第32話「ベネット姉妹は今日も微笑ましい」

「――んっ……」


 カーテンの隙間から朝日が差し込む中、俺は自然と目が覚めた。

 目覚ましが鳴る前に目が覚めるのは、もうこの時間に起きる事が体に染み付いているのかもしれない。

 俺はスマホを手に取り、目覚ましが鳴らないようさっさと切った。


 さて、顔を洗って準備を――。


「――おはようございます、青柳君。体調は大丈夫でしょうか?」

「………………えっ?」


 体を起こそうとした際に女の子が俺の顔を覗き込んできて、俺は体が固まってしまった。

 事態が呑み込めず、覗き込んできた女の子――シャーロット・ベネットさんを見つめてしまう。

 シャーロットさんは俺の顔を見ると、嬉しそうに微笑んだ。


「どうやら熱は引いていそうですね。ですが念のため、体温を測って頂けますでしょうか? 体温計はここに用意しておりますので」


 俺が寝ている間に用意してくれていたのか、シャーロットさんが体温計を手渡してくる。

 俺は体温計を受け取りながら段々と頭がはっきりとしてきて、昨日の事を思い出していた。


 そういえば、昨日はシャーロットさんに熱を出したと勘違いされ、そのまま強引に寝かされたんだった……。

 でも、どうして朝起きたら彼女が俺の部屋にいるのだろうか?

 まさか、昨日から自分の部屋に帰っていないのか?


「あの、シャーロットさん? もしかして徹夜で看病してくれていたのか?」

「気にしないでください。私が勝手にやった事ですので」


 はっきりとではないが、シャーロットさんは肯定した。

 凄く罪悪感が込み上げてくる。

 俺は別に熱が出ていたわけではなく、彼女に流されて逃げるように寝てしまっただけだ。

 それなのに彼女に徹夜で看病をさせてしまった。

 人として最低だ。


「ごめん、シャーロットさん」

「ですから、気にしないでください。困った時はお互い様ですし、私が勝手にした事ですから」

「違う、そうじゃないんだ……。俺は昨日風邪で熱が出てたわけじゃないんだよ」

「えっ?」

「その……君に触られた時に恥ずかしくて体温が上がって、それをシャーロットさんは熱だと勘違いしたんだ」


 全てを話すのは恥ずかしかったが、徹夜までさせておいて黙っておくのは嫌だった。

 せめてきちんと謝りたかったのだ。


「で、ですが、かなり熱かったですよ……? 私が触れたくらいでそんなに熱くなるなんて――」


 何か思う事があったのか、シャーロットさんは言葉を途中でやめて顔を背けてしまった。

 俺から見えるシャーロットさんの横顔はたちまち赤くなっていく。


「そういえば私……おでこくっつけたりしちゃったんですよね……。そのせいだったのですか……」


 どうやらシャーロットさんは、俺の熱が急激に上がったのは自分がおでこをくっつけて顔が凄く近付いてしまったからだと思っているようだ。

 本当は手を当てられた事が原因なのだが、彼女は徹夜をしてるから少し頭が回っていないのだろう。

 このまま勘違いしておいてもらえたほうが俺としても有り難い。


「えっと、だからごめん。熱があったわけでもないのに看病をさせてしまって……」

「い、いえ、私が早とちりをしてしまったせいですので……。私のほうこそごめんなさい……」


 何に照れているのかはわからないが、顔を真っ赤にしたままモジモジとし始めるシャーロットさん。

 チラチラと上目遣いで俺の顔を見てきているんだが、その様子が凄くかわいい。

 徹夜をさせてしまった罪悪感があったはずなのに、シャーロットさんには申し訳ないが彼女を見ていると心が満たされそうだ。


 しかし、そんな時間も唐突に終わりを告げる。


『――ロッティーどこぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

「「――っ!」」


 急に別室から幼い女の子の泣き声が聞こえ、俺とシャーロットさんはお互いの顔を見合わせる。

 そういえば、シャーロットさんはここにいるのにエマちゃんの姿が見えない。

 この子が幼い妹を家に一人にするはずがないから、別室で寝かせていたのか。


『ロッティィィィィィィィィ!』

『エマ、私はここにいるよ!』


 シャーロットさんは慌てて部屋のドアを開けてエマちゃんに声を掛ける。

 すると、エマちゃんがシャーロットさんを見つけて泣きやんだ。

 そしてエマちゃんはそのままタタタッと走り始める。


 俺はその様子を《あぁ、シャーロットさんに抱き着こうとしているんだな》と思って見ていたんだが――なぜか、エマちゃんは両手を広げて待ち構えるシャーロットさんの横を通り抜けた。


 そして――

『おにいちゃん!』

 ――満面の笑みを浮かべて、俺に抱き着いてきた。


『…………』


 抱きしめる予定で両手を広げて待っていたシャーロットさんは、無視された事によって固まってしまった。

 なんというか、どう声を掛けたらいいかわからない。

 この気まずい雰囲気を作ってくれたエマちゃんといえば、『えへへ』と嬉しそうに笑い声を漏らしながら俺の頬に自分の頬をこすりつけている。

 俺が布団から体を起こした状態のため、エマちゃんの身長だと丁度いい高さのようだ。


『ねぇねぇおにいちゃん。きょうからおにいちゃんもエマのおうちにいっしょにすむの?』


 この状況をどうしようかと考えていると、エマちゃんが顔を離して俺の顔を覗き込んできた。


『えっと、どうしてそう思ったの?』

『だっておにいちゃん、エマのおうちにいて、おふとんにいるから!』

『あ~ここ、エマちゃんのおうちじゃなくて、俺のおうちだよ』

『あれ……? ほんとだ! おにいちゃんのおうちだ!』


 俺の言葉を聞いてキョロキョロと周りを見渡したエマちゃんは、驚いたような顔を浮かべた。


 起きた時に見知らぬ部屋にいたから泣いたんじゃないのか、この子は?

 ただ目を覚ましたらシャーロットさんがいないから泣いただけ?

 どれだけお姉ちゃん子に育ててるんだよ、シャーロットさん……。


 いや、まぁ、シャーロットさんが姉ならお姉ちゃん子になる気持ちは凄くわかるし、エマちゃんが妹ならめちゃくちゃ甘やかしたくなる気持ちもわかるけどさ。


『だったら、きょうからエマはおにいちゃんのおうちのこども?』

『いや、違うけど……』

『えぇ……。エマ、おにいちゃんのおうちのこになりたい……』


 どうしよう。

 この子、自分の世界を展開しすぎじゃないだろうか?

 なぜ俺の家の子供になりたいとか言い出しているんだ。


 まぁ俺としてはエマちゃんみたいなかわいい妹なら大歓迎なんだが。

 しかし、さすがに法律とシャーロットさんが許してくれない。


『ふ~ん……エマは、私がいなくてもいいんだ?』


 妹に見捨てられた(?)シャーロットさんが、拗ねたような声を出してエマちゃんを見つめる。

 心なしか頬も膨らんでいるように見える。


 この子も、見た目の割りに意外と子供っぽいよな……。

 

 拗ねてしまっているシャーロットさんを見て、俺は心の中でそう思った。

 言葉には出さない。

 出してしまえば、更に拗ねてしまいそうだから。


『うぅん、ロッティーもいないとだめだよ? だから、ロッティーもおにいちゃんのおうちのこどもになるの!』


 おっと、本当にエマちゃんはなんて事を満面の笑みを浮かべて言ってるんだ……。

 まぁ子供が言ってる事だし、シャーロットさんも相手にしないだろうが。


『だめだよ、エマ? そんな事は無理なんだから』


 ほらな?

 どうせ漫画とかだと、こういった時に主人公にとって都合がいい言葉をヒロインが言ったり、ラッキー展開になったりするのだろうが、現実はそんなに甘くない。

 期待するだけ馬鹿らしいのだ。


『むぅううううううううううううう!』


 シャーロットさんに否定されたせいか、エマちゃんは頬をパンパンに膨らませてシャーロットさんに顔を押し付け始めた。

 俺はそんなエマちゃんと、困ったような笑みを浮かべてエマちゃんをなだめているシャーロットさんを眺めながら、《ベネット姉妹は今日も微笑ましいな》と思うのだった。

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