ねているようにも見えるし。


 少しだけシャーロットさんの頬が膨らんでいるように見え、俺は彼女が拗ねてしまったと思い直した。

 ベネット姉妹は拗ねると頬を膨らませてしまうからわかりやすいのだ。


 ただ、いろんな表情を見せてくれるという事は、それだけ気を許してくれているんだと思えるから素直に嬉しい。

 だけど、やっぱり拗ねている表情よりは笑顔を見ていたい。


『えっと、チョコレート食べる?』


 俺はショルダーバッグからエマちゃんに用意していたホワイトチョコを取り出し、顔を背けているシャーロットさんの前に差し出した。

 すると彼女はクスッと笑って俺の顔を見上げる。


『青柳君、私はエマではないのですから、お菓子で釣られたりはしませんよ? ……まぁ、頂きますが』


 子ども扱いをされても困るみたいな事を言いながらも、シャーロットさんは嬉しそうにホワイトチョコを受け取った。

 普段おしとやかにしていても、やはり女の子だから甘いものが好きなのだろう。

 ニコニコの笑顔でチョコレートを口に含む姿がとてもかわいく見えてしまった。


 ――クイクイ。


 シャーロットさんの横顔を見つめていると、エマちゃんが俺の胸倉を軽く引っ張ってきた。

 視線を向ければ、ジーと俺の顔を見つめてくる。

 まるで、《エマにはくれないの?》とでも言いたげな表情だ。


『エマちゃんもいる?』

『んっ……!』


 ホワイトチョコを目の前に掲げると、エマちゃんは目を輝かせて頷いた。

 だがしかし、そのままチョコレートを渡そうとすると、エマちゃんは受け取らずに小さな口を大きく開く。

 どうやら食べさせてほしいようだ。


『はい、あ~ん』

『あ~ん――パクッ』


 包み紙を剥がしたホワイトチョコを口に入れてあげると、エマちゃんは頬を緩ませながら食べ始めた。

 そして食べ終わると、また同じように大きく口を開く。

 まだチョコレートがほしいのだろう。


 だけど、今日は既にたくさんチョコレートを食べているためあまりあげるのもよくない。

 だからしまおうとするとのだが――すると、目をウルウルとさせた上目遣いでエマちゃんは無言の訴えを始めてしまった。


 こんな表情をされると無視する事なんて出来ない。

 ましてや今はだっこをしているせいで顔が近い距離にあるのだから、尚更この表情に抗う事なんて出来るわけがなかった。


『…………はい、あ~ん』

『あ~ん』


 結局俺が折れてしまい、その後もエマちゃんにチョコレートを食べさせてしまうのだった。


『…………いいなぁ……』


 ――隣で何かを呟く、シャーロットさんの様子に気付きもせずに。

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