ファンがアイドルを応援したくなる理由

 声を録らせてください。その理由もわからないままわたしはその場で立ち止まっていると、この眼鏡男子は黒い鞄の中から小型の機械のようなものを取り出した。そういえばこれ、事務所で無造作に放置されていた雑誌の中で見た記憶がある。確かマイコンだかアップルパイだか呼ばれる代物で、名前だけ美味しそうなのに見た目はごつい機械そのもの。それでいてパソコンと同等の性能を持っているとかなんとかその雑誌には書いてあった気がする。……まぁわたしはパソコンの性能というのがどの程度のものなのかさっぱりわからないけど、とりあえずあのデカさなんだから、スマホよりは性能がいいんだよね?


 よく見るとその上にスイッチとスピーカーのようなものが付いていて、眼鏡男子はそのスイッチをポチッと押したんだ。まさかの起爆スイッチ!?……なんて話もあるわけなく、機械の上に丁寧に取り付けられたスピーカーから聞こえてきたのは当然爆発音などではなく、妙に陽気な人の声だったんだ。


はじめくん、おはよう! 今日も頑張ろうね!!』


 だけどその声を聞いた瞬間、わたしは一瞬目眩がした。こんなことなら咄嗟の判断でさっきこの場からすぐにでも逃げ出すべきだったのだろう。


「こ、これは……何???」

「やっぱしまだまだチューニングが必要かな〜」

「じゃなくて、このわたしの声みたいなものを出すこれは何!?」


 なぜならその機械から聞こえてきた声は、わたしの声そのものだったからだ。


「はい。僕の、マナちゃん一号です! 真南まなさんの声を掻き集めて学習させて、音声合成させてるんですよ!」

「僕のって……それでひょっとして、わたしにお願いというのは……?」

「そんなの一つしかないじゃないですか。まだまだ学習が不足しているので、真南さんそっくりのあなたの声を是非録らせて戴こうかと」

「うんわかった。……要するに今すぐこの機械をこの場で壊せばいいんだね!」

「って、そんなの絶対にダメですよ〜!!」


 初めて出逢ったわたしのファン。それは当初の想像を遥かに超えた人だった。

 まだ春なんて季節はこの場所に届いていないのだろうか。寒い風が廊下をぴゅーっと吹き抜けていく。その冷たい風は露出したわたしの足を叩き、瞬間的に鳥肌が立ったようにも思えた。


 だけど、それと同時に罪悪感も覚える。

 わたしのファンと名乗るその彼は、しょんぼりとしたその顔を項垂れている。まるで本物の真南に拒絶されたかのようで……いや実際にその通りなのだけど、でも彼はわたしがわたし、真南であることに気づいていないはずだ。


「ねぇ。一つだけ、教えてもらっていいかな?」

「は、はい。何でしょう?」


 わたしはそんな彼に声をかけた。今すぐ逃げ出したい気持ちを押し殺して。


「何で君は、わた……真南の声をそんなに掻き集めたいと思うのかな?」


 すると彼はにこりと笑みを溢し、すっと息を飲み込んだ後、こう答えたんだ。


「そんなの、好きだからに決まってるじゃないですか」


 好き…………か。


「それって、真南っていうアイドルに? それとも……」


 それとも、わたし、つまり真南の中にいる、わたしのことがだろうか?


「もちろん、全てですよ」

「全て……?」


 全て……って、どういう意味だろう?

 思わずわたしはそういう顔を彼に向けてしまっていた気がした。ただ、興味本位で聞いた質問。だけど本当は聞いてはいけないような、そんな話にも思えたのも事実だった。


「僕は真南のこと、アイドルデビューが決まる前から応援していました。彼女って、ずっとドラマばかり出てたんですよ。一見するとアイドルとは無縁で、だけどドラマの中では我武者羅にもがいてて」


 わたしって、テレビの中でそんな風に映っていたんだ……。


「そんな彼女がアイドルデビューするとか、僕にはとても不思議に思えたんです。うまく言葉には言い表せないんですけど、絶対これは彼女の本心じゃないな、って」


 ……しかも、見抜かれてる???


「だけど先日公開されたアイドルデビューのプロモーションビデオの中では、それを微塵も感じさせなくて、深紗みさに寄り添う姿が健気に映りました。ああ、だからも僕も、この真南ってアイドルをずっと支えていこうって。女優の真南を応援したかった僕も、不本意ながらそう思ってしまったんですよ」


 にこりと見せる笑みの中に、わたしの胸にちくりと刺さる棘が存在していた。


「だから完全に、僕の負けです」


 バラの茎のような、美しい笑顔だ。まるでわたしが浄化されて完全に消えてしまいそうな、そんな気配さえあった。


「でも真南って、絶対に不器用な女の子だと思いますよ」

「そんなことまでわかるの?」

「はい。だって僕は彼女のことが、好きですから」


 まるで告白シーンを切り出したかのような、そんな一コマ。

 まだ冷たさの残る春の風に吹かれて、わたしは思わず涙が出そうになってしまう。嬉しいとかじゃなくて、どっちかというと悔しいって、今のわたしはそういう感情が正解なのかもしれない。

 そもそも女優の演技が我武者羅に映るってどうなんだ? そんなの女優として失格じゃないか。全然役になりきれていない。本来役者が観てほしいものというのは、その演技の方だ。役者の頑張りとか一生懸命さとか、そういうのとは絶対に違う。そんなの見抜かれてしまうとしたら、それは女優として失格に決まってるじゃんか。


 だけど彼は、そんなわたしを好きと言ってくれる。応援するって言ってくれる。

 何もかもがあべこべで、わたしはちっとも全然嬉しくない。

 それなのに……。


「あの、大丈夫ですか? さん??」

「うっさいな〜。ほっといてよ!」


 彼には当然ながらふと溢れた涙にも気づかれてしまった。

 わたしはそんな彼に反発するように、不器用な言葉を返してしまう。そんな自分の姿もやっぱり悔しくて、そのままびゅーんって体育館シューズを忘れた教室へ逃げ帰るには、十分な理由だと思ったけど。


 ……あれ? さっき彼はわたしのことを、なんて呼んだ??

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