第26話「おしどり夫婦」

「風が……気持ちいいですね……」


 亜紀の家から帰っている最中、夜風に髪をなびかせるシャーロットさんが目を細めて気持ちよさそうにしていた。

 彼女が発する優しい声は耳触りがよく、いつまでも聞いていたくなる。


 俺はそんな彼女の横を、速くなりすぎている自分の鼓動が聞こえないか心配しながら歩いていた。

 先程までは亜紀やエマちゃんがいたからあまり意識しなくて済んだが、二人きりで夜道を歩いているとなるとどうしても意識をしてしまう。

 さすがに気を紛らわせたいからといって、エマちゃんを起こすわけにはいかないしな……。

 そんな事したら、大泣きした挙句拗ねてしまいそうだ。


「そうだな」


 今の俺は緊張しすぎてそう返すのが精一杯だった。

 夜の静寂さのせいか、昨日自分の家に彼女がいた時よりも更に意識をしてしまう。

 彼女の息遣いでさえ、今ははっきりと感じ取れてしまっていた。


「…………」


 俺が返事をすると、シャーロットさんがチラッと一瞬だけ俺の顔色を窺ってきた。

 つられるように彼女の横顔に視線を向けると、少し残念そうな――そして、寂しそうな表情をしているように見えた。

 もしかしたら、俺は素っ気なく返してしまっていたのかもしれない。


「えっと……今日の料理もおいしかったよ」


 失敗したと思った俺は、すぐに彼女が喜びそうな話題を振ってみる。

 すると、シャーロットさんは嬉しそうに笑みを浮かべて俺の顔を見つめてきた。


「ありがとうございます。今日は花澤さんのお手伝いをしていただけですが、それでもおいしいと言って頂けると嬉しいものです」

「謙遜しなくても、シャーロットさんもしっかり料理をしていたじゃないか。ほうれん草のキッシュだっけ? あれはおしゃれだったし、凄くおいしかったよ」


 ハンバーグに合うという事でシャーロットさんは作ってくれたのだが、キッシュとはフランスのとある地方に伝わる家庭料理で、ミートパイなどに近いいわゆるおかずケーキと呼ばれる焼きものらしい。

 日本料理だけではなくフランス料理も作れるだなんて、シャーロットさんは本当になんでも出来る子だな。


「ふふ、ありがとうございます。実はあの料理、エマがいつもハンバーグと一緒にほうれん草のキッシュを食べるのが好きだったので、花澤さんにお願いして作らせて頂いたのです」

「へぇ……シャーロットさんって凄い妹思いだよな」


 まだ二日しか一緒にいないが、シャーロットさんがエマちゃんを軸に行動している事が容易に想像がついた。

 おそらく、全てにおいてエマちゃんを優先していると言っても過言ではないだろう。


 だがそれは、例え仲がいい姉妹だとしても少し異常な気がする。


 妹を優先的に考えるのは優しい姉なら珍しくないだろう。

 デザートをわけてあげてたりして妹を喜ばせようとする姉の姿ならたまに目にする事だってある。


 しかしシャーロットさんの場合、自分の事をないがしろにしすぎている気がするのだ。

 自分の事は全て我慢して、エマちゃんのしたいようにさせていると思う。

 知り合ったばかりの俺が何をわかったつもりでいるんだと思われるかもしれないが、シャーロットさんはなんだか亜紀に似ている気がするんだ。

 だから、亜紀と同じように我慢しすぎているんじゃないかと思った。


 まぁそんな事を本人に言ったところで、優しい彼女は絶対に認めないだろうが。


「妹思い……ですか……。多分違うと思います。私はただ、この子に寂しい思いや悲しい思いをさせたくないだけなので」


 それを妹思いと言わずして、何を妹思いというのだろう?

 否定した彼女に思わずそうツッコミたくなる。


 まぁさすがにそんな無粋な事は言わないが。

 それに、他にも一つ気になる事があった。


 言葉を聞く限りは優しい姉が妹の事を考えているだけだと思える。

 しかし、言葉を発したシャーロットさんの雰囲気が何か意味ありげだったのだ。


 俺はこれ以上踏み込んでいいのか戸惑ってしまう。


 彼女の事をもっと知りたい。

 だけど、下手に彼女が気にしている部分を刺激したくはないし、踏み込みすぎて嫌がられたくもない。

 そんな考えによって、俺は躊躇してしまった。


「――何をイチャイチャしているんだ、そこのおしどり夫婦」

「「――っ!?」」


 いきなり背後から声を掛けられた事によって、俺とシャーロットさんの体がビクッと震えた。

 慌てて振り返れば、そこにはコンビニから出てきたであろう美優先生が立っていた。


 夕食を食べる時誰かいない気がしていたが、そういえば美優先生がいなかったな……。


 俺は頭の中にあったしこりがとれた事により少しスッキリとした気分になったが、内心では心臓が破裂しそうなくらい鼓動が速くなっていた。

 

「こんばんは、美優先生。早速ですがいくつかお聞きしたい事があるのですが、いいでしょうか?」


 シャーロットさんに俺の気持ちがバレないよう平静を装いながら美優先生に声を掛ける。

 美優先生はニヤニヤと面白いものを見るような目をしており、なんだかイラッときた。


「どうした、言ってみろ?」

「まず、どうしてこんなところにいるんですか? ここはあなたの家を中心とした場合、学校と真逆方向ですよ?」


 本当は真っ先に否定したい言葉があったが、がっつきすぎているとか、慌てすぎてキモいとかシャーロットさんに思われたくなくて、俺は優先順位を落とした。

 美優先生はまるで《お前の考えなどお見通しだ》というような顔で俺の目を見てくるが、素知らぬふりをして誤魔化す。


「まぁそれはいいとして、随分と仲良くなったものだな、お前たち」

「…………」


 この人、《言ってみろ》とか言っておきながら普通にスルーしやがった……。

 きっと何か都合の悪い事があるのだろう。


 まぁ大方予想はついているが。


 ……それはそれとして、今俺がもっとも触れてほしくない部分を思いっきりつついてきやがったな、この人……。

 意中の相手に想いを気付かれたくないのと、単純に恥ずかしいという理由で触れてほしくなかったのに。

 シャーロットさんはどう思っているのだろうか?


 美優先生に言われた言葉をどう捉えたのか気になった俺は、少しだけシャーロットさんの様子を窺ってみるが――なぜか、顔を背けられていた。


 おい、なんで顔を背けてるんだ?

 もしかして、顔を背けたくなるほど俺と仲良しだと思われるのが嫌だったのだろうか?

 普段ならこんな不安に駆られる事はないが、さすがに本人に拒絶的な態度をとられると不安になってきてしまう。


 すると、なぜかポンッと俺の肩に美優先生が手を置いてきた。


「どんまい」


 ――いらっ。


「な、何がどんまいなのでしょうか?」


 あくまで顔には出さず、平静を保ちながら美優先生に問いかける。

 シャーロットさんがいなければ嫌味の一つでも言ってやるのに。


「まぁそんな顔をするな。心配しなくても、お前が思っているようなものじゃないさ」

「何がですか?」


 話に脈略がなさすぎて本気で美優先生が言っている事がわからず、俺は首を傾げた。

 当の本人はといえば、なぜか俺ではなくシャーロットさんのほうを見ている。


「お前は本当にこういう時だけ察しが悪いな。まぁそれはそれで、面白いのかもしれないが」

「俺をおもちゃにするのはやめてくれませんかね……?」

「はは、まぁいいじゃないか。それよりも、エマを抱えてシャーロットと歩いている姿を見ると、お前たち本当に夫婦のように見えるぞ?」


 俺をおもちゃみたいに考えている美優先生にさすがに文句の一つでも言ってやろうと思うと、美優先生は俺にだけ聞こえる声でとんでもない事を耳打ちしてくるのだった。

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