美味しいスパイス
tolico
美味しさの秘密
暗闇に明るく照らされ、咲き乱れる薄桃色の桜。それらが流れて景色を変える。
俺は夜の街を走っていた。
スマホを膝上に乗せて車の運転をする。信号待ちによく引っかかる。もうかれこれ21回目だ。通る信号全て赤。ここまで来ると笑える。
まあ急いでいる時ほどそんなものである。
時間は22時。焦りはしない。いつだって安全運転だ。こういう夜中の車通りが少ない時こそ気をつけるべきなのだ。ハリボテだと思ったパトカーの陰から本物が出てくるなんてことはよくある。
冷静に、状況判断を下しながら夜の国道を目的地までひた走る。
それにしても今日は少々迂闊だった。
日勤早上がりで昼過ぎに家に帰ったら、ちょうど妻の
それでいつも通り駅まで車を出して、真っ直ぐ家に戻った。
千子さんの帰りは夜中になるというので、お迎え時間までのんびりと過ごす事にする。
まったりと独り、おうち時間を楽しむのだ。
いつものように湯を沸かし、極薄に割った芋焼酎を片手に趣味のゲームに興じる。ソロプレイでひと狩り始めると、時間はあっという間に過ぎる。
そうそう、せっかく独りだから小説サイトにアクセスしよう。妻と一緒にハマっているサイトだ。ゲームもひと段落したのでスマホ片手に横になる。
静かで独り落ち着ける時に、ゆっくりと小説を読むのが最も良い。カクヨム仲間たちの素晴らしい作品を存分に楽しむためにも、集中を途切れさせるものはなるべく排除しないとね。
今日はフォロワーさんの多くがお料理小説を書いていた。お、千子さんももう読んだようだ。
うーん、美味しそうだなぁ。千子さんに作ってあげよう。材料あったかな?
そんなことを考えながら、いつの間にかうとうとと寝落ちていたようで、数時間はあっという間に過ぎていた。
窓の外は暗い。スマホを確認すると21時。俺は冷蔵庫を確認し、近所に買い物に行こうと車を出した。
ところが近所のスーパーは21時閉店。いつの間にか閉店時間が変わっていたようだ。
千子さんを送った時買っておけばよかったなと少し後悔する。が、どちらにせよ冷蔵庫の中身と作る物が分からなかったので今更だ。
仕方がないので24時間やっているスーパーを思い出す。念のためスマホで確認すると、24時間営業中。大丈夫のようだ。
昼間だと車で30分だがこの時間なら20分くらいで着ける。早速車を走らせ直して今に至るわけだ。
そうして車を走らせ、目的地の大型スーパーに到着する。
ちょうど車を降りて店に入ろうとした時にスマホが震えるのを感じて、ポケットから取り出した。
だが特に通知は来ていない。気のせいかな?
気を取り直して買い物カゴを片手に店内に入る。深夜のスーパーは静かで人も少ない。
天井の高い大型スーパーは閑散とした雰囲気なのに明るくて、何処かちぐはぐで不思議な感覚がある。きっと昼間の喧騒を残した気配があるからだろう。
さて、目的は決まっている。キャベツと山芋と卵。薄力粉は買い置きがあった。
冷凍のエビがあったのでそれもカゴに入れる。千子さんエビ好きだもんね。
それから豚バラと鶏モモも買う。鶏モモは使わなくても買う。トリだからね。トリは良い。絶対美味い。何にでも使えるから買い物に行ったら買うしかない。
レジに向かう途中でまたスマホが震えるのを感じた。ポケットから取り出すとSkypeで呼び出しがかかっていた。
俺は通話ボタンを押す。
すると声が聞こえるかと思いきや、通話にならずに切れてしまった。画面表示は千子さんから。少し間をおいてかけ直してみるか。
レジで会計をし、ぱぱっと袋詰めする。外に出て車に乗った瞬間にまたスマホが震えた。
「やっほー!
いつもよりちょっと陽気な妻の声。今度は繋がったようだ。これは飲んでますねぇ。
「悠一郎さん、さっき電話かけた? 取ったら切れちゃったんだけど」
「え? かけてないよ。千子さんがかけたんじゃないの?」
「かけてないよー。不思議だね!」
うーん。もし俺が間違ってボタンを押したなら震えないはずだ。何か不具合かしら。よく分からんな。
なんと不思議なミステリー。いや、ホラーかな?
まあいいか。
俺の直観としては、きっと千子さんが間違ってボタンを押したんだろうと思う。
「そろそろお帰りかな?」
「そうそう、ちょっと電車間違えちゃって。途中までしか行かないから、今乗り換えで待ってるところ。もう来るから20分後くらいには着くよー」
「了解」
それから来た道をまた車で戻る。
千子さんを帰り途中の駅で拾って、ようやく家の玄関まで辿り着く。
ゴール、では無い。ここからがスタートだ。
深夜クッキングの開始である。
まず、絶対に忘れるから先に野菜を用意する。
「そんなに忘れる?」
「いや、俺は絶対忘れる。あとは色々道具が広がる前に下準備したいしね」
「うん、まあ確かに。わたしはついつい広げちゃう」
そう言いながら千子さんは冷蔵庫や棚から色々と取り出していた。
とりあえずそれはそれで放って置いて、俺は自分の料理に取りかかる。
まずは買ってきたキャベツをどーんと4分の1玉。人参も冷蔵庫にあったから少々。どちらもスライサーと、千切り用のスライサーで千切りにする。効率重視。包丁で切るより、便利な道具は使うに限る。
山芋のすりおろしも用意。傷んでそうなところは除いて水洗いした山芋を、水気を拭いてコンロの火で全体的に炙る。
こうすると髭根が取れると教えてくれたのは千子さんだ。彼女はとても料理好きで色々と知っている。
俺も元々料理はするが、彼女と出会ってから特に料理する機会が増えた。一緒に料理出来るというのも大きい。料理が楽しいのだ。
山芋の髭根が取れたらそのまま皮は剥かずにすりおろす。ふわっふわにするためたっぷりめに。
千子さんは野菜いっぱいが好きだけど、あんまり色々入れちゃうとキャベツの美味さが隠れちゃうから、野菜はこんなもんで。
次にボールに卵1個を割って、泡立て器でかき混ぜる。これでもかってぐらいかき混ぜる。こうするとふわっと出来上がるのだ。
そこに薄力粉を入れて混ぜ、千切りしたキャベツ、人参、とろろも入れる。
おっと、お肉類が入って無いな。
「千子さん、お肉何入れたい?」
隣で何やら野菜を刻んで鍋に放り込んでいる妻に希望を訊いてみる。
「うーん、あの小説だと豚バラって書いてあったよね。でも悠一郎さんのは混ぜちゃうんだよね。エビあるならエビが良いなぁ」
「ベネ」
それを聞いて俺は冷凍のエビを取り出しタネに混ぜた。買ってて正解。やったね!
ネタが混ざったらフライパンを熱して胡麻油をたっぷり注ぐ。カリッと仕上げるには惜しみなく使う。ここで躊躇してはならない。
中火で煙が出るほどフライパンが温まったら、ネタを一気に流し込む。そしてすかさず弱火にして蓋をする。
少し待ってからフライパンの柄の部分をとんとんと叩く。たびたび揺すって、生地がフライパンに付かないようにするのだ。
表面が固くなってきたら裏返すタイミング。それまでは我慢してじっと見守る。だから蓋はガラス製のものを使わなくてはならない。
さて、そろそろ良いだろう。
俺はフライパンの蓋を外し、片手で柄を持った。
傍にいた千子さんが数歩後退りして俺から離れる。そしてじっと此方に注目している。
一呼吸。
下手から掬い上げるように弧を描いて、素早くフライパンを振る。
宙を舞った円盤が手前に着地するのに合わせて身体ごとフライパンを引き寄せ、見事にすっぽり収まった。
かくして、外はかりっと中はふわっふわのお好み焼きが完成した。
「おおおぉ!」
歓声と共に妻の拍手が鳴り響く。ゴール! ゴール! ゴ、ゴ、ゴ、ゴール! とサッカーの中継が頭に流れる。
大・成・功。ありがとう、ありがとう。俺はとても満足である。
千子さんの料理も完成したようで、それぞれ盛り付けてテーブルに運ぶ。
「千子さんマヨネーズとソースかける?」
「うん! やるー♪」
そう言ってマヨネーズの上にソースをかける千子さん。格子状に綺麗にかけられたマヨネーズの白が、上にかけたソースの茶色に透けて美しい。
それから今日一日の話を色々としながら、深夜の食事会は盛り上がった。
美味い料理と楽しい会話に満足して、片付けもあっという間に済ませてしまう。
ちなみに妻が作ったのは野菜たっぷりのピリ辛スープだった。乾物や冷凍もやしなど色々使ったようだ。
美味かった。
「美味しかったねー! かりかりふわふわだった!」
「美味しく出来たね〜。スープも美味しかったよ」
良かった良かったとドヤ顔する妻が可愛い。
美味しく食べてもらえるのは有難い。一緒に料理して、時々意見しながらなんだかんだで最後は笑顔でご馳走さまと言える関係が、美味しいものを食べる秘訣なんじゃないかな。
その関係を築けている妻は、本当に尊い存在である。
お風呂もゆったり入ってさっぱりしたところで、また芋焼酎の極薄割を作る。
昔は芋焼酎を飲めなかったのに随分と好きになったものだとしみじみ思う。これもまた妻のおかげだ。
さて、夜もだいぶ更けた。
俺が手にした芋焼酎をちょっと分けてとねだってくる千子さんと、ゲームの実況動画でも見ながらしばらくまったりして、そのままお布団へゴールインするとしよう。
美味しいスパイス tolico @tolico
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます