第46話「幼女の扱い方」
『それじゃあ行こうか』
エマちゃんを落とさないように抱き直した後、隣にいるシャーロットさんへと声を掛ける。
すると、なぜかシャーロットさんはモジモジとしている頷いてくれた。
ちょっと彼女の様子は気になるけれど、熱があるとか体調が悪そうというわけではないので問題ないだろう。
それに今更遊びに行くのをやめると言うと、腕の中でルンルンになっているエマちゃんが泣いて暴れそうだ。
これから俺たち三人は、エマちゃんの要望で動物園に行く事となっている。
今回行くところは距離的には遠いが、岡山にしては少し珍しい電車を乗り継いで行けばそれほど歩かずに済むところにあった。
本当ならもっと近い距離に県下最大級の動物園があり、そこには動物園にもかかわらずペンギンもいるし、他にも人気がある動物が多くいるのでそちらに行ったほうがいいかもしれない。
エマちゃんも連れて行ってあげれば大喜びだろう。
だがしかし、そこに行くと知り合いに鉢合わせをする可能性が出てくるのだ。
まぁそれはこれから行く動物園でも言える事ではあるが、確率的に考えて距離も近く県で一番大きい動物園のほうが鉢合わせする確率が高い。
逆に、わざわざその動物園を通り越してまで遠出をする奴はほぼいないと見ていいだろう。
市の中心の高校に通っているならまだしも、俺たちが通っている学校は市の外れだ。
街中に行く移動費ですら少しかかるのに、遠出をする高校生の俺たちには馬鹿にならない金額になってくる。
だから同じ学校の生徒と鉢合わせすることはないと見た。
そう考えるとシャーロットさんもよく遠出を認めてくれたものだ。
エマちゃんは幼いから電車代はかからないが、シャーロットさんの電車代はまぁまぁ掛かる事になる。
アルバイトをしているようではないからお小遣いをいっぱい貰えているのだろうか?
……そういえば、未だにシャーロットさんの両親には会った事がないな。
話題に出すタイミングもなかったから聞いた事はないが、俺は少しだけ違和感を抱いていた。
普段、シャーロットさんたちは夜遅くまで俺の部屋に居座っている。
朝だって昨日から俺の朝ご飯を作るという理由で俺の部屋に来て料理をし、家には帰らず俺と一緒に食べている。
親が家にいるのなら当然家で食べてくるだろうし、そもそも毎日のように夜遅くまで男の部屋にいる事を親が許可しないはずだ。
もしかして、シャーロットさんたちは二人暮らしなのだろうか?
……なんだか、それも違う気がする。
俺のように元々日本に住んでいるのならともかく、彼女はイギリスから来ている。
親が仕送りをするのにも無理があるし、エマちゃんのような幼い子を連れて二人暮らしなど絶対にさせないだろう。
何か事情があるのかもしれない。
出会ってからよく一緒にいるのに、俺は彼女たちについて知らない事が多いよな……。
『おにいちゃん、はやくいこ?』
思う事があって考え事をしていると、腕の中にいるエマちゃんがクイクイッと服を引っ張って急かしてきた。
もう待ちきれないといった様子に見える。
『ごめんね、行こうか』
『うん! ――ねこちゃん♪ ねこちゃん♪』
動物園に向けて歩き出すと、エマちゃんが体を揺らして猫ちゃんコールを始めた。
どうやらエマちゃんの目的はかわいい猫のようだ。
でもね、エマちゃん――猫は、動物園にはいないんだよ……。
エマちゃんにとって残酷な未来が待っている事を察した俺は、心の中でだけエマちゃんに謝った。
さすがに今すぐにこの子へと伝える度胸はない。
今から、ペットショップに切り替えようかな……?
それか、イリオモテヤマネコでも居てくれればいいんだが。
絶滅危惧種だし、いるわけないよな……。
猫をとても楽しみにしているエマちゃんを見て、せめて小型の猫科動物が居てくれと俺は願うのだった。
◆
『おにいちゃん、おにいちゃん! でんしゃだよぉ! はやいよぉ!』
動物園に行くために電車に乗ると、エマちゃんが大はしゃぎし始めた。
俺たちの街に来た時にも電車には乗っているはずだが、やはりこういった乗りものは珍しいのだろう。
幸い今日は日曜日の朝だ。
今この車両に乗っているのは俺たち三人だけで、他には人っ子一人いない。
だからエマちゃんがどれだけ騒いでも他の乗客の迷惑になる事はないはずだ。
『もうエマ! お願いだから大人しく座ってて!』
――だがしかし、親族としては見過ごせないのだろう。
運よく今は乗客がいないだけで、普通電車には他の乗客がいる。
そういった時に騒がれると困るから、シャーロットさんは今のうちに騒がれないように注意しているのだ。
『むぅ……』
当然注意をされたエマちゃんは、頬を膨らませて不満そうにシャーロットさんを見つめる。
幼いこの子に周りの事を気にしろというのは難しいだろう。
とはいえ駄目な事を駄目だと教えるのも大切だ。
それが将来、エマちゃんのためになる。
本当なら、エマちゃんがはしゃいでいる姿をもっと見ていたいが――。
『エマちゃん、これ食べよっか?』
俺はショルダーバッグからエマちゃん用に用意していたチョコレートを取り出し、エマちゃんに見せつけた。
『わぁ! うん、エマね、ちょこたべる!』
先程までの不機嫌はどこへやら、目論見通りエマちゃんはチョコレートに食いついた。
狡い手ではあるが静かにさせるという目的を叶えたいのなら、注意するよりも他に意識を逸らしたほうが早い。
だけど、ここで素直にあげるつもりはなかった。
『ねぇ、エマちゃん。チョコレートがほしいなら、お兄ちゃんと約束をしようか?』
『やくそく?』
俺の言葉に対してかわいらしく小首を傾げるエマちゃん。
そのキョトンとしている表情だけで思わずチョコレートを渡してしまいそうだ。
『そう、約束だよ。チョコレートをあげるから、こういう電車内や人が多い場所では騒がないようにしてくれる?』
これが、俺がチョコレートを取りだした本当の目的だった。
ここで約束をしてエマちゃんが今後守ってくれるかはわからない。
だけど、少なからず効果はあるはずだ。
『うん! エマね、しずかにする! だからちょこちょうだい!』
まぁ当然といえば当然なのだが、エマちゃんは満面の笑みで約束してくれた。
後はこの子が約束を気にしてくれることに期待するしかないだろう。
というか、四歳児相手によくこんな会話が成り立つものだ。
『ありがとう。はい、チョコレートだよ』
『んっ……!』
チョコレートを渡すと、すぐさまエマちゃんはチョコレートの封を開けて食べ始めてしまう。
まるでリスみたいに頬を膨らませてモグモグと食べているところはかわいいのだが、一気に食べ過ぎじゃないだろうか。
喉、詰まらせなければいいんだけど……。
『青柳君、いつの間にかとてもエマの扱い方が上手くなってます……。やっぱりさすがですね……』
んっ?
シャーロットさん、どうかしたのだろうか?
なんだか熱い視線を感じて隣を見てみれば、シャーロットさんが俺の顔を上目遣いに見つめていた。
しかし目が合うなり顔を背けられてしまったので、なんだったのかがわからない。
何か言いたい事があったのだろうか……?
――電車が乗り換えの駅に着くまでの間、俺は膝の上に座るエマちゃんの相手をしながらチラチラとこちらを見てくるシャーロットさんの事が気になってしまうのだった。
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