第29話「ドキドキしますね」

「えっと、それでは始めさせて頂きますね」


 少し緊張した感じで、体を強張らせたシャーロットさんが漫画を見せてくる。

 緊張しているのは、多分お互いの顔が凄く近くにあるからだろう。

 二人で一つのコミックを読もうとすると、どうしてもある程度は顔を寄せる必要がある。


 正直言うと俺の心臓はバクバクといっていてうるさい。

 意中の相手の顔がすぐに近くにあればそれも当然だろう。

 むしろ、この感情を顔に出さないようポーカーフェイスを保てているだけ上出来だ。


「それで、結局なんの漫画を――えっ……?」


 彼女が見せてきた漫画を見て、俺は戸惑ってしまう。

 漫画を勧められるとしたら有名な麦わら帽子を被ったキャラが主人公の海賊漫画や、体に化け物を封じ込めた忍者少年の漫画など、世界的に有名なものだと思っていた。

 少なくとも、そういった部類の漫画を勧めてくると予想していたんだ。


 しかし、彼女が勧めてきたのはマイナーなジャンル。

 少なくとも、あまり作品としてはなさそうなジャンルだ。


「驚かれましたか?」


 俺の表情を見て戸惑っている事を認識したシャーロットさんが、いたずらっぽく笑みを浮かべる。

 いったい彼女はどういうつもりなのだろうか?


「おそらく青柳君は、世界的に有名な作品を私が勧めてくると思っていたのですよね? 少なくとも、人気ジャンルの作品を勧めてくると思われていたのではないでしょうか?」


 当たっている……。

 シャーロットさんが今言った事はすべて俺が考えていた事だ。


「うん、そう思っていたよ。それなのにまさか――」

「漫画を描く漫画を勧めてくるなんて――でしょうか?」


 俺の言葉を引き継いだシャーロットさんに、コクンと俺は頷いた。

 彼女が勧めてきた漫画の表紙には、少年がGペンを持って原稿に向き合っているイラストが描かれている。

 それだけでこの少年が漫画を描こうとしている事がわかるし、表紙絵になっているという事は漫画を描く事を中心にした物語だというのがわかった。


 確かこの作品は、毎週月曜日に発売される人気少年雑誌で連載されていたものだ。

 当時話題にもなっていたから漫画を読まない俺でも少しは知っている。


「詳しく説明してしまうとネタバレになってしまいますので、軽く説明させて頂きますね。これは、二人の少年が漫画家を目指す物語です」

「この漫画を選んだ意図は?」


 漫画のコンセプトを説明してくれたシャーロットさんに、どうしてこの漫画を選んだのかを聞いてみた。

 理由はいくつか考えられる。


 しかし、本当の答えを知っているのは彼女だけだ。

 今俺は、漫画よりもシャーロットさんの考えが知りたかった。

 自分の常識では当てはまらない行動を取る、彼女の考えが。


「内緒です」


 ――だが、シャーロットさんは唇に人差し指を当ててウィンクをし、答えを教えてはくれなかった。


 やっぱりこの子、お茶目でかわいくてずるい。

 こんなのされたら無理に聞けないじゃないか……。


「そ、そっか」

「ふふ、ごめんなさい。まずは先入観なしに読んで頂きたいのです。それから、どうしてこの漫画を青柳君にお勧めさせて頂いたかをご説明させて頂きますね」


 今回はどうやら彼女なりのシナリオがあるようだ。

 それならば、俺は黙って彼女に任せる事にしよう。


「――なんだか、ドキドキとします」


 表紙をめくると、恥ずかしそうにシャーロットさんが呟いた。

 見ればやっぱり頬は赤く染まっている。

 でも、顔は笑っていて楽しそうだ。


 俺はこの状況で漫画に集中出来るのかなっと思いながらも、シャーロットさんと一緒に漫画を読み始めるのだった。



          ◆



「へぇ……中々リアルに描かれてるんだな……」


 親戚に漫画家がいた事により、漫画家に憧れて漫画家を目指す。

 そして、その人が過労で亡くなった事により、漫画家は過酷な職業だと理解して夢を諦める。

 死の要因は過労という事になっているが、主人公は自殺だと思っているようだ。

 漫画家を諦めたのは死んだ事よりも自殺という事が大きいのかもしれない。


 近しい人に憧れたり、すぐに挫折するところは多くの人間に共通する事だと思う。


「ですです! こういう漫画はリアルに描かれているからこそ、面白いのだと思います!」

「そっか」


 まだ面白いかはわからないが、少し興奮しているシャーロットさんに頷いておいた。

 本当に友達と漫画を一緒に読んでみたかったのか、テンションが高い。

 はしゃいでる姿はまるで子供のようで、いつもとは違った魅力がある。

 正直漫画よりも彼女を見ていたい。


「あっ……漫画を読んでいる間は黙っていたほうがよろしいでしょうか……?」


 また俺が素っ気なく返してしまったせいか、楽しそうだった表情が不安なものに代わってしまい、シャーロットさんが顔を覗きこんできた。


 駄目だな……。

 俺は考え事をしていると、素っ気なく返す事が多いみたいだ。


「シャーロットさんが友達と一緒に読んでみたいっていうのは、読みながら意見を交わしあいたいって事なんだよね?」

「は、はい……」

「だったら、シャーロットさんは遠慮なく言ってよ。俺は読み始めたばかりだから意見を言えるかはわからないけど、シャーロットさんの意見は聞いてみたいな」


 実際ただ漫画を読むよりも、シャーロットさんと話しているほうが楽しそうだ。

 すぐ傍に彼女の顔があるのはまだ慣れないが、楽しそうに話す彼女はもっと見ていたい。


「あ、ありがとうございます……! それでは――」


 俺の言葉を聞いたシャーロットさんは嬉しそうに目を輝かせて、一ページ毎に解説し始めてくれた。

 ページをめくればまず俺が読むのを待ち、それからシャーロットさんが自分の考えを話してくれるというスタイルだ。

 とはいえ特段意見が出ないページも当然あるため、そこはスルーする。


 話が進むに連れ、主人公が想いを寄せているヒロインが出てきたり、これから一緒に漫画を作っていくキャラが出てきたりした。


 しかし、いくら現実に寄せているとはいえ、やはり漫画ならではの描写もある。


 明確に言葉にする事は避けるが、絶対に現実ではこんなふうに上手くはいかない。

 普通に現実で行えばドン引きされる事でさえ、この漫画の中では好意的に受け入れられている。

 そういうところが嫌いなんだ。


「――こんなふうに純愛をするキャラたちって、素敵ですよね」


 気が付けば、隣にいるシャーロットさんがうっとりとした表情をしていた。

 彼女が言ってるのは、《お互いの夢が叶えば結婚しよう。それまでは夢に向かって頑張ろう》と主人公がヒロインと約束した事や、目が合っただけで真っ赤になる二人の純粋さについて言ってるのだろう。

 やはり女の子はそういった恋愛に憧れるのだろうか?

 実際にこんな恋愛を出来る人間がこの世の中にどれだけいるのか――きっと、半分にも満たない事だろう。


 だけど、多分シャーロットさんはこういう純愛のような恋愛をすると思う。

 不思議とそういった確信があった。


 ……その相手が俺である事を祈るのは、いささか贅沢か。

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